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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『聖教新聞』事件 第63回
一審の判断基準を修正

 万引き被害者に対する一審判決は、メディアの取材を受けた者がなんらかの意図をもって事実に反する証言をしたとしても、「報道機関との間で意思を通じていたような場合」など、それがそのまま記事として掲載されることが予見できたという確かな証拠が提示されないかぎり不法行為責任を問われることはないという、悪意の情報提供者を利することになりかねない判断基準が示されていた。

 これは、明代の「万引きを苦にした自殺」を隠蔽するためにメディアに対して虚偽の主張を繰り返し、提訴されると今度は「取材そのものを受けていない」「そんな発言(筆者注=「明代は創価学会に殺された」とする発言)はしていない」として『週刊現代』に責任を転嫁した朝木父娘に対し、発言をどう扱うかは出版社の権限であるとして、朝木の責任を認めなかった東京地裁判決を追認する論理のようにも思えた。

 本件の場合には、被害者が直接取材を受けてその発言が掲載されたのは『夕刊フジ』であり、『聖教新聞』はその記事中の被害者の発言をそのまま引用したものであるという事情がある。また被害者が、『夕刊フジ』の取材に対する証言が『聖教新聞』に引用されるとは想定できなかったことも十分に推測できる。しかし、そのような事情を差し引いても、どんなデタラメな「証言」をしたとしても、すべての掲載責任はメディア側にあるということになりかねない判断はどうだったのだろう。

 一般論として、編集権が出版社にあることは確かである。しかし現実問題として、いかなる場合でも、取材を受けた者がどんなデタラメな証言をしたとしても、掲載責任はメディアにあり、「証言」した者の責任は問われないと言い切れるのかどうか。二審の東京高裁は「報道機関に対する私人の情報提供」について、基本的な考え方をまず次のように述べた。

〈……報道機関から取材を受けた私人としては、自らが提供する情報がそのまま記事になって報道されるとは通常は考えないとしても、……その取材対象となっている問題についての世間一般ないしマスコミの関心度、その中で自己の有する情報の重要性、当該問題ないし関連問題についての報道の状況、記事にするか否かについての報道機関の説明等の諸事情に照らし、……直接報道される可能性があることを認識し得る場合もあると認められる。そのような事情がある場合は、結果としての報道内容について一概に予見し得なかったものということはできない。〉

 東京高裁は、社会的状況や現実的な取材の状況などを検討し、朝木父娘が彼らのコメントがそのまま掲載されることを予見できなかったとはいえないと認定し、講談社だけでなく彼らの損害賠償責任を認めた。この場合、東京高裁は矢野、朝木と『週刊現代』との間に「最初から虚偽のコメントを真実であることにして報じることで話ができていた」などとまで認定したわけではない。

 しかしこの判断が、「取材を受けた私人が自らの発言をそのままの内容で公表することについて報道機関との間で意思を通じていた場合は別として、通常は、取材を受けた私人は、自らの発言がそのままの記事として掲載されることはおよそ予見し得ない」とした一審の判断を180度修正するものであることがわかろう。報道機関と意思を通じていなくても、場合によっては、取材を受ける側にも責任が生ずる場合があり得るという判断である。この方がより現実に則した判断基準であるといっていいのではあるまいか。

 たとえば矢野・朝木と『週刊現代』の間に、誌面構成についての申し合わせがあったという証拠はないし、実際にそこまでの事実はうかがえない。しかし、取材の経過の中で両者がカラオケスナックに同席するなど、矢野・朝木と『週刊現代』の記者らが親密な関係にあったことを、講談社側が自ら裁判の中で明らかにしている()。「自らの証言内容がどう報道されるかがおよそ予見し得ないとはいえない場合」の典型的な例といえるのではあるまいか。

この裁判では、矢野・朝木側が「コメントはしていない」と主張し、すべての責任を『週刊現代』に押しつけようとした。このため『週刊現代』側は、朝木直子らのコメントがあったことを立証するために、通常は明らかにするはずのない取材状況を自ら明らかにした。)

相当因果関係を認定

 さて、メディアと取材される側の私人の関係に関して「取材を受けた私人が、いかなる場合も報道内容を予見し得ないということはない」とする基本的な認識を示した上で東京高裁は、店主が『夕刊フジ』の取材を受け、その発言内容が掲載されることを予見できたかどうかについて次のように認定した。

〈被控訴人○○(筆者注=店主。以下、同)は被害者であり、かつ犯罪の目撃者として最重要証人たる立場にいたものであって、当該事件が平成7年7月12日に検察庁に送致されたことから、……多数の報道陣から目撃状況について取材を受けていたのである。してみると、……本件○○発言のうち『(万引き犯は)朝木さんに間違いありません。』という言葉を含めて、本件窃盗被疑事件の目撃状況を具体的に説明すれば、その内容が……掲載されることは十分に予見し得たものと認めるのが相当である。〉

 さらに東京高裁は、『夕刊フジ』に掲載された店主の証言が〈その後他の報道機関によって引用なり紹介等されることもあり得ることも当然に予測し得ることである〉と述べた上で、『夕刊フジ』の取材に対して店主が証言したことと、その証言内容が本件『聖教新聞』記事に掲載されたこととの間には相当因果関係があるものと認定したのである。

 つまり、社会的関心事に関する当事者の「証言」は、直接取材を受けたメディアだけでなく、その記事を他の媒体が引用して掲載された場合についても「証言」の責任が及ぶという判断だった。メディアに対して他人に重大な社会的責任を負わせる結果となる証言や発言をするにあたっては、相応の社会的責任が伴うという考え方を表明したものと理解すべきなのだろう。

(つづく)
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