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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『聖教新聞』事件 第68回
広報と記載の表現に乖離

 次に東京地裁は、東村山署の捜査とそれに基づく結論(明代の万引きの事実を認定し、転落死には「犯罪性はない」と結論付けたこと)を広報した際の千葉副署長の発言と『聖教新聞』記事の因果関係について検討している。発言と記事との間に因果関係が認められないと判断されれば、その時点で千葉副署長に対する請求は棄却あるいは却下されることになろう。

『聖教新聞』記事は千葉の発言として、万引き事件については〈(朝木明代は)同僚の男性議員(矢野)とアリバイ工作をした疑いも濃く〉と記載し、転落死については〈飛び降り自殺した可能性が極めて高い〉と記載している。それに対して、千葉副署長の発言内容がどのようなものだったかについての東京地裁の認定は以下のとおりだった(いずれも趣旨)。

〈(千葉は、万引き事件に関して)単に「捜査の結果アリバイは信用できない」との発言をしたのみであった〉

〈(千葉は)本件死亡事件に関して、「現場の状況、関係者からの聴取及び検視の結果等から事件性は薄いと認められる」との発言をしたにすぎないことが認められる。〉

 この認定の限りでは、記事の表現と千葉副署長の広報内容には開きがあるように思える。「アリバイは信用できない」という文言は、あくまで厳密な意味としては、それが企図されたものかどうかについて千葉は断定しておらず、「矢野と明代のたんなる記憶違いだった」という可能性を否定するものではない。したがって「アリバイは信用できない」という文言は、ただちに「アリバイ工作」を意味するものではない。また「事件性は薄い」という表現は「事故」の可能性を完全に排除するものではない。千葉の広報はいずれも意味を限定せず、解釈の幅を持たせたものだった。

「アリバイ工作」の表現を容認

 したがって、本件裁判において千葉は、『聖教新聞』の記事は広報内容とは文言も異なるから、広報内容は記事との因果関係がないとして却下を主張することもできた。ところが証言台に立った千葉は、「アリバイ工作」とする表現について、〈「アリバイは信用できない」と発言すれば、取材記者によっては「アリバイ工作をした」と受け取られてもやむを得ない〉と述べ、「事件性は薄い」とする表現についても、〈「事件性がない」とは要するに「明代が飛び降り自殺をした可能性が高い」と判断していた〉と述べた。

 アリバイ主張の文言について、「取材記者によっては『アリバイ工作をした』と受け止められる可能性がある」ではなく、あえて「取材記者によっては『アリバイ工作をした』と受け止められてもやむを得ない」といい、転落死について「事件性は薄い」と広報したことについても、千葉は証言台ではあえて「自殺をした可能性が高い」と広報内容を超えた表現をしている。

 千葉のこの供述は、自分が行った広報内容と記事との因果関係を否定するのではなく、暗に『聖教新聞』が記載した表現を追認し、支援するものにほかならなかった。千葉もまた、創価学会が矢野と朝木による「疑惑」宣伝の被害者であると認識していた。東京地裁は千葉の上記の供述に対し、「東村山署の見解として、『アリバイ工作をした』あるいは『飛び降り自殺をした』と書かれることは十分に予見しており、それをも容認していた」ものと認定した。

〈「アリバイは信用できない」と発言すれば、取材記者によっては「アリバイ工作をした」と受け取られてもやむを得ない〉と述べ、〈「事件性がない」とは要するに「明代が飛び降り自殺をした可能性が高い」と判断していた〉と千葉が法廷で供述したことは、自ら現場で指揮した捜査の結果について積極的に責任を果たそうとしていたとみることもできよう。

 積極的に取材に応じ、コメントもしていたにもかかわらず、創価学会から提訴されると、「取材も受けておらず、コメントもしていない」とすべての責任を『週刊現代』に押しつけた朝木直子とは天地の差があるというべきだろう。「万引きは冤罪」で「転落死は他殺」という主張に根拠があるのなら、記事に対する千葉と朝木の対応は逆でなければならないのではあるまいか。

因果関係に対する判断 

 また東京地裁は、千葉がすでに『聖教新聞』に情報を提供した記者の取材に応じて「明代がアリバイ工作をした疑いが濃く、また自殺した可能性が高い旨」を語っていたことを認定している。仮に千葉が上記の発言をしたことを隠そうとしたとすれば、その際に口止めしたかもしれない。しかし千葉は口止めをしなかった。この千葉の対応について東京地裁は、「その提供した情報がその他の者にも広がって記事として掲載される可能性がある」と認識していたと認定している。

 さらに『聖教新聞』記者が千葉に取材を申し入れた際には、千葉は「すでにさまざまなマスコミに出ている記者発表の内容を使ってほしい」旨要請している。したがって東京地裁は、「『聖教新聞』が記載した内容が掲載されることを千葉は予見していたものというべきである」と認定、『聖教記事』と千葉の広報との間には相当因果関係があると結論付けた。 東京地裁のこの結論は、記事の責任は『聖教新聞』のみにあるのではないというものである。捜査の結果に対して自らも責任を果たそうと考えていた千葉にとって、これはむしろ望むところだった。

(つづく)
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