ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

元市議名誉毀損事件 第28回
「知り合った」時期

「『詐欺グループの一員』である松田を被害者に紹介したのは山川だった」とする矢野らの主張に信憑性があるのかどうか――。

 山川は一審で、〈平成15年頃、原告は松田から、当時衣料品を販売していた○○(筆者注=被害者)を紹介され〉(平成28年1月8日付陳述書)と供述し、また〈原告が東村山市議となってから数年後〉に「松田から被害者を紹介された」と供述していた(平成28年4月4日付陳述書)。山川は本件記事が「山川が詐欺事件に関与した」とするものと主張しており、被害者が塩田に多額の金を貸した平成21年よりもはるか以前に「松田から被害者を紹介されたこと」が重要な争点になるとは認識していなかった。このため「松田を被害者に紹介したのは自分ではない」という記憶については鮮明に残っていたが、その時期については資料にあたるなど裏付けを取ってはいなかったようだった。

 そこで改めて一審時点での山川と被害者の陳述書の記載を照らすと、双方の主張には明らかな食い違いがあることがわかる。被害者は「松田を友人から紹介されたのは平成18、9年ごろ」と供述しているから、それが事実とすれば、それまで松田を知らなかったことになる。

 ところが一方、山川は「平成15年ごろ、松田から被害者を紹介された」「東村山市議となって数年後に紹介された」と供述している。山川が東村山市議になったのは平成7年、朝木直子の母親である朝木明代が万引きで書類送検され、自殺を遂げた年の5月である。矢野らは控訴理由書で双方の食い違いに着目し、次のように主張している。

〈(被害者による上記供述がなされたのは)未だ被控訴人(筆者注=山川)が○○(筆者注=被害者の実名。以下、同)に協力的な態度を示していた当時に作成されたものであり、○○が意図的に事実と異なることを述べる理由は何らない。そして、これらの書面が作成された時期も「平成18年から平成19年頃」から然程遠くない時期であり記憶が薄れる程の年数経過はないのであるから、単純に事実そのままが記載されていることに疑いはない。〉

 矢野らはこう述べて「松田と知り合ったのは平成18年から平成19年頃」であるとする被害者の記憶には信用性があると主張している。被害者の供述を裏付ける確かな証拠はなく、矢野らの主張はすべて推測にすぎない。しかしかといって、強引なこじつけともいえない。

 さらに矢野らは、山川の「東村山市議となって数年後に紹介された」とする供述について、〈被控訴人が市会議員となったのが平成7年であることからすればその数年後は平成10年頃となり、……被控訴人自身が述べていること(筆者注=山川の別の陳述書に記載された「平成15年頃に紹介された」とする供述)の間に矛盾がある〉と指摘。その上で〈松田が被控訴人に対して○○を紹介するには、それ以前に○○と松田が知り合っていなければならない〉と、山川の説明内容が成立する条件を示し、「上述のとおり○○が松田と知り合ったのは平成18年から平成19年頃であることは優に認められる」から、「それ以前に松田から被害者を紹介された」とする被控訴人の主張は信用できないと結論付けた。

 被害者が松田と知り合ったとする時期については、なんら裏付けとなる資料はない。しかし、被害者が松田と知り合ったとする時期に関する供述には、一応、一貫性がある。一方、山川の供述には変遷があった。矢野らは被害者の供述には信用性があるとし、こう主張した。

〈被控訴人(筆者注=山川)が原審において「松田から○○を紹介された」と強弁する態度こそが、○○が被控訴人の紹介で松田と知り合ったことの証左である。〉

 それまで一応論理的に被害者供述の信用性を主張してきた矢野が、ここに至ってなぜいきなり強引な決め付けに出たのかはわからない。しかしその上で矢野らは、〈「市議会議員である被控訴人が松田を被害者女性に紹介し」との事実は真実であり、少なくとも真実と信ずるについて相当の理由がある。〉と主張していた。 

矢野の主張を追認した被害者

 矢野らは控訴理由書の提出に合わせて新たに被害者の署名捺印がなされた陳述書(平成28年9月7日付)を提出していた。その中で被害者は、上記の点について次のように供述していた。

〈平成18年から19年ころのことだったと思いますが、自宅に洋服のお客さんなど知人数人が来ている時に、山川さんが「この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ。」と言って、松田美枝さんを連れてきました。〉

 平成23年作成の陳述書と平成24年作成の告訴状では「友人から松田を紹介された」と供述していた被害者は、最新の陳述書では「平成18年から19年ころ、山川から松田を紹介された」と述べた上に、山川が被害者に話したという具体的な会話まで再現していた。

 なぜ告訴状の当時は松田を紹介したのが「友人」で、矢野らが提訴されたあと「山川」に変わったのか。その点に関する説明は一言もなかった。

 しかし少なくとも、矢野らの控訴理由書が提出された時点で、〈原告(筆者注=山川)が松田を○○に紹介したことについては、これを認めるに足りる証拠がなく、被告ら(筆者注=矢野と朝木)が原告が松田を○○に紹介したと信じたことに相当の理由があることを認めるに足りる証拠もない〉という一審の判決理由が大きく揺らいだことだけは確かなようだった。

(つづく)
関連記事

TOP