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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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元市議名誉毀損事件 第32回
〈塩田が被害者女性から約2140万円を借り、うち1860万円を返しておらず、この行為が詐欺まがいの行為であり、市議会議員である原告が松田を被害者女性に紹介し、松田が妹の塩田を被害者女性に仲介したことにつき、原告が、お金を巻き上げる連中の口ききであり、上記行為について、仲介のような役割を果たしており、上記貸金が返済されないことについて、知らん顔をしているあきれた人だと述べていると読むことができる。〉

 一審の東京地裁は本件記事を一般読者がどう読むかについてこう述べ、原告の社会的評価を低下させるものであると認定した。その上で東京地裁は、原告山川が松田(筆者注=矢野らが詐欺グループの一員であると主張している人物)を被害者に紹介したと認めるに足りる証拠はなく、本件記事は原告の名誉を毀損するものと結論付け、矢野穂積と朝木直子(いずれも東村山市議=「草の根市民クラブ」)に対して15万円の支払いを命じた。

 矢野らはこの判決を不服として控訴した。山川は矢野らが提出した控訴状と控訴理由書対し、「控訴棄却」を求める答弁書を提出するとともに控訴理由に対する反論を行った。これから紹介するのは、控訴人ら(=矢野ら)の主張に対する被控訴人(=山川)の反論である。

より詳細になった証言

 矢野らが控訴理由書の中で最も力を入れていたのが「松田を被害者に紹介したのは山川だ」という主張だった。一審で山川は「自分は松田から被害者を紹介されたのであって、松田を被害者に紹介したのは自分ではない」と主張していた。これに対して矢野らは、被害者が松田らに対する告訴状で「平成18年から19年ころ、告訴人(筆者注=被害者)は友人の紹介で被告訴人松田と知り合った」と記載していること、また朝木直子の被害者に対する取材によっても被害者が「山川が『マッサージができる人』として松田を連れて自宅に一緒にやってきたと説明されたこと」などを根拠に、「被害者に詐欺グループの一員である松田を紹介したのは山川だ」と主張していた。

 また控訴に際して矢野らは被害者の新たな陳述書を証拠として提出。矢野らは一審では被害者の陳述書は「必要ない」と主張したものだが、控訴にあたって、やはり被害者本人の陳述書は必要と考え直したものと思われた。控訴に備えて改めて被害者本人に接触したのだろう。その新たな陳述書で上記の点について被害者は次のように述べていた。

〈平成18年から19年ころのことだったと思いますが、自宅に洋服のお客さんなど知人数人が来ている時に、山川さんが「この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ。」と言って、松田美枝さんを連れてきました。〉

 平成27年に本件記事が掲載された『東村山市民新聞』が発行される前に朝木が「聞いた」とする話の内容よりも、より具体的かつ詳細な内容となっていた。陳述書に加えて、矢野らはなぜか被害者の印鑑証明書まで添付していた。陳述書が間違いなく被害者本人によるものであることの裏付けという趣旨のようだった。陳述書に印鑑証明書が必要とは聞いたことがなかった。念には念を入れたということだったのだろうか。

 いずれにしても、矢野らが控訴理由書を提出した時点では、一審の判決理由が覆りかねない状況だった。

記載状況に明確な違い

 一方、被控訴人となった山川としては、一審が判決理由として「松田を被害者に紹介したのが山川だったか否か」を問題にしており、矢野らから判決が覆りかねない証拠が提出された以上、なんらかの反論が必要と思われた。そこで山川は保存していた東村山市議会手帳になんらかの記載がないかどうか、探してみることにした。その結果、発見されたのが、洋服を買うために被害者の自宅を訪ねる予定を記載した3回分のメモだった。

3回のメモの内容と日時はそれぞれ以下のとおりだった。



平成12年8月15日 「レナウン 1:30 松田さんと」

平成13年12月20日 「洋服 ○○(筆者注=被害者の実名)宅へ」

平成15年5月20日 「レナウン○○(同)宅」



 山川は上記のメモが記載されたページのコピーを書証として提出し、「松田を被害者に紹介したのが山川だったか否か」、また被害者が松田を初めて知った時期はいつだったのかについて次のように主張した。



(「松田を被害者に紹介したのが山川だったか否か」に対する山川の反論)

(上記①のメモは)同日に被控訴人が松田と衣料品販売をしていた○○(筆者注=被害者の実名)宅へ行く予定であることを意味している。「○○」(同)の名前ではなく「レナウン」と記載されているのは、被控訴人は松田から「レナウンの洋服を扱っている人を紹介する」といわれていただけで、未だ○○(同)とは面識もなく名前も知らなかったので、「レナウン」と記載したのである。
……
 初回(平成12年)が「レナウン」とのみ記載して「○○」(同)の名前がなかったのに対し、その後の記載については「○○」(同)の名前が記載されていることからも、被控訴人が最初(平成12年)に○○(同)宅へ行った時点ではまだ「レナウンの洋服を扱っている人物」の名前が「○○」(同)であることを知らなかったことを裏付けている。



 メモでは、初めて被害者宅に行った際には名前を書かず、2回目、3回目では被害者の名前が記載されていることは明らかだった。さらに山川は、一審で被害者と知り合った時期を「平成15年ころ」と述べていたのは誤りだったと認めた上で、矢野らの「山川が松田を被害者に紹介した」とする主張を否定している。

(つづく)
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