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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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元市議名誉毀損事件 第33回
「不自然な供述」

 山川のメモによれば、山川が松田に連れられて、まだ名前の知らない被害者宅に行ったとすれば、被害者が誰から松田を紹介されたのかはわからないものの、平成12年の時点で被害者はすでに松田を知っていたことになる。その上で、山川は次のように主張している。

〈(山川メモの①の時期は)○○(筆者注=被害者)が「被控訴人が松田を○○(同)に紹介した」と主張する時期とは6~7年の開きがある上に、○○(同)は新陳述書において「自宅に洋服のお客さんなど知人数人が来ている時に、山川さんが『この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ。』と言って」などと、「紹介された」とする日の様子と被控訴人の発言について具体的に供述しているが、時期の記憶にこれほどの食い違いがある一方で、その日の様子と被控訴人が話したとする内容についての記憶だけは詳細かつ明晰であるというのはあまりにも不自然〉

 時期の記憶は不正確である一方で、その日の出来事については鮮明に記憶しているというのはよくあるケースかもしれない。しかし、山川のメモの内容および山川の主張からすると、被害者は山川よりも先に松田と知り合っていたことになるから、山川が上記のように話しながら松田を紹介したという主張は、内容的にみてもやはり不自然ということになろう。

 また当初は「被害者の陳述書は必要ない」といっておきながら、敗訴を受けて出してきた被害者の陳述書でここまで詳細な記憶が語られるというのも、「山川が松田を被害者に紹介した」ことにしたい矢野らにとってあまりにも都合のいい、出来過ぎた話のようにも思える。そこで山川はさらに次のように主張している。

〈むしろ、○○(同)は遅くとも平成12年には松田を知っていたのであるから、(筆者注=被害者が陳述書に記載している)「平成18年から19年」に被控訴人が○○(同)に対して「この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ」といって松田を紹介することはあり得ない。そのあり得ないセリフを、○○(同)はこれほど詳細かつ明晰に記憶していたというのだから、不可解である。〉

提出されなかった反論

 山川が一審で被害者と知り合った時期について曖昧な記憶を基づいて誤った説明をしていた一方、被害者が告訴状等で「平成18年から19年」と一貫した供述をしていたことで、矢野らは少なくとも「松田と被害者が知り合った時期」の特定に関しては自信を持っていたのだろう。ところが、山川は自分自身の記憶の誤りを認めるとともに、「手帳の記録」という証拠を提出して矢野らが自信を持っていた「松田と被害者が知り合った時期」を否定し、同時に被害者自身の新たな陳述書における重要な記載内容(山川が松田を被害者の自宅に連れてきたとする日の具体的過ぎる供述)も否定されてしまった。

 この事態に、矢野らは少なからずショックを受けたのではあるまいか。逆転判決を狙ってとっておきの証人を引っ張り出すことに成功したのに、それを上回る証拠を山川から提出されてしまったのだから。

 山川がこの答弁書を裁判所と矢野らの代理人に送付したのは第1回口頭弁論の10日前である。逆にいえば、山川が答弁書を提出してから第1回口頭弁論まで10日あった。  

 いつもの矢野らであれば、遅くとも口頭弁論当日までにはなんらかの反論を提出するだろうと思っていた。ところが矢野らから、山川の答弁書に対する反論は提出されなかった。ただし、まだ口頭弁論の場で、口頭の反論がなされる可能性がないとはいえなかった。

 こうして迎えた第1回口頭弁論で、山川は矢野らの主張を覆した証拠(手帳)の原本を持参し、裁判官(2名)と控訴人の矢野らが確認した。しかしその時点に至っても、矢野側からは具体的な反論は出されず、矢野らの代理人が「メモの記載時期」について争う意思を表明しただけだった。「メモの記載時期」を争うとは、「最近になって書き加えたものではないかという疑念がある」という趣旨であると理解できた。

聞き流した裁判官

 山川は手帳のメモに基づいて、被害者が「山川から松田を紹介された」とする時期とその事実を否定した。すると、矢野らが再び山川の主張を覆すには、被害者が陳述書で記載した「山川から松田を紹介された」とする時期とその日の状況に関する記憶の正確さについて、その裏付けを提出するなり、あらためて被害者の記憶を確認するなりし、その結果をしかるべきかたちで示さなければならない。「メモの記載時期を争う」と主張したところで、「記載時期」が疑われるとする相応の根拠を示さなければならない。

 しかし矢野らの代理人は、10日も前に手帳のコピーが提出されているにもかかわらず、なんら説得力のある反論をすることができなかった。山川のメモに対して確かな根拠をもって反論できなければ、「記載時期を争う」とする主張も、結局はなんら反論ができない内情を晒したというに等しかろう。つまりは、山川の立証によって矢野らの主張はその根幹が崩されたということではなかっただろうか。

 東京高裁としても、仮に矢野ら代理人の主張には耳を傾ける価値があると判断したとすれば、「記載時期」が疑われる理由をさらに聞き、山川に対しても質問をぶつけたかもしれない。しかし現実に、東京高裁は矢野ら代理人の主張に対して問い返すことも、山川に確認することもなく、またあらためて書面の提出を求めることもなかったのである。

(つづく)
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