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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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元市議名誉毀損事件 第44回
「手帳」の信用性

 矢野らは控訴理由書で「詐欺グループの一員である松田を被害者に紹介したのは山川だ」と主張し、一審判決は破棄されるべきと主張していた。控訴にあたって朝木から新たな陳述書を作成するよう依頼された被害者はその中で「平成18年から19年ころに山川から松田を紹介された」と供述していた。これに対して山川は答弁書で、保管していた東村山市議会手帳を調べたところ、平成12年に松田が被害者から紹介されたことを示す記録をみつけ、「松田を被害者に紹介したのは私ではない」と反論し、手帳のコピーを証拠として提出。

 第1回口頭弁論で裁判官2名と控訴人の矢野らおよびその代理人が手帳の原本を手にとって確認を行った。裁判官から山川に対して特段の質問はなかったが、矢野らは「記載の時期を争う」として弁論を終結したのだった。

 この点について東京高裁はどう判断していたのか。東京高裁は次のように述べた。



(「山川が松田を被害者に紹介した」とする矢野らの主張に対する判断)

 被控訴人(筆者注=山川)が市議会議員当時に使用していた手帳であり、その記載内容の信用性が認められる甲第9ないし11号証の各3(筆者注=山川が証拠として提出した市議会手帳)によれば、平成12年8月15日の欄には、「レナウン 1:30 松田さんと」との、平成13年12月20日の欄には、「洋服 ○○(筆者注=被害者名)宅へ ○○さん(筆者注=本件とは無関係の山川の知人)と」との、平成15年5月20日欄には、「レナウン○○(筆者注=被害者名=以下同))宅」との各記載があることが認められ、これらはいずれも被控訴人が当該日に○○宅を訪れたことを記したものと認められるところ、これらの記載及び弁論の全趣旨によれば、平成12年8月15日には、単にレナウンと記載したのみで、○○の名がなく、あわせて、松田の名が書かれていることは、被控訴人は、当時○○の名を知らず、松田にレナウンの洋服を扱っている人と紹介され、同人と○○宅に行ったことを意味するものと認められる。



 矢野らは「記載の時期を争う」として山川の手帳の記録の信用性を争ったが、東京高裁はその信用性を認めるとし、2回目と3回目の訪問の際には被害者の名前が明記されているのに対し、最初の訪問の際には「松田さん」の名前はある一方で被害者の名前はなく、その代わりに「レナウン」と被害者が扱っている洋服のブランド名が書かれていただけだったことから、山川は松田から被害者を紹介されたこと、またその時期は平成12年8月15日だったと認定したのである。「松田を被害者に紹介したのは山川ではない」と認定したということだった。

 その上で、東京高裁は被害者の供述内容についてこう述べた。

〈平成18年から19年ころに被控訴人から松田を紹介されたとの○○の上記陳述部分は上記事実に反し信用できない。〉

 被害者は平成24年11月5日付けで警視庁に提出した松田らに対する告訴状の中で「平成18年から19年ころ、告訴人は友人の紹介で松田と知り合った」と記載している。しかし「山川の紹介で」とは書いていない。この告訴状を提出した際には山川も被害者を支援して陳述書を提出している。被害者は山川に信頼を置いていたということである。

「友人」との記載に合理的理由

 この告訴には弁護士もついていた。捜査機関に事件の背景等を理解してもらうためにも、告訴状には知っている事実をありのままに幅広く記載しておく必要があるから、弁護士もそう指導しただろう。したがって、告訴状で被害者が松田と知り合ったきっかけや関係を説明するにあたっても、松田を山川から紹介されたのなら、そう正直に記載しない理由はない。

 また当時、山川は協力者として被害者のそばにいたのだから、松田を紹介したのが山川だったとすれば、そのことを被害者が思い出さないはずもない。つまり被害者は、当時、松田を紹介したのが山川以外の友人であることを十分に自覚していたから、「友人の紹介で松田と知り合った」と記載したのである。

 松田を紹介されたとする時期は、実際には、山川が松田から被害者を紹介されたのが平成12年8月だったのだから、被害者はそれより以前に松田と知り合っていたことになる。事実とは相当の開きがあった。しかし告訴の時点でそれは重要な問題ではなく、被害者のおおまかな記憶で書いたのだろう。「友人」も告訴とは無関係だったから、紹介された時期について確認する必要もなかった。だから告訴状には、松田に関して誤った記憶がそのまま残ったものと推測できた。

 時期はともかくとして、はたして被害者が朝木に対して本当に「松田は山川から紹介された」と説明したのだろうか。いずれにしても、矢野らが平成27年7月31日付『東村山市民新聞』第186号に本件記事を掲載した時点で、「松田は山川から紹介された」ことになったのだった。

詳しくなっていった説明

 それがさらに、平成28年1月12日付朝木陳述書では、たんに「山川から紹介された」から〈原告山川が「マッサージができる人」として松田を連れて自宅に一緒にやってきた〉となり、被害者の新しい陳述書では〈平成18年から19年ころのことだったと思いますが、自宅に洋服のお客さんなど知人数人が来ている時に、山川さんが「この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ。」と言って、松田美枝さんを連れてきました。〉と、その説明は徐々に詳細になっていった。

 ところが東京高裁が信用性を認めた山川の手帳の記録によって、山川は平成12年8月15日に松田から被害者を紹介されたことが証明された。それによって、被害者が説明する「松田を紹介された」とする時期も、〈山川さんが「この人はマッサージをやっているのでよろしくね。1時間でも2時間でも安くやってくれるわよ。」と言って、松田美枝さんを連れてきました。〉とする事実も、すべてが事実に反するものであることが明らかとなった。

 事実に反するというよりも、存在しない事実を「あった」と主張しているのだから、事実の捏造という方が適当なのではあるまいか。ただし、それが本当に被害者が朝木にそう説明したものなのかどうかは定かではない。

完膚なきまでに否定

 東京高裁は上記判断の最後で、口頭弁論の際に矢野らが「手帳の記載時期について争う」と主張した点についても触れ、次のように述べた。

〈控訴人らは、被控訴人の手帳の平成12年8月15日欄の記載のうち、「レナウン」との記載は他の記載と異なり、ボールペンで記載されていることから、その頃に記載されたものであることを争うが、同手帳には、他にもボールペンで記載された部分があることは当該証拠の原本の取調べによって当裁判所に顕著な事実であることに照らし、控訴人らの主張する事実によって、上記判断は左右されるものではない。〉

「山川が詐欺グループの一員である松田を被害者に紹介した」とする矢野らの主張は、東京高裁によって完膚なきまでに否定されたといえるのではあるまいか。

(つづく)
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