ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

プールマン

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

元市議名誉毀損事件 第47回
『東村山市民新聞』の本質に言及

 相当性を否定した判断において、東京高裁が告訴状などの資料の内容以外に重視していたのが、朝木が山川に対してなんらの取材もしていなかったという点である。朝木が被害者の話と資料だけで「山川が詐欺事件に関与した」と考えたとしても、一方の当事者である山川本人に直接取材しないのは、仮にそれが意図的ではなかったとしても、重大な過失であることに変わりはない。

 矢野と朝木は本件裁判で、本件記事を掲載した彼らの発行する『東村山市民新聞』について次のように主張している。

〈被告等(筆者注=矢野と朝木)が発行している東村山市民新聞は、東村山市に関する情報を正確且つ公正に市民に報道しているミニコミ紙であり、原告主張のような政治宣伝紙ではなく、事実を公正に報道していることは、乙第2号証の1乃至15の「東村山市民新聞」を御読み頂けば明らかなことである。〉

 矢野らはこう主張して、15号分の『東村山市民新聞』を証拠として提出したのである。興味深いことに東京高裁は、朝木が山川にまったく取材していないと断定したあと、本件記事を掲載した『東村山市民新聞』がどのように配布されたかを認定する過程で、次のように述べてさりげなく『東村山市民新聞』の本質に言及している。



(東京高裁が認定した『東村山市民新聞』の「本質」)

 本件新聞は、いずれも現職の東村山市議会議員である控訴人ら(筆者注=矢野と朝木)が発行人または編集長として、控訴人らの政治活動の状況を地元有権者に伝えることを目的とした政治広報誌であり、約4万5000部が東村山市内に配布された……



 東京高裁が位置付けた「政治広報誌」とは、原告が主張した「政治宣伝紙」と何程の違いもあるまい。東京高裁が「控訴人らの政治活動の状況を地元有権者に伝えることを目的とした」ものであるというからには、少なくとも矢野らが主張するミニコミ紙とは本質的に異なるものであることは明らかである。東京高裁は本件記事に真実性も相当性も認められないこと、原告に対してまったく取材していないことなどから、『東村山市民新聞』が公益性を持つ出版物とは認定しなかったということと理解できよう。

原告の損害認定

 東京高裁は『東村山市民新聞』の本質を「政治的広報誌」と結論付けたあと、『東村山市民新聞』が記載した本件記事によって原告が被った被害がどういうものだったのかについて、以下のように述べている。



(東京高裁が認定した原告の被害の実態)

 被控訴人(筆者注=山川)は、○○(筆者注=被害者)から相談を受けて、同人らと警察署に相談に行き、また、弁護士を紹介して借金を取り返すための支援をするなど尽力したのにもかかわらず、控訴人ら(筆者注=矢野と朝木)は、被害者である○○からの不十分な聴取に基づき、被控訴人に対する取材も全くしないで、「1869万円詐欺、元公明市議らが関与」などという断定的表現を用いた見出しを付けた上、被控訴人が詐欺まがいの行為に関与していたという内容の記事を東村山市の人口(約15万人)に比しても広範囲に配布したものであり、被控訴人は、連続5期にわたって元東村山市議を務め、東村山市において相当程度の知名度及び社会的地位を有する者であって、本件記事によって、東村山市における被控訴人の社会的評価が損なわれた程度は相当程度大きいものがあると考えられる……。



 上記の認定の前段で、山川が被害者を支援していた事実を認定している点は、判決全体に大きな意味を持とう。その上で、〈被控訴人に対する取材も全くしないで、「1869万円詐欺、元公明市議らが関与」などという断定的表現を用いた見出しを付けた〉とする認定は、本件記事の作成過程を正しく再現しているように思える。現実とはかけ離れた見出しと記事がどうやって出来上がったのか。その理由もやはり、東京高裁が認定した、「政治広報誌」という『東村山市民新聞』の本質にあるとみるのが正しい認識なのではあるまいか。

  その上で、〈本件記事によって、東村山市における被控訴人の社会的評価が損なわれた程度は相当程度大きいものがある〉と結論付けた東京高裁の認定は、山川が本件記事によってどれほど悔しい思いをし、また迷惑を被ったかについて深い理解を示すものといえた。その結果、東京高裁は〈被控訴人がこれによって被った精神的苦痛を慰謝するには、50万円をもって相当であると認められる。〉と結論付けたのである。ほぼ全面的に山川の主張を認めた判決といって差し支えなかろう。

誠実と不義不実の闘い

 認容金額は別にして、矢野と朝木の主張をことごとく排斥した東京高裁の判断は、本人である山川にとっては当然の結果だったかもしれない。しかし当事者の主張を、何も知らない裁判官に理解してもらうのは、いつも容易なことではない――判決言い渡しの法廷で、私は内心、穏やかというわけにはいかなかった。

 ところが当の山川は、裁判官が開廷を告げてから判決を言い渡すまでの間、まっすぐに裁判官を見て、じっと判決を聞いていた。いかに自分のしたことに間違いはないという自信があったのだとしても、裁判官を前にしてもなお堂々と判決を受け止めようとしているようにみえる姿に、私は感銘すら覚えた。

 裁判でも矢野と朝木がさまざまに主張を変え、論点を変えたりしてきたのに対し、山川は常に正面から受け止め、事実をもって反論してきた。事実に基づいているから山川の主張にはブレがなく、一方、矢野らの主張は二転三転を繰り返した。

 被控訴人の席で判決言い渡しに臨む山川の姿を見ていると、この裁判は、誠実に生きてきた者と、狡知を弄してその足を引っ張り、貶めることのみを目的とした者の闘いだったように思える。誠実に生きてきた者がそうでない者に負けるわけにはいかない――そういう闘いだったのだと。

(つづく)
関連記事

TOP