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りんごっこ保育園問題とは何か 第8回
見通しのなかった「要望書」

実質わずか2週間で事業決定

 ところで、高野が保健福祉部と口裏を合わせるかたちで計画を隠蔽してきたのはなぜなのだろう。高野が厚生委員会に提出した文書で述べるように、本当にすばらしい保育園だと考えているのなら、最初から堂々と計画を公表していれば、予算の承認が危ぶまれるような状況にはならなかったかもしれない。少なくとも、保育環境で議論になることはあっても計画の進め方自体をこれほど問題視されることはなかったはずである。

 しかし、高野はなぜか平成15年4月1日の開園にこだわっていた。15年度の予算計上に間に合わせるためには、児童育成部会や厚生委員会の審議や了承という過程を経るにはあまりにも貧弱な計画である上に、時間的にもそんな余裕はなかった。なぜなら、「当初予定していた土地の買収交渉が思いのほか難航し、結局10月末に至って断念せざるをえないという事態となった」(高野が厚生委員会に提出した文書)からである。
 
 このため高野は新たな土地を探し、ようやく11月26日に売買契約にこぎつけた。実質的な事業計画はここから始まったのである。その後「集中的に」(同文書)市側と協議を重ね、12月13日には保健福祉部のみならず市長による事業計画決定の決裁を受けた。この間わずか2週間である。

 年間8000万円の補助金支出をともなう事業が、わずか2週間の協議で決まってしまうことなど普通はあり得まい。要望書の提出から理事者決裁までに半年以上の協議期間を要するのが通常である。しかし、りんごっこ保育園の場合、4月16日に提出した要望書が事業計画のスタートとみなされていたため、12月の段階では計画の変更として予算要求され、それが認められたというかたちになっていた。「10月末に至って断念」した計画が、新しい土地の契約によってどう継続したことになるのか理解に苦しむが、東村山市の行政手続においては「半年の協議期間を経ている」という外形が整えられたのである。

 しかしそれにしても、この事業計画が継続していたということになるのなら、平成14年10月の時点で保健福祉部が「認可園の定員変更はない」(つまり認可園の新規開設も廃園もないということ)と説明していたことは行政上の処理とは矛盾しよう。その当時、まだ土地の買収交渉が継続していたというのなら、そう説明すればいいだけの話である。しかし、りんごっこ保育園の認可計画が存在することも含め、保健福祉部はそのような説明はいっさいしなかった。

競売に付された保育園「予定地」

 おそらく保健福祉部は当時、土地の買収交渉が行われている事実さえ説明できる状況にはなかったのではないか。なぜなら、高野が平成14年4月16日に要望書を提出した時点ですでに、当初の土地を取得できる可能性はきわめて低かったとみられるからである。この土地は、高野が要望書を提出してからわずか3日後の4月19日、東京地裁八王子支部によって競売決定がなされていたのだった。

「要望書」とは市の重要な事業の決定に関わる重要書類であり、事業希望者によって記載された内容は「一定の見通し」があるものでなければならない(当時の政策室次長)。市側は提出された要望書に基づいて事業化が可能かどうか具体的な検討を行うのであり、要望書の内容がまったく見通しのないものだったとすれば、市は現実的根拠のない要望書に時間を空費させられることになるから、要望書に「一定の見通し」がなければならないのは当然である。

 高野が提出した保育園計画は東村山市の負担分だけで年間2000万円、都と国の補助6000万円、計8000万円の補助金支出を伴う事業で、いい加減な内容の要望書を提出することは許されない。それが許されるなら、東村山では他の事業でも要望の時期にとりあえず手だけ挙げて利権を確保し、実質計画を予算編成ぎりぎりまで引き延ばし、実質的な検討を免れて事業権を取得しようとする事業者が続出することになりかねまい。

 では、高野が平成14年4月16日に提出した要望書の内容は「一定の見通し」があるものといえたのだろうか。要望書の段階で仮に高野が買収交渉をしていたのだとしても、そのわずか3日後に競売決定がなされたということは、少なくともその段階で交渉は不調に終わったことを意味する。わずか3日後に競売申立がなされてしまうような交渉が、4月16日の時点で可能性のあるものだったとは考えにくかった。

 裁判所が競売決定したあとでも個別の交渉は可能である。入札開始までに交渉がまとまれば競売の申立は取り下げることができる。しかし、この土地は最終的に競売申立が取り下げられることなく10月15日から22日まで入札が行われ、最低売却価格4707万円に対して平成14年10月29日に東京都内の出版社が5320万円で落札した。高野が厚生委員会に提出した文書で説明した〈昨年4月に紹介のあった当初予定の土地買収交渉が難航し結局10月末に至って断念するという事態となった〉とはこのことを意味していたのである。つまり、高野が提出した要望書には「一定の見通し」などなかったとみるのが自然なのではあるまいか。

(第9回へつづく)

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テーマ:社会 - ジャンル:政治・経済

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