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多摩湖寿会事件 第76回
新たな証拠を提出

 平成30年5月24日に行われる尋問に先立つ1週間前、山川は新たな証拠を提出していた。

 平成28年6月26日、多摩湖寿会会長に就任した清水澄江は、「山川が会計を務めていた過去4年間の会計帳簿類を確認したところ不足金がある」として山川に対して請求書を送付した。山川はすぐに清水宅を訪ねてただちに返還する意思を伝えた。しかし、清水は「請求するまで誰にも秘密にして隠匿していたのであり、それこそ山川に横領の意思があった証拠だ」(趣旨)と主張している。

 山川が寿会の金を、わずかでも簿外で保管していたことについては山川に非があることは否定できない。しかし、清水らが請求するまで山川が1人で隠匿していたというのは事実ではなく、まして着服の意思など毛頭もなかった。

 山川は簿外で保管していた金について、それをどんな形で寿会に返還すべきか、清水が山川に請求書を送付する以前に当時会長だった加藤幸雄に相談していた。清水が山川に請求書を送付したのは平成28年6月26日で、山川が加藤前会長のところに相談に行ったのは同年6月17日のことだった。

「50周年記念行事」が目的

 平成28年に多摩湖寿会は創立50周年を迎えた。加藤が会長在任時、盛大に創立50周年記念行事をやろうということになっていた。加藤も山川も、自分たちで記念行事をやるつもりで、50周年記念行事を執行するための積み立て口座まで作っていた。しかし、平成28年4月時点で積立金は10万円にも満たず、100名の会員を抱える多摩湖寿会の記念行事をまかなうにはかなり心細い状況にあった。

 そこへ、その前年ごろ、多摩湖寿会とは別にいわば「第二多摩湖寿会」を作ろうとする動きがあるという話が山川の耳に入ってきた。それが実現すれば、現在の多摩湖寿会が分裂する可能性がある。そうなれば、50周年記念行事のための積立金も分割される恐れがある。――そう考えた山川は、記念事業のための資金を帳簿外で保管しておこうと考えたのだという。

 その行為自体は不適切といわれても仕方がない。しかし、多摩湖寿会が存続しているにもかかわらず、それまで加藤会長を中心に計画していた記念行事の計画を外部的な事情によって頓挫させたくないという思いが強かったのである。

 結果として「第二多摩湖寿会」設立の話は立ち消えになった。しかし思わぬかたちで、加藤前会長や山川が50周年記念行事を行うことはできなくなった。平成28年5月の総会で、会長をはじめとする役員の改選が提案され可決、清水澄江が会長に就任することになったのである。会計も新役員が選任された。

 加藤や山川にはまったく予期しない展開だった。しかし賛成多数では反対のしようもない。そんな、なにか割り切れない役員交代劇が起きたことで、新役員に「簿外に50周年記念行事のための保管金」があることを打ち明けるきっかけを失ってしまったと、山川はいう。

前会長の提案

 しかし、この簿外の保管金は多摩湖寿会に返還しなければならない。だから山川は平成28年6月17日、前会長のもとにこれをどう返還すべきか相談に行ったのである。

 その際、加藤前会長は「多摩湖寿会が今年迎える50周年記念の祝い金として渡したらどうか」と提案し、山川も加藤の提案に従うことで話がまとまっていた。同年6月26日に清水から請求書を受け取るより前に、山川が会長に返還方法を相談していたということは、山川には最初から横領の意図はなかったということである。

 尋問の1週間前に山川が新たに提出したのは、そのことを立証するための証拠だった。1週間前に提出したのは、当日提出したのでは相手も検討する時間がなくなるような、アンフェアな証拠提出になることを避けるためである。

当初の証言を撤回した前会長

 山川が、清水が請求書を送付するより前に加藤前会長に相談していた事実を証明するための証拠を提出したことには理由がある。

 山川が提訴した直後の平成29年2月4日、山川は上記の事実を証明するために加藤に証言を求めた。これに対して加藤は次の内容の上申書に署名してくれた。



(加藤前会長の上申書)

 私は、平成28年6月17日午後4時ころ、山川さんが自宅を訪ねてきて、「多摩湖寿会50周年の記念事業のために簿外で保管していたお金があって、寿会に返還しなければならないが、どういう名目で返せばいいでしょうか」という相談を受けたことに間違いありません。



 ところが、その日のうちに加藤から電話があった。「『平成28年6月17日に来た』というだけなら署名するが、『50周年記念事業のため』という文言があると署名できない。よく読まないで署名した。すぐ返してほしい」というのだった。

 その理由について加藤は次のように説明したという。加藤はすでに新役員には「50周年のことは知らなかった、山川が勝手にやったこと」と説明したから、いまさら清水が山川に請求書を送付するより前に保管金のことを知っていたとはいえない、と。山川は当初の上申書を加藤に返し、加藤は新たな上申書を書いた。



(加藤が新たに渡した上申書)

 平成28年6月17日午後4時頃、山川さんが寿会の件で自宅を訪ねてきたことに間違いありません。



 加藤が当初の上申書を撤回して新たに渡してくれた上申書の内容はたったこれだけだった。加藤はいまさら「50周年の話は聞いていた」などというと、「東村山には住んでいられなくなる」とまでいったという。だから、証言できるのは「自宅を訪ねてきたこと」だけだというのである。多くの団体の役職を務めていて多忙を極める山川が、何の用件もなく加藤の自宅を訪ねるわけがないのだった。

 山川はたまたま、最初の上申書をコピーしていた。あとになって加藤が事実を証言することを拒否したため、山川はやむなく、加藤が渡してくれた上申書に加えて、加藤が撤回した最初の上申書をセットにして裁判所に提出した。

 それに対して加藤は、平成29年9月15日付陳述書でも、撤回した上申書について、山川から「これを書いてくれないと裁判所に来てもらわないといけなくなる」などと脅され、また当時体調も悪かった上に、寒かったので早くすませたい一心で安易に署名捺印してしまったなどと供述していた。

 このため山川は、平成28年6月17日に加藤宅を訪ねたのは、50周年記念事業のための保管金をどう返還したらいいか相談するためだったことを改めて立証するために、新たな証拠を提出したのである。

 午前10時15分、尋問はその加藤から始まった。

(つづく)
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