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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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多摩湖寿会事件 第78回
保身を優先

「多摩湖寿会会長の清水澄江から、会計に不足金があるとして平成28年6月26日に請求書を送付されるより前に、簿外で保管していた寿会の金をどう返還するかについて寿会前会長の加藤幸雄に相談していた」

 ――山川は着服の意図を否定してこう主張している。この点について、山川に証言を依頼された加藤は、当初、山川が主張を裏付ける上申書に署名捺印して山川に手渡した。山川は、清水から不足金の請求をされるより前に上記の保管金の返還方法について前会長に相談していた事実を裏付けることで、その保管金が着服を目的としたものではないことを立証しようとしたのだった。

 ところが前会長は、いったん認めていた上記の相談に関する内容をすべて撤回し、「平成28年6月26日に山川が来た」というだけの内容なら署名してもいいとして、上申書を改めて作成した。加藤はその際、山川に対して「もう大野さんに、保管金のことは知らなかった」と話してしまったから、最初の内容の上申書を提出すれば「東村山に住んでいられなくなる」などの個人的事情を訴えたという。

 要するに、「山川は最初から保管金と称する金を着服するつもりで、誰にもいわずに隠匿していたのだ」とする清水の主張に合わせないと、この先どんな目に遭うかわからないから、清水の主張に背き、清水を裏切る内容の証言をすることはできないということのようだった。事実なら、加藤は真実ではなく、わが身の安泰を選んだということになろうか。

 しかし清水の代理人による尋問に対して、加藤はもちろんそんなことはいわず、「最初、よく読まないで署名したが、あとでよく読んだら事実に反する内容だったので撤回した」と供述。山川が保管金をどう返還すればいいか相談に来たという事実を否定したのだった。

用件は「覚えていない」

 簿外で保管していた金の返還方法について、山川が清水澄江から請求書を送付するより前に前会長に相談したかどうかに関しては、山川本人からも尋問している。



(「山川は清水から請求書を送付されるより前に加藤に相談していたか否か」に関する反対尋問①)

山川  私は、最初に6月の17日(筆者注=平成28年)にはお伺いいたしましたときに、袋を見せて、確かに総会のときに終わってから引き継ぎしたものではなく、袋に50周年として用意してたものがあるけれども、これは返すきっかけを失っちゃったのでどうしましょうかというふうに相談しました。加藤さんのお宅へ、奥さんもいらっしゃるところでお話ししましたよね。

加藤  いえ、来たことだけは認めます。ただし、50周年については認めるわけにはいきません。



 再確認すると、この平成28年6月17日に山川が加藤前会長宅を訪ねた理由について、加藤は平成29年2月4日、山川に渡した最初に上申書で次のように証言している。

「私は、平成28年6月17日午後4時ころ、山川さんが自宅を訪ねてきて、『多摩湖寿会50周年の記念事業のために簿外で保管していたお金があって、寿会に返還しなければならないが、どういう名目で返せばいいでしょうか』という相談を受けたことに間違いありません。」 

 加藤はこの上申書の記載のうち、「来たこと」だけは認めるというのである。山川はさらに、この日のやり取りについて次のように述べた。



(「山川は清水から請求書を送付されるより前に加藤に相談していたか否か」に関する反対尋問②)

山川  会長のほうから、簿外でためてたのはかっこ悪いから、50周年の祝い金として返そうやとおっしゃったので、私は(筆者注=清水会長から)呼ばれていったときに、封筒に50周年祝い金として、さらに10万近いお金を足して30万と書いて御用意して行きました。それは、その後、会長がこのことを知っていれば、言ってくだされば全て解決できる問題だと思って、ずっと私は会長を守るような気持ちで何も言わないでまいりました。

ここで裁判長が山川の発言を遮り、加藤に聞いた。)

裁判長  今原告が言われた経過というのは事実としてあったんですか。

加藤  来たことは認めます。ただし、来た内容についてはよく覚えていません。



 加藤は、平成28年6月17日に山川が自宅を訪ねてきたことは覚えているが、どんな用件だったか、その内容は覚えていないという。そんなことがあるのだろうか。

不可解な供述

 平成29年9月15日付陳述書によれば、加藤は、山川が署名を求めた上申書が裁判所に提出するものであることを認識していた。最初の上申書に署名捺印した時点で、加藤が上申書の内容を読んでいなかったという言い訳が通用するのだろうか。少なくとも、加藤が最初の上申書に署名捺印した理由について「体調が悪く、寒かったために、用事を早く済ませたい一心で内容をよく読まなかった」(趣旨)と供述していることには疑問があると言わざるを得ない。

 むしろ加藤が、いったん山川に渡した最初の上記上申書を撤回したということは、少なくともその時点で、平成28年6月17日に山川が自宅を訪ねてきた理由を認識していたということを示している。加藤は最初の上申書を山川に渡したあと、山川が来訪時に話していた内容を思い返し、上申書の内容が「大野に話してしまったことと違う」ことに気が付いたのだろう。

 山川に渡してしまった上申書が裁判所に提出されれば、それは清水にとって不利な証拠となる。そうなれば、今度は自分が清水から責められる――加藤はそう考えたのだろう。

 加藤が最初の上申書を撤回するまでには、山川の来訪時の話の内容だけでなく、自分が大野に話していた内容も思い出すという経過があった。わずか1年半前の出来事である。加藤は裁判官の質問に対して「来た内容についてはよく覚えていません」と答えた。そこまでの経緯がありながら、「覚えていない」という加藤の供述は不自然に思えてならない。

(つづく)
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