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著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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議席譲渡議員の退場 2
有権者に対する重大な裏切り

 直子が当選を辞退し、次点で落選した矢野の繰り上げ当選を企てること自体、通常の誠意ある候補者になしうる発想ではないが、さらにその後の矢野と朝木直子の動きこそ、常識を超えた彼らの特異な本性をまざまざと物語るものだった。それがどれほど自己中心的かつ反社会的な決断であろうと、1度こうと決めたら絶対に曲げず、いかなる非難を浴びようといっさい自らの非を認めず、顧みることがないというめったにみない自尊心の塊である。

 その自尊心の塊が落選した矢野を救済する方法はないかと考え抜いた末に出した結論が、4位当選した朝木直子が当選を辞退して欠員を生じさせ、矢野を繰り上げさせるという方法だった。立候補者は当選すれば必ず議員として市民のために働くものという当然の市民との信頼関係を無視すれば、きわめてわかりやすい方法である。

 しかし公選法には、選挙に立候補した者が辞退できるのは公示日までであり、公示日以後の立候補辞退および当選の辞退を定めた規定はない。公職の選挙に立候補するということは、市民の投票行動の選択肢に加わるということであり、いったん公職に立候補すればその時点で社会に対する責任を負うことになる。公職に立候補するとは、当選すれば議員としての職責を最後まで果たすという社会に対する意思表示なのである。

 公選法の規定は、立候補者と有権者との間の信頼関係を前提としている。したがって、当選後に当選を辞退してしまうとは有権者に対する重大な裏切りであり、公選法の前提となっている立候補者と有権者との間の信頼関係を根底から脅かすものというほかない。

東村山市選管の判断

 仮に当選後の当選辞退などというものが容認されれば、落選者が繰り上げ当選を目的に当選者を買収して当選者を交代させたりするケースも起きよう。こうなるともう、選挙が選挙民の意思を反映したものとはいえなくなる。民主主義の崩壊である。

 だから公選法では公示後の立候補辞退と当選の辞退は許されていない。当選者の身にやむを得ない事情が生じて議員としての職務を全うできなくなるケースもあり得ないことではない。しかしその場合でも、当選者はいったん議員となった上で、辞職を申し出るしかない。その上で、議会はその辞職願を承認するかどうか検討し、辞職がやむを得ないという結論に至って初めてその議員の辞職が認められることになる。

 いったん公職に立候補した者はやむを得ない事情が生じた場合でなければ、個人的な都合で辞職することはできず、辞職を申し出られた側も、それをただちに容認することもできない。最後は、市民の代表である議会の判断に委ねられる。議会が辞職やむなしの結論を下せば、それは市民の承認を得たということになる。選挙があくまで民意が優先される仕組みになっていることがわかろう。いったん公職に立候補した者は、落選者を除けば、議員となった上で議会の議決を経て議員を辞職する以外に私人に戻る途はない。

 平成7年4月に朝木直子と矢野穂積は本当にこんなことをしたのかと疑う読者もいるかもしれない。しかし、当選した朝木直子が民意を無視して落選した矢野に当選を譲ろうとする事件が東村山で起きたことはまぎれもない事実なのである。

 当選が決まってから3日後の平成7年4月26日(「当選を辞退する」旨の記者会見を行った当日)、朝木直子は母親でトップ当選を果たした朝木明代とともに東村山市選管を訪ね、口頭で当選の辞退を申し入れた。明代がこのとき、東村山市議である母親の自分が娘の当選辞退を認めるのだからいいではないかと考えていたとすれば、重大な勘違いか傲慢というほかない。少なくとも、明代が直子に付き添ったのは、それなりの威圧を与えて、市選管を従わせようとする意図だったようにみえる。

 当選辞退の申し出に市選管が当惑したことは想像に難くない。しかし市選管は、公選法の規定に従い、直子の申し出を受理しないという結論を下した。マスコミにアピールしたり、明代が付き添ったりという揺さぶりに動じることなく直子の申し出を受理しなかった市選管は、この時点では十分に市選管としての職責を果たしたといえる。

草の根市民クラブの本領

 仮に他の政治グループが同様のことを思いついたとしても、市選管から当選辞退はできないといわれれば引き下がっただろう。しかし矢野と朝木直子らはそうではなかった。「草の根市民クラブ」による譲渡事件はむしろこれからが本番だった。

 東村山市選管から当選辞退の受理を拒否された直子は、今度は東村山市役所に出向き、千葉県松戸市の住所に転出届を提出した。市選管から当選辞退が受理されない場合を予想し、次の手段を用意していたものと思われた。

 直子は転出届を携えて松戸市役所に行って転入手続きを済ませたあと、再び東村山市役所に戻って転出証明書を入手した。さらにその後、直子は明代をともない、再び東村山市選管を訪ね、その転出証明書とともに新たな当選辞退届なる書面を提出したのである。最初に東村山市選管を訪ねて口頭で当選辞退を申し入れたあと、直子はここまでの行為を1日でやってのけたことになる。

 朝木直子が平成7年4月26日付で東村山市選管に提出した「届出書」と題する文書には次のように記されていた。

「私は、本日付で別紙の通り右住所に転出し、東村山市議会議員の被選挙権を失ったので、右届出ます。

 なお、本年4月24日付で、同年4月23日執行の市議会議員選挙の当選の告知を受けましたが、私は当選の承諾をしないので、念のため、右申し添えます。」

(つづく)
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