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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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議席譲渡議員の退場 6
生活上の理由なき転出

 直子が「松戸に転出したので東村山市の被選挙権を喪失した」として東村山市選管に届け出た翌日の4月27日夜、東村山の自宅にかかってきた市民からの電話に対応したのは直子自身だった。4月26日に松戸に転出したはずの直子が東村山の自宅にいたとは不自然だった。

 そもそも、矢野と直子による議席譲渡は、直子が松戸に転出したことが原因で起きたことではなく、「次点で落選した矢野を繰り上げ当選させること」を目的に企図されたものであることは、4月26日に「草の根市民クラブ」が行った記者会見の内容からも明らかだった。直子と矢野は次のように述べている。

「(矢野さんに)繰り上げ当選してもらうために辞退することにした」(直子)

「われわれの政策を実現するためには、次善の策とはいえ、こうするしかない」(矢野)

 直子には矢野に議席を譲るという目的が最初にあった。その目的を果たすために市選管に当選の辞退を申し出たが認められなかった。このためやむなく、松戸に転出して東村山の被選挙権を自ら喪失させることで矢野の繰り上げ当選を実現させようとした――ということだった。つまり、松戸への転出は矢野に当選を譲るためであって、直子の側に松戸で暮らさなければならない事情があったわけではないということである。

 そう考えると、松戸で暮らす必然的な理由のない直子が、転出届を提出した翌日に東村山の自宅にいたとしても不思議はないということになろうか。この事実は、4月26日に松戸に転出したとする朝木直子の届け出が、生活上の理由ではなく、矢野を繰り上げ当選させるためにたんに転入届を出しただけの、実体のないものだったのではないかとの疑念を生じさせるものだった。

「転出先」の証言

 さらにその後の平成7年5月25日、矢野らの議席譲渡に反対する市民で結成された「『草の根グループ』の議席の私物化を許さない会」(以下=「許さない会」)が行った調査で、直子の松戸への転出の事実に関する新たな事実が判明した。

 直子の転出先の住所には白い二階建ての一軒家が建っていた。どう見ても、一人暮らし向けの建物ではない。それどころか、その家の郵便受けには「福永」という名前が表示されていた。直子が転出届を出す以前から、ここには福永という人物が住んでいたのである。

「許さない会」が調査を進めると、この一戸建ては大統や福永が務める会社の社宅だということだった。この家には朝木直子の父親である朝木大統の住民票があることがわかった。大統はそこに住んでいるわけではないが、なぜか住民票だけを置いていたようだった。

「許さない会」のメンバーが直接この家を訪ねると、女性が出てきてこんな説明をしたという。

「直子さんがこの家に来たのは5月3日で、1週間ほどいて出ていきました」

 直子が松戸の福永の家に来たのが5月3日だったのなら、東村山市選管に転出証明書を提出した翌日の夜になっても、まだ東村山の自宅にいたとしてもなんら不思議はなかった。

 仮にこの松戸にある父親が勤務する会社の社宅に直子が住むつもりがあったとして、実際にこの家に行ったのが5月3日だったのなら、直子はなぜ4月26日の1日のうちに東村山市役所と松戸市役所の間を往復するような離れ業を演じる必要があったのか。

議員任期の始期との関係

 その理由は、議員任期の始期と大きな関係があったのではないかと推測する。東村山市議の議員任期の始期は5月1日である。いったん議員任期が始まって直子が議員になってしまうと、矢野に議席を譲りたいと思って松戸に住所を移したとしても、今度は自動的に辞職ということにはならない。住所移転したことによって東村山の被選挙権を失ったとしても、直子の辞職については東村山市議会の議決を経ねばならない。

 矢野に議席を譲ることを目的として住所移転したことが明らかということになれば、東村山市議会が簡単に辞職を認めるとは思えない。むしろ、問題がさらに拡大することは必至である。

 だから直子は、議員任期の始期の前に矢野の繰り上げ当選が決まるように、1日でも早く東村山から他の自治体に転出することを考えた。平成7年4月は、29日が祝日の土曜日で30日は日曜日だった。

 すなわち実質的に直子の当選が取り消される猶予は27日と28日の2日間しかなかった。市選管が直子の転出届を提出した事実を確認し、自治省等に判断を仰ぐと想定すれば、4月26日は市選管が矢野の繰り上げ当選を決定するにはギリギリのタイミングだった。

 だから直子は26日の1日のうちに東村山市役所と松戸市役所の間を往復したのだった。直子と矢野の目論見どおり、東村山市選管は4月27日、翌28日に矢野の繰り上げ当選を決定するための選挙会を開催することを決定したのである。

 ただ、転出届を出すにはデタラメな住所というわけにはいかない。しかしそれを探すにはそれなりの時間を要する。どうするか――。

 そんなときに思いついたのが、父親の大統が住民票を置く社宅の存在だった。――こういうことではなかっただろうか。それなら、引っ越し先を探す必要もない。いったん転出届を出しておけば安心で、本当の引っ越し先は後でゆっくり探せばいいということだったように思える。

4月27日付の契約書

 そのことを裏付ける1通の契約書が存在する。矢野の繰り上げ当選を決定するための第2回選挙会が行われる2日前の5月9日、直子は松戸市内の別の場所に再び住所移転を行っている。契約書とはこの新住所にあるマンションの賃貸契約書である。

 その契約書が貸主との間で交わされたのは「平成7年4月27日」となっている。なんと、直子が松戸の父親の会社の社宅への転出届を提出したのが4月26日だから、早くもその翌日には別のマンションの賃貸契約を交わしていたのである。この事実をどう評価すべきだろうか。

(つづく)
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