FC2ブログ
ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

プールマン

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

「東村山」の民主主義汚染を検証する 第1章 遺族の主張とメディアの報道  第6回
矢野からの電話で認知

 明代の転落現場の現場検証は95年9月2日午前7時ごろから始まるが、東村山署内では転落した遺体が明代なのかどうか、遺族による確認などの手続きが行われた。身元確認は遺族や関係者しかできないのである。

 身元確認をするには遺族に連絡を取る必要がある。通常は所持品などの手がかりを頼りに警察の方から遺族にするのだが、明代の場合には別の経緯によって遺族に情報が伝わったようである。

 東村山署が東村山駅前のビルから転落し、死亡した女性が明代かもしれないと認識した経緯についてあらためて振り返っておこう。

 95年9月1日午後10時40分、東村山駅前交番から「駅前のビルで重傷の女性。身元は不明」との通報。9月2日午前0時30分、矢野から刑事課に「朝木明代議員が昨夜の9時過ぎから行方不明になっている」との電話が入ったことで、東村山署は昨夜に通報のあった女性が明代の可能性があると判断し、明代の顔を知る刑事が現場に向かった。

 通報から2時間近くがたっており、現場はすでに救急隊が女性を防衛医大に搬送したあとだった。このため刑事は交番に立ち寄り、通報した巡査から発見当時の状況を聴取した。刑事は、ハンバーガー店の女性アルバイト店員が女性に「大丈夫ですか」と聞くと「大丈夫です」と答え、「救急車を呼びましょうか」と聞くと「いいです」と断ったこと、また発見者から話しかけられるのがいやそうな様子だったことなどを確認。刑事は明代が万引き事件でアリバイを主張したものの、それが崩され、書類送検されたことをよく知ってもいたから、明代は「自殺をはかったようだ」との感触を持った。

 刑事は9月2日午前1時過ぎに防衛医大に到着。明代が死亡したことを確認すると、副署長の千葉に連絡し、千葉はただちに東村山署に向かった。

 防衛医大で遺体の縫合等が終わったあと、刑事は葬儀社に棺を手配し、遺体を東村山署に運んだ。不審死の場合は検死が必要で、いったんは警察署に運ぶ必要がある。その場合、遺体をそのまま運ぶわけにはいかない。遺体に敬意を払うという趣旨もあり、死亡場所から検死を行う場所まで遺体を棺に入れて運ぶのはごく普通のことである。

再び矢野からの電話

 明代の遺体が東村山署に向けて出発したあとの午前2時30分ごろ、再び矢野から東村山署に通報があった。

「朝木の自宅前に不審な車が停まっている。朝木の行方不明と関係があるかもしれない。すぐに来てほしい」

 のちに、この車の主は、飲み屋の女性を待っていただけで、明代とは何の関係もないことが判明しているが、矢野から電話を受けた当直の警察官は、矢野にこう伝えた。

「矢野先生ですか。昨夜11時すぎに防衛医大に運ばれて亡くなった女性がいます。朝木先生かもしれないので署まで来てください」

 明代の遺体が東村山署に到着したのは午前3時過ぎだった。

 変死の場合、遺族による身元確認と遺体の引き渡しは死体検案のあととなる。死体検案とは警察医による死因の確認作業で、自殺他殺の判断を含む。よって、検案前に遺族に引き渡せば、遺体に手を加えられる可能性がないとはいえないからだった。午前4時過ぎから警察医による死体の検案が行われ、千葉も立ち会った。死体検案書には「直接死因」として「出血性ショック死」と記載され、自殺他殺の判断はなされていない。

 遺族による身元確認は午前5時から約10分間、明代の夫である朝木大統、直子、直子の妹と弟、それに矢野、遺族関係者によって行われ、遺体が明代であることが確認された。このときはじめて、「明代が東駅前ビルから転落し、死亡した」との事実が確定したのだった。

遺族が司法解剖を強く希望

 通常、不審死の場合でも、明らかに事件性がないと判断される場合には、遺体の解剖は行わない。明代の場合も、発見時に被害を訴える言葉がなかったこと、救急車を断ったこと、防御創など他人と争ってできたと思われる創傷がなかったことなどから、東村山署は「自殺」と判断しており、解剖の必要性を認めていなかった。

 ところが、遺族は解剖を強く希望して譲らなかった。このため東村山署は任意の行政解剖を行う判断をしたが、遺族が「聖マリアンナ医科大病院で解剖してほしい」などと言い出した。遺族が希望する病院で解剖を行った場合、中立性が損なわれる可能性がないとはいえなくなる。

 このため東村山署は検察官の判断を仰ぎ、強制力を持つ司法解剖に切り換えざるを得なかった。司法解剖なら、正確性を期するため、検察官は遺族の要望によるのではなく、検察官の判断で信用と実績のある医師に解剖を依頼することができるのである。

 司法解剖は検察官が裁判所に司法解剖申請を行い、裁判官が必要と認めて許可を出した場合にのみ可能となる。明代の司法解剖は「殺人被疑事件」として行われたが、「事件性なし」では裁判所から解剖許可は下りない。このためやむなく、検事は「殺人被疑事件」として申請書を提出することにした。

検察官による検死の判断

 司法解剖に先立って、午前7時過ぎからは検事および千葉の要請によって警視庁本部から派遣された検死官による検死が行われた。警察医による死体検案と異なるのは、検死は検事が遺体を見ることによって犯罪性の有無(死因ではなく)を判断するものであるという点である。

 通常の変死の場合だと、検死は担当刑事と警察医によって行われ(代行検死)、警察署上層部にその報告がなされて終了となることが多い。しかし明代のケースでは、千葉は事後にどのような事態に発展するかわからないと判断し、検察官と本部検死官の立ち合いを要請し、万全を期したのだった。

 検死が始まった時間帯には転落現場の鑑識活動も行われた。検察官は現場の状況と遺体の状態を照らし合わせて判断を行った。その結果、検察官が下した結論は「犯罪性はない」というものだった。

(つづく)
関連記事

TOP