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著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「東村山」の民主主義汚染を検証する 第1章 遺族の主張とメディアの報道  第10回
直子が変化したきっかけ

 矢野は95年9月1日午後11時11分、同午後10時33分と同じ局番の電話番号に電話をかけている。その通話時間は6分12秒と比較的長い。この電話もまた直子にかけたものであり、その内容は「明代は何者かによって拉致された」とする趣旨のものだったのではないか――。そう推測させるのが「11時過ぎから直子は『母は拉致されたようだ』」といい始めたという弟の証言である。

 直子が午後11時過ぎになってそれまでいっていなかったことをいい始めたということは、明代に関する直子の認識にそのころなんらかの変化、きっかけがあったということである。その内容も、たんに母親の身を案じていただけだった直子が急に「母親は拉致されたようだ」といい始めたというのだから、天と地ほどの違いである。家にずっといた直子に、外部からの情報あるいは働きかけが何もないまま、これほど大きな認識の変化が生じるとは考えられない。

 直子の認識を大きく変化させた原因は何だったのか。それが、午後11時11分に矢野からかかってきた電話だったのではないか。そう推測しても、それほど突飛とはいえないだろう。

 その電話によって、「明代は何者かに拉致された」という共通認識が矢野と直子の間に出来上がったと考えれば、矢野がマスコミに配布したメモに「2時30分ころ 不審車と朝木がつれさられたと110番」と記載されたことも納得がいく。「拉致された」という共通認識があったことで、何でもない駐車車両が「不審車」となり、「拉致」に関係ある車として扱われたということだろう。少なくともこの時点で、直子が「母は拉致された」と認識していた(本気かどうかは定かではない)ことは事実であり、弟の証言がほぼ裏付けられる。

 95年9月1日午後10時30分、直子から「東村山署に母の安否を確認してほしい」とする電話を受けた矢野は、東村山署には連絡せず、同10時33分、直子には東村山署に連絡したと偽って「何も情報は入っていない」と報告した。それから1時間もしないうちに、矢野と直子の間では「明代は何者かに拉致された」という共通認識が出来上がっていた。この事実から類推できるのは、この短時間のうちに矢野が「明代は何者かに拉致された」というストーリーを作出したということである。

大きな賭け

 9月2日、矢野がマスコミに配布した「朝木明代殺人事件の経過」と題するメモには、「明代は拉致された」という文言は出てこない。しかし、文書に出てくる「殺人事件」、「突き落とされる」「不審車と朝木がつれさられたと110番」の文言がマスコミの注目を集めることは間違いなかっただろう。

 メモの内容はどうみても「事件性は薄い」とする東村山署の判断とは真っ向から対立する内容であり、当然、記者会見では上記の文言に関して質問があるだろうことは予測できた。矢野にはとりわけ「突き落とされる」とする文言に関して、マスコミに配布したメモ以上の、説得力のある説明が要求されるだろう。はたして矢野の主張はマスコミにどう受け止められるのか。矢野にとっては大きな賭けだったのではあるまいか。

恐るべき特異性

 9月2日付け全国紙夕刊や9月3日付全国紙朝刊の記事をみると、「明代が万引きで書類送検されていたこと」、「救急車を断ったこと」など、東村山署の広報に基づいて全体として「自殺」ではないかと事実を冷静に伝えている。「矢野市議の話」を比較的丁寧に取り上げたのは9月3日付『朝日新聞』と「自殺するはずない」とする関係者の声を見出しに掲げた同日付『東京新聞』である。

『朝日新聞』は「矢野市議によると」として、9月1日の明代の行動を次のように伝えている。

「1日午後は書類送検された窃盗容疑事件で弁護士と打ち合わせをしたあと、7時前(筆者注=19時前)、東村山市内の事務所に2人で行った。矢野氏が外出し、9時過ぎに戻ると朝木氏の姿はなかった。」

 この記事の後段部分は、部分的には事実である(「部分的」というのは、矢野がそれ以後、明代が転落死するまでの間に明代とは会っていないという証拠はないということである)。前段は、明代が「自殺するような雰囲気はなかった」と印象付けようとするものと思うが、それが事実であることを裏付ける証拠はない。

『東京新聞』の「矢野市議の話による」記事はかなり詳細である。

「1日午後9時すぎに矢野市議が同市本町の事務所に帰ってきた時、朝木市議のワープロはふたが開き原稿が書きかけの状態で、部屋のクーラーもつけっぱなし。朝木市議からは午後9時15分ごろ『ちょっと気分が悪いので少し休んでから(事務所へ)行きます』と元気のない声で電話が入ったきり連絡が途絶えたという。

 矢野市議によると、朝木市議は3日に高知市で講演するため2日夕には出発する予定だったという。矢野市議は『自殺する気配など全くなかった。殺人事件ではないか』と話している。」

「自殺する気配など全くなかった。殺人事件ではないか」とする矢野のコメントを生のまま掲載している点に違和感を覚える。『東京新聞』はさらに「自殺などするはずがない」とする明代の「後援者」のコメントと、議席譲渡事件以来草の根市民クラブを批判していた市民の「逃げ場がなくなったのだろう」とするコメントを併せて掲載している。『東京新聞』は最後に「自殺」を肯定する市民のコメントを掲載してバランスを取ったが、一般紙としてはめずらしく全体として「自殺」を否定する印象が強い記事である。

 東京新聞の当時の記事に論評を加える意図はないが、矢野が事務所に戻ってきたときの室内の状況を、矢野が主張するまま、この時点でここまで詳細に取り上げる必要があったのだろうか。矢野のこの説明が、「自殺するはずがない」ことを主張しようとするものであることを記者は感じたはずである。その上で記事化する判断をしたということだろう。

 この『東京新聞』と『朝日新聞』の記事は9月2日に取材したものだから、矢野には記者会見の時点でマスコミに配布したメモ以上の詳細なストーリーが出来上がっていたということになろう。恐るべき特異性というべきである。

 だが、それ以上に恐ろしいと痛感させられるのは、明代は万引き事件で書類送検されていた事実があり、東村山署が転落現場の入念な捜査と司法解剖までした結果として「事件性は薄い」と発表しているにもかかわらず、それでもなお矢野が、最終的に「自殺」を否定する状況説明をいっさいの疑いも差し挟まない形で一般紙にまで掲載させたということではないだろうか。もちろん、記者会見に集まった記者たちは、東村山署による事務所への立ち入り調査を矢野が拒否した事実など知る由もなかった。

(つづく)
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