FC2ブログ
ブログマガジン エアフォース
ブログで興味深い記事を公開していきます。
著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

最近の記事

カテゴリ

プロフィール

プールマン

Author:プールマン

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

リンク

QRコード

QR

FC2カウンター

「東村山」の民主主義汚染を検証する 第1章 遺族の主張とメディアの報道  第13回
説明と矛盾する記録

 95年9月1日、明代は午後に東京都庁に出向いて陳情書を提出し、その後、東京地検の取り調べに備えて弁護士に面会に行くなどしており、書類送検されたことで弱気になった様子はいっさいなかった――矢野と直子はそう説明している。しかし、その説明はどうやら「明代には自殺する動機も、そのような素振りもなかった」ことにするための巧妙な作り話だったのではないかと推測できる事実が明らかになった。

 矢野が東京都庁に行き、弁護士と面会した事実はあるのかもしれないが、少なくとも明代は同行していなかった。そのことを裏付ける結果となった根拠は、矢野自身が法廷に提出した95年9月1日の朝木宅の電話発信記録である。

 矢野はこの記録を、同日夜、連絡の取れなくなった明代の安否を確認するために東村山署に電話したと主張するための証拠として提出した。これまで検証してきたように、東村山署の記録および彼ら自身が主張する電話の内容と回数からすると、9月1日夜に矢野が東村山署に電話した事実はないこと、つまり矢野は上記の点に関して嘘をついていることは明らかだった。矢野は自ら率先して提出した電話発信記録によって、自分が虚偽の説明をしていることを明かしてしまったのである。

 その電話発信記録は矢野や直子が別の点においても事実と異なる説明をしていることを示していた。どういうことか。明代が東京都内に出かけたと矢野が説明する午後の時間帯に、朝木宅の電話から14:50〜15:19の間に6件の発信があったことが記録されていたのである。

重要さを持った弟の証言

 最初に確認したとおり、少なくともこの日の午前中、朝木宅には明代と直子の弟の2人がいた。すると、明代の行動に関する矢野と直子の説明によれば、14:50〜15:19の時間帯にはもう明代は不在だから、まだ自宅にいた弟が6回電話を使ったということになる。

 ところが弟は、矢野がこの電話発信記録を法廷に提出する以前に、東村山署が行った事情聴取で9月1日の行動を聞かれた際にこんな証言をしていたのである。

「9月1日は自宅から1度だけ電話をかけた」

 と。弟は夕方、姉の直子と父親の大統を松戸市まで車で迎えに行くことになっていた。上記の6回の発信記録のうち14:50と15:19の発信先は「千葉」で、通話時間はそれぞれ「1分20秒」と「6分23秒」である。

 弟は出発時刻が近づき、待ち合わせの時間と場所を確認するために松戸のアパートに住む姉の直子に電話をかけたと考えても不自然ではないだろう。その電話が上記のどちらであるのかを確定することはできないが、時間と場所の確認だけなら1分20秒もあれば足りるのではないだろうか。

 いずれにしても、弟の証言によれば、この2本の電話のうちの1本は弟がかけたものではない。ではこの電話をかけたのは誰なのかといえば、明代以外にはあり得ないのである。

 矢野と直子によれば、明代は昼過ぎに東村山から東京都庁に向かい、弁護士に面会して東村山に帰ってきたのは午後7:00ごろであるという。一方で、朝木の自宅の電話発信記録には、同じ時間帯に明代が自宅にいたのだと考えなければ説明し得ない記録が存在した。電話発信記録という客観資料と、なんら証拠もない矢野の主張のどちらかに信用性があるかは誰が考えても明らかである。

揺らぐ矢野と直子の説明

 それだけではない。もう1つ、矢野と直子の説明に反して明代がその日にはずっと東村山にいたことをうかがわせる直接的な目撃談があった。

 明代の姿を見かけたのは万引きの被害者である洋品店の女性店主である。店主によれば、9月1日の午後2時から3時ごろ、店先の、ちょうど明代が万引きをしたあたりに、しばらくじっと佇んでいたという。

 万引き事件で最初の取り調べを受けた後、明代が店内に入ってきて、女性店主に不敵な笑みを投げて黙って出て行ったことがあった。明代は被害者を威圧して被害届を取り下げさせようと企んだのだろう。しかし、被害者が脅しに屈することはなく、東村山署は被害者に対する悪質な威迫行為と判断した。

 被害者に対する脅しも矢野と共謀したアリバイ工作にも失敗し、書類送検された明代は、マスコミや支持者らに対しては冤罪を主張していたものの、内心ではどうあがいても逃げ場がないことをよくわかっていただろう。それでも東京地検から実際に出頭命令が来るまでは、まだ現実から目をそらすこともできた。自分が書類送検されたことを何かの間違いだったとして忘れてくれないだろうか――そんな甘い期待もどこかにあったかもしれない。

 8月末、そんな明代宛に東京地検八王子支部から1通の書類が届いた。9月5日に出頭するよう命じる内容だった。いかに強気を装っていても、さすがに来るべきものが来たこと、いよいよわが身が追い詰められていることを明代は悟っただろう。

 マスコミに対して冤罪を主張していたから、起訴されて有罪になれば、これまで以上に大きく扱われることは十分に予測できた。そうなれば、当然、明代のアリバイ主張の口裏合わせをした矢野の責任も厳しく追及されることも明代には十分予測できただろう。

 自分が犯罪者、泥棒の烙印を押されることから逃れる方法は2つしかない。1つは、アリバイを証明する証拠を探し出し、無実を証明すること。もう1つは、つまらないプライドを捨てて被害者に心から謝罪し、被害届を取り下げてもらうことである。

 2つの選択肢のうち、アリバイの証明(レシートを入手すること)に関してはすでに前日、びっくりドンキーまで行ったものの、やはり最初からあるはずがないとあきらめていた。そのことは、明代自身がよくわかっていただろう。明代に残された選択肢は被害者に謝罪して被害届を取り下げてもらうことしかなかった。

 明代はそう考えたのだと思う。9月1日午後2時から3時にかけての時間帯だった。店番をしていた女性店主は、店先のちょうど明代がTシャツを抜き取ったあたりに、見覚えのある女性がたたずんでいるのに気がついた。明代だった。

 今度はどんないいがかりをつけてくるのか――女性店主は明代の動きにさりげなく注意していた。しかし明代は、しばらく店主の方を見ていただけで店内には入らず、何もいわずに立ち去ったという。

 6月19日に万引きした明代を問い詰めて以来、何度も目の前で明代を見てきた女性店主が、9月1日に店先にやってきた明代を見間違えることは考えにくい。女性店主の証言は、朝木宅の電話発信記録と弟の証言とも矛盾しない。9月1日午後2時から3時ごろ、明代が東村山にいたのであれば、同じ時間帯に都内で弁護士と面会することは不可能ということになる。

(つづく)
関連記事

TOP