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著書紹介

民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「東村山」の民主主義汚染を検証する 第1章 遺族の主張とメディアの報道  第14回
2つの証言の信憑性

 朝木宅の電話発信記録と弟の証言、および女性店主の証言は、95年9月1日午後、明代は東京都庁で用事を済ませたあと都内で弁護士と面会していたとする矢野と直子の主張を根底から否定するものである。では、その信憑性はどうだろうか。

 弟が姉や矢野の説明をあえて否定する内容の証言をする理由はなく、電話発信記録の内容を把握した上の証言でもない。その後、弟が警察の捜査に異を唱えるなどした事実がないところをみても、弟の証言は何の思惑も計算もなく、自分の経験した事実を率直に証言したものであると判断できる。

 矢野と直子の説明によれば、9月1日午後の電話発信記録はすべて弟がかけたものということになるが、「1回だけ電話をかけた」という弟の証言は具体的であり、その証言を覆す具体的かつ客観的な証拠が出てこない限り、弟の証言の信用性が揺らぐことはない。電話発信記録に関していえば、矢野が警察に電話した時間をごまかしていることを考えれば、むしろ彼らの説明の方こそ信用できないというべきだろう。

 一方、女性店主の目撃証言は、前日の明代の様子(市長の車にはねられそうになったこと、びっくりドンキーのレジで青白い顔をしていたこと)からみて不自然なものではなく、むしろ前日と変わらず明代の精神状態が深刻な状況にあったことを推測させる。犯行を否認することはもうできないことを悟っていた明代は、女性店主に謝罪しようと店までやってきた――そう考えることも不合理とはいえまい。

 ただ、店主に謝罪するということは矢野の方針に逆らうものだった。だから明代は謝罪に踏み切れなかったということではないだろうか。今となっては明代が被害者の店を訪れた理由を確認することはできないが、電話発信記録という客観的資料の存在と合わせて考えると、転落死を遂げた95年9月1日、少なくとも明代はずっと東村山にいたこと、また明代が店にやってきたとする被害者の証言の信憑性は高いといえる。

明代の本心を語る矢野の発言

 明代が本心では謝罪したいと考えていたのではないかとみられることは、矢野が9月2日になって東村山署に電話した際に警察官に漏らした発言からもうかがうことができる。矢野は対応した警察官にこういった。

「市議の矢野です。昨日の午後9時15分ころ事務所に朝木さんから電話が入り、体の具合が悪いので、少し休んでから行く、といって電話が切れたのですが、この時間になっても来ないものですから、そちらに行っていないかと思って電話を入れたのです」

 明代がいつまでたっても事務所に来ないからといって、それだけで矢野はなぜ明代が「東村山署に行く可能性がある」と思ったのか。それも9月1日の夜に。

 東京地検八王子支部による取り調べを数日後にひかえていた明代が、東村山署に用があるとすれば、警察を通して被害者に謝罪の意を伝えてもらうこと以外にはない。冤罪を主張していた矢野の手前もあって、明代はその日の午後、被害者の店を訪れたものの、どうしても被害者に直接謝罪することができなかった。

 明代はその日の夜、今度は東村山署に行くことを考えていたのではないだろうか。同日午後に被害者の店を訪れていたことを考えると、明代が同じ目的で東村山署に行こうと考えていたとしてもなんら不自然ではない。

 明代はその意思を矢野に伝えていた。だから東村山署の警察官に対して矢野の口から思わず「そちらに行っていないかと思って」という言葉が出たということではないのだろうか。

矢野に伝えたのはいつか

 そういうことだったとすれば、明代が矢野に警察に行くという意思を伝えたのはいつだろうか。明代が謝罪するために警察に行くということは、明代の冤罪を主張していた矢野にとっても他人事ではない。明代が罪を認めて謝罪するということは、それまでの彼らの主張が虚偽だったと認めるということにほかならない。万引きをした明代だけでなく、矢野は明代の犯罪事実を知りながら、それを隠匿して虚偽の主張をしていたのみならず、被害者を嘘つき呼ばわりしたことを認めることになる。

 矢野がそうなることを指を咥えて見ているはずがない。だから、9月1日、矢野が弁護士に会いに行くより前に明代が謝罪したいと考え、被害者の店か警察に行こうとしていることを知っていれば、矢野が明代を1人東村山に残して都内に出かけることはあり得ない。すると、明代が警察に行きたいと考えていることを矢野が知ったのは、矢野が都内から東村山に帰ったあとということになる。

 矢野は午後7時ごろ東村山に帰ってきて、そのまま地域の会議に出席し、事務所に戻ってきたのは午後9時過ぎである。なお、矢野は明代も都内に行ったと主張し、一緒に東村山に帰ってきたと説明しているが、これまで見てきたとおり、明代はずっと東村山にいたのだから、午後7時の時点で明代が矢野と会っていることは考えにくい。したがって、明代が矢野に警察に行きたいという気持ちを伝えたのは午後9時よりもあとということになる。

 では、明代はどうやって矢野にその意思を伝えたのだろう。午後9時19分、明代から事務所の矢野にキャッチホンで電話が入るが、その電話の内容は「具合が悪いので、少し休んでから行きます」というものだった。それ以後、明代は電話をかけていない。すると、明代は警察に行きたいという意思をどんな手段で矢野に伝えたのか。

「少し休んでから行きます」と電話で伝えたあと、明代は実際に矢野がいる事務所に行き、警察に行って謝罪したい旨を矢野に伝えたのではないだろうか。それ以外に、矢野が東村山署の警察官に対して「そちらに行っていないかと思って」と発言した理由は考えられなかった。

(つづく)
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