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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「行動する保守」事件 第11回
 千葉英司警視庁東村山警察署元副署長が「行動する保守」Aとその弟子を提訴していた裁判で平成23年4月25日、和解が成立したことがわかった。4月20日に第6回口頭弁論が開かれたが、その際、「行動する保守」Aの代理人から唐突に和解の話し合いを持ちたい旨の申し出があり、口頭弁論終了後、和解協議が行われていた。

 成立した和解条項は以下のとおりである。



和解条項

  被告らは、別紙各項のインターネット上のブログ(せと弘幸Blog「日本よ何処へ」)に記載された各文言を、平成23年4月末日限り、削除する。

  被告らは、原告に対し、本件について、不適切な言動があったことを認め、遺憾の意を表する。

  被告らは、原告に対し、連帯して、本件解決金として、金10万円の支払義務のあることを認め、これを、原告に対し、連帯して、平成23年5月10日限り、原告名義の○○銀行○○支店の普通預金口座に振り込む方法により支払う。

  原告と被告らは、今後、相互に誹謗中傷しないことを確約する。

  原告は、被告らに対するその余の請求をいずれも放棄する。

  原告及び被告らは、原告と被告らとの間には、この和解条項に定めるもののほかに何らの債権債務がないことを相互に確認する。

  訴訟費用は各自の負担とする。

                                                 以上



 ちなみに、「行動する保守」Aが上記和解条項の1で「4月末日限り」の削除を約束した各文言は以下のとおりである。



(「行動する保守」Aが削除を約束した文言)

  平成21年11月13日付ブログに掲載したプラカードの写真にある「創価学会の四悪人」「千葉英二副署長」との文言

  平成22年5月4日付ブログに掲載したプラカードの写真にある「創価学会の四悪人」「千葉英二副署長」との文言

  平成21年7月13日付ブログに記載した「大嘘つきの千葉英司元副署長」「大嘘つきの千葉英司元副署長に抗議」「千葉の虚偽発言」との文言

  平成21年11月20日付ブログに掲載した「にも拘らず捜査の指揮をとった東村山警察署の千葉英司副署長(当時)は強引に自殺として処理。」「この男こそが13年前、自殺事件にすり替えた張本人・千葉英司だったと分かった。警察を退職した今でも創価学会シンジケートで繋がり、店主を装って用心棒を演じていたとは。」との文言



 どちらに有利な和解かについては論評しないが、「4月末日」までに上記文言が削除されるかどうか、また5月10日までに10万円の和解金が振り込まれるのかどうか注目される。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第12回
履行されない和解条項

 千葉英司警視庁東村山警察署元副署長が「行動する保守」Aとその弟子を提訴していた裁判は、平成23年4月20日に開かれた第6回口頭弁論の直後、当事者双方(「行動する保守」A側は代理人弁護士)による協議が行われ、和解が成立した。

 東京地裁立川支部が作成した調書には、4月末日限りで問題となった記事(写真)を削除し、5月10日限りで「行動する保守」Aらが千葉の口座に10万円を振り込むという条項がある。しかし5月10日を過ぎても、「行動する保守」Aに課せられた上記義務はいずれも履行されていない。
 
 4月末日までに記事が削除されていないことを確認した千葉は5月6日、代理人に対して早急に削除義務を履行するよう、また5月10日までとされた10万円の支払い義務を履行するよう文書で通告した。これに対して5月9日、代理人から千葉の留守中、自宅に電話がかかり、「『行動する保守』Aは現在福島にいるので、振り込みは13日になる」との伝言を残したという。福島では銀行のオンラインがストップしているのだろうか。弁護士は電話の際、なぜか記事削除の件にはいっさい触れなかったという。

 それでも千葉は「行動する保守」Aが和解条項にある「5月10日限りの支払い」を履行する可能性もあると考え、一応口座を確認した。しかしやはり5月11日現在、和解金は振り込まれてはいなかった。

 弁護士は和解調書の重みを理解しており、だからこそ千葉に電話をかけてきたと思われるが、はたして「行動する保守」Aに義務を履行させることができるのか。13日という約束も反故にされた場合には、(アウトローではない)弁護士として立場がなくなろう。

尋問申請を予定

 さて何も知らない多くの支援者を東村山デマの泥沼に引きずり込んだ最大の責任者であり、裁判の当事者であるにもかかわらず、「行動する保守」Aは和解成立が明らかになったのちも、自らなんらの説明もできなかった。その「行動する保守」Aは5月10日、別のブログに和解調書を掲載し、5月11日になって初めて和解に関する見解らしきものを発表した。

「行動する保守」Aによれば、

〈昨日(=5月10日)依頼していた弁護士とようやく連絡が取れました。弁護士事務所が連休に入ったので昨日まで連絡が取れず……。こちらは弁護士から何の連絡も受けておらず、昨日初めて内容を知った次第です。〉

 とのことである。しかしこれは本当なのか。弁護士は5月9日に千葉に電話して「『行動する保守』Aは現在福島にいるので、振り込みは13日になる」と伝えてきている。つまり「行動する保守」Aは遅くとも5月9日には弁護士から連絡を受けているはずなのである。したがって、「行動する保守」Aがここでいう〈昨日まで連絡が取れず〉という記載は不正確ということになるのではあるまいか。時間稼ぎでもしていたのだろうか。

 さて「行動する保守」Aによれば、4月20日の口頭弁論の際、裁判官から和解勧告があり、千葉が和解を受け入れたので和解に応じたという。つまり「行動する保守」Aは、自ら和解による解決を求めたのではないといいたいようである。

 支援者の手前、自ら和解を申し出たとはいいにくい事情はわからないではない。しかし、千葉が裁判官の勧告に従ったので和解に応じたというのは事実に反する。4月20日の口頭弁論が始まった段階で裁判官は判決による終結を考えていた。なぜなら、前回の口頭弁論で「行動する保守」Aが相当性を主張したからである(その事実は「行動する保守」A自身が5月11日付けブログに掲載した前回口頭弁論で提出した平成23年2月28日付準備書(3)からも明らかである=そのうち特に「第2の3」。)

 前回口頭弁論で「行動する保守」Aの代理人は和解を拒否し、次回(4月20日)口頭弁論において「上記準備書面(3)に記載した週刊誌記事の原本を提出する」としていた。また裁判官は「行動する保守」Aに対して相当性の書証とともに陳述書の提出を命じた。判決を想定していたということである。ところが「行動する保守」Aは陳述書については4月7日に提出したものの、相当性立証のために提出するとしていた「週刊誌の原本」は4月20日になっても提出せず、裁判官から「いつになるか」と問われた際、代理人が唐突に和解したいと申し出たのである。

 陳述書は真実性・相当性を含めた自らの記事の正当性を主張するもので和解を想定するものではない。「行動する保守」Aは陳述書提出の段階では和解は考えていなかったということになる。千葉は前回の口頭弁論まではこれ以上の主張はないとしていた。しかし陳述書を見た時点で若干方針に変更が生じた。陳述書には「内部告発」や「FBI」などの重要事項が記載されていたが、わかりにくかったり不明確な点が多々あった。

 このため千葉は、陳述書に基づき「行動する保守」A本人に対する尋問を行う必要があると考えていた。実際に千葉は4月20日、「行動する保守」Aから和解の話が出なければ尋問を申し出る予定だったのである。尋問の申し出を予定していた千葉が和解を申し出ることはあり得ない。

尋問に耐えられない陳述書

 一方「行動する保守」Aの弁護士からみれば、千葉の出方はある程度予測できたのではないかと思われた。尋問が行われる場合には事前に陳述書を提出する。したがって、陳述書の内容に疑問が生じた場合、尋問が申請されてもなんら不思議はない。裁判官が千葉の申請に理由があると認めれば、「行動する保守」Aは法廷で尋問されることになる。弁護士なら当然、ここまでの流れを予測できたのではあるまいか。また陳述書の内容が千葉の尋問に耐えられるものでないという判断もできたはずである。

 すると弁護士は千葉による尋問を避けたいと考えるだろう。歓迎するなら4月20日、相当性を主張するために「週刊誌の原本」を提出しただろう。これなら徹底抗戦ということで和解はあり得ないが当然、「行動する保守」Aに対する尋問の可能性も浮上する。

 しかし「行動する保守」Aは「週刊誌の原本」を提出しなかった。「行動する保守」Aは前記準備書面(3)であれだけ相当性を主張していたにもかかわらず、なぜ書証を提出しなかったのか。理由は判然とはしないものの、結果からみると、陳述書の提出から4月20日の口頭弁論までの間になんらかの方針変更があったとみるべきだろう。相当性を主張する書証を提出しなかったということは、当初から和解を申し出るつもりで出廷したものと判断できた。

 その原因は陳述書の内容にあった可能性もあると私は考えている。いずれにしても今回の和解は裁判官が勧告し、それを千葉が受け入れたからではなく、「行動する保守」Aが前回弁論での主張を覆して自ら唐突に申し出たのである。

 和解金の支払いについても「行動する保守」Aは〈千葉副署長があくまでも金銭に拘ったので受け入れたと報告がありました。〉と、あたかも千葉が金を欲しがったかのように記載している。しかし名誉毀損訴訟において慰謝料を請求するのはごく普通のことであり、千葉は和解の条件として記事削除とともに10万円の支払いを求めたにすぎない。

 弁護士が「行動する保守」Aにどう報告したのかはわからないが、裁判官が立ち会う和解において当事者の要求が無条件に認められるのではなく、裁判官が妥当と判断したものしか和解条項として認められない。だから和解調書は判決と同等の法的効力を持つ。

 ところで「行動する保守」Aは、「行動する保守」Aが提出した陳述書の内容を第三者が取り上げていることなどについて裁判所に回答を求め、その回答を待って債務を履行するなどと主張している。しかし「行動する保守」Aはこの時点ですでに和解条項に示された債務履行期限が過ぎていることを忘れているようである。ただ、「回答によっては債務を履行しない」とまでは書いていないところに口舌の徒としての繊細さもうかがえる。

 代理人は「支払い」については「5月13日までに履行する」と千葉に約束している。ハッタリもいいが、これ以上債務を履行しないのは、自分だけでなく代理人の弁護士としての立場も悪くするのではあるまいか。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第13回
履行された和解条項

 和解成立から2週間後、債務(和解金支払い)履行日(5月10日)の翌日である平成23年5月11日、「行動する保守」はブログでようやく公式に和解について報告した。その中で「行動する保守」Aは和解後の千葉の言動が不誠実であるなどとして、代理人の約束(=本連載第12回)に反して、裁判所の「回答を待ってから」債務を履行するなどと強がっていた。

 しかし5月16日に千葉が確認したところ、和解金の10万円が振り込まれていたことがわかった。「行動する保守」A(あるいは代理人)が実際に裁判所に問い合わせたのかどうかは定かではないが、裁判所から千葉に対してはなんらの事情聴取もない。あるいは裁判所が「回答をしない」旨の回答をしたのかもしれなかった。

 記事の削除に関しては、同日夕方の時点ではプラカードの文言は削除されていなかったが、夜になって写真ごと削除された。削除が遅れた理由はわからないが、こうしてこの裁判は、千葉の請求がほぼすべて認められるかたちで終結したことになる。
 
 平成20年8月以来「行動する保守」Aが主張していた「内部告発」についても、裁判に現れたすべての証拠や資料をみるかぎり、とうてい「他殺の証拠」といえるようなものではなかったようである。「行動する保守」Aは、「内部告発」を信用した結果提訴され、損害賠償を命じられた西村修平や右翼Mらの支払いについても協力すべき道義的責任があるのではないか。

 右翼Mはまだ最高裁で係争中だが、判決が確定した西村の支払いはまだ終わっていない。裁判の当事者とはなっていないものの、「行動する保守」Aらの街宣に参加し、大挙して傍聴に行った彼らの支援者たちはどう考えているのだろうか。あるいはそもそも「行動する保守」一行には、間違った街宣の責任を取るという発想など最初からないのか。

すでに陳述書を提出

 さて、「行動する保守」Aは前回第5回口頭弁論(平成23年3月2日)の前日、わざわざ出廷しないことを告知したが、和解が成立した日である4月20日の第6回口頭弁論は出廷の有無はおろか口頭弁論が開かれること自体の告知もしなかった。

 通常の口頭弁論だから、代理人をつけている「行動する保守」A本人がどうしても出廷する必要があるというわけではない。しかしだからといって、「東村山女性市議転落死の真相究明」を声高に主張し、また支援者から絶大な信頼と尊敬を集めている「行動する保守」Aともあろう者が、支援者に対して口頭弁論開催の告知もしないとはどういう事情だったのか。

 4月20日の口頭弁論を目指して、「行動する保守」Aは「内部告発」に関する記述を含む陳述書を提出していた。したがって裁判も、形の上では新たな局面を迎える可能性があった。しかし出廷はおろか、支援者に対して口頭弁論開催の告知さえしないとはきわめて不可解だった。

 平成20年8月に「内部告発を聞いた」として朝木明代転落死事件の「真相究明」に乗り出した「行動する保守」Aは裁判官の命令に従い平成23年4月7日付けで陳述書を提出した。陳述書には「内部告発」の様子がこれまでよりも具体的に記載されている。陳述書を提出する目的は、朝木明代の転落死が「自殺」ではなく「他殺」であること、さらに千葉が「万引き事件を捏造」するとともに「殺人事件を隠蔽して自殺として処理した」とする事実を立証するためにほかならない。

 ただしこの陳述書は一方的に「行動する保守が聞いたとする事実」を述べたにすぎず、「内部告発」の内容が真実であることを証明する証拠等を同時に提出したわけではない。したがってこの陳述書は、その限りでは明代の転落死が「殺人事件」であることを証明するものではなく、それを証明するには今後さらなる立証活動を行う必要があると思われた。

提出されなかった証拠書類

「行動する保守」Aも珍しくそのことを十分に自覚していたようで、4月21日付ブログでも、転落死事件との関連性はよく理解できないものの一応「FBI関係資料」や「雑誌編集者の証言」も提出しているという。陳述書だけでは足りないと考えていたということである。また少なくとも提出の段階で「行動する保守」Aは、明代の転落死が「殺人事件」であることを(彼なりに)証明しようとしていたらしいことがうかがえる。代理人も、陳述書の提出を求めた時点では真実性・相当性の立証をしたいと考えていたのかもしれない。

 しかしその後、「行動する保守」Aの陳述書を読んだ代理人がどう感じたか。少なくとも「内部告発」に関して代理人の印象と「行動する保守」Aの認識にはだいぶズレがあったのではないか。そのことをうかがわせる事実がある。「行動する保守」Aは陳述書だけでなく「裏付け資料」も提出したという。しかし、「裏付け資料」は千葉には届いていない。つまり「行動する保守」Aは代理人には届けたが、代理人はそれを裁判所には提出しなかったということである。

 弁護士が「裏付け資料」を裁判所に提出しなかったということは、弁護士は「行動する保守」が提出した「裏付け資料」については(弁護士に提出したという「行動する保守」Aの主張が事実なら)「内部告発」の内容を裏付けるものとは認識しなかったとみるべきなのではあるまいか。「裏付け資料」は「内部告発」に関するものであるものの、陳述書には「内部告発」以外のことも書かれているので提出しただけと理解すべきだろう。つまり「内部告発」に対する代理人の評価は厳しいものだったのではないかと思われた。

 4月20日の口頭弁論を迎えるにあたり、「行動する保守」Aは代理人からなんらかの方向性を聞かされた可能性が高い。その中に「和解」という含みもあったらしいことが「行動する保守」A自身の記事からもうかがえる。和解に関する代理人の見解も「行動する保守」Aにとってけっして芳しいものではなかったのではあるまいか。そのことは成立した和解条項を飲んだことからも明らかだった。「行動する保守」Aが提出した陳述書とはその程度の内容でしかなかったということである。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第14回
「行動する保守」Aは平成23年4月7日、「内部告発」に関するくだりを含む陳述書を提出したが、4月20日に開かれた口頭弁論で一転して和解を申し出、千葉の主張をほぼ全面的に受け入れるかたちで和解が成立した。この一連の経緯をみると、少なくとも代理人は陳述書によって「千葉が殺人事件を隠蔽したこと」などについて真実性・相当性が証明できるとは考えなかったことがうかがえる。

 余談だが、平成20年11月、「行動する保守」Aが主催したシンポジウムで右翼らを煽動した矢野は「行動する保守」一行の西村修平や右翼M、行政書士、「行動する保守」Aらが相次いで悲惨な状況に陥っていることについてどう考えているのだろう。5月20日、矢野に会う機会があったので私はこう聞いた。

「右翼をフォローしないとダメですよ」

 これに対して矢野は、伏目がちに薄笑いを浮かべただけでなんら反論しなかった。自分のデマが原因であることを自覚しているものと私は受け止めた。しかし、西村裁判で「明代に自殺の動機がなかったとはいえない」と認定されて以降の惨状をみると、矢野と朝木が支援することは彼らにとってもはや何のプラスにもならない(それどころか彼らの足を引っ張るだけだろう)。「行動する保守」Aの認識はともかく、そもそも矢野と朝木が何のプラスにもならないものに協力するはずがない。

街宣と現実の隔たり

 さて、では「行動する保守」Aが陳述書で述べた「内部告発」とはいかなるものだったのか。平成20年7月29日、東京・八王子駅前において「行動する保守」Aは次のように演説した。



 なぜあえて、私がこの問題(朝木明代の転落死事件)を今回取り上げるか。その最大の理由はですね、これは、現職の警察官が私に内部告発をしたからであります。これは今日、初めて明らかにします。現職の警察官は、「自分たちは犯人を特定した。3名であった。しかし検察側からの圧力もあって、これを、捜査を断念せざるを得なかった」――そのようにはっきり述べました。



「行動する保守」Aによれば、その「内部告発」の内容とは「自分たちは3名の犯人を特定した」というものである。にもかかわらず、東京地検はそれ以上の捜査をさせなかったと。しかも「自分たち」という以上、その「内部告発」をした警察官は事件当時、東村山署の刑事だったということになる。

 すると、「行動する保守」Aの話は伝聞であるものの、「内部告発」そのものは経験した者の証言ということになり、証拠能力、信用性はがぜん高まる。この「内部告発」はまったくの新情報であるというだけでなく、事実なら捜査機関の結論を根底から覆しかねないものといえた。

 JR八王子駅前での街宣終了後、「行動する保守」Aらはそのまま東京地検八王子支部まで練り歩き、再捜査を要求する文書を提出した。「行動する保守」Aのいう「内部告発」も彼らなりの大きな裏付けの1つだったのだろう。

 しかしこの街宣では、「3人の犯人」がどのような人物なのか、また彼らがなぜ明代を殺害したのか、彼らを確保した警察官は誰で、その「3人」を「犯人」と断定した根拠は何だったのか――など、「犯人特定」に至る具体的な状況はなんら明らかにされていない。常識ではそこまで詰めていなければ「行動する保守」Aのようには断定できない。

 ところがその後、右翼らによる再捜査の要望にもかかわらず、東京地検による「再捜査」が行われた形跡はないし、右翼らからそれらしいアナウンスは何もない。右翼Mによれば、最近も「行動する保守」Aは現在も「調査を継続している」という。「行動する保守」Aの「告発」と現実にはかなりの隔たりがあるように思える。

深夜の情報提供者

 一方、八王子駅前で「行動する保守」Aの「内部告発」演説を聞いたとき千葉の脳裏には、転落死事件直後の騒然とした時期にかかってきたタレ込み電話の記憶が蘇った。平成7年9月5日午前0時過ぎ、次のような内容の電話がかかってきた。

「9月1日の夜、現場のビルに4名の男が女性を担いで運び込むのを見た。あれは創価学会の犯行だ。明日、警察に行く」

 電話の主は静岡に居住する男性で、一応氏名も名乗った。東村山署の捜査ではそのような目撃証言はないし、現場に他人が介在した形跡もない。9月1日に目撃したのならすぐに電話すればいいと思うが、情報提供が9月5日未明だったのは「犯人」が「創価学会」だと調べ上げるまでに時間がかかったということだろうか。すぐに警察に通報すれば、犯人の特定も早まっただろう。

 翌日になって男は東村山署には来なかったが、その代わりに男は匿名で再び電話をかけてきた。今度は千葉が在席したため、千葉が対応した。



  私は4名の創価学会員が朝木市議をマンションに連れ込むのを目撃した。

千葉  運び込んでいるのを見たのなら、なぜそのときに110番しなかったのですか? 「犯人」が創価学会員であること断定した根拠は何ですか?

  バカ野郎。お前も創価学会から金をもらっているのか。



 男はこう怒鳴ると、一方的に電話を切ったという。「創価学会員」と断定するのに時間がかかったのなら、そう説明すればいいと思うが、どうしたのだろうか。事情や根拠を聞かれただけで、なにもそんなに怒ることはないのではあるまいか。

 以後、この男から東村山署に電話はかからなかった。また東村山署がその後、男の「目撃」内容を裏付ける事実を把握した事実もない。「創価学会員が朝木明代をビルに運び込んだ」という15年前の電話は「情報攪乱のための悪質なデマだった」と結論付けても許されるのではあるまいか。

 しかし、この匿名の男から2度かかってきた電話の内容と「行動する保守」Aのいう「内部告発」の内容を比較すると、「犯人」の人数は異なるものの、「犯行状況」は矛盾するものではない。「行動する保守」Aの演説を聞いた千葉は、情報の出所が同じである可能性もあると考えた。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第15回
「周辺」の「証言」

 タレ込み電話とタイミングを合わせるかのように、情報攪乱の動きではないかと思われる情報発信がもう1件あった。タレ込み電話の前日、『夕刊フジ』(平成7年9月5日付=4日発行)に電話の内容と矛盾しない情報が掲載されていたのである。男が電話してきたのは5日の午前0時過ぎだから、実質的にはタレ込みと同じ日といってもよかろう。以下のような記事だった。

〈朝木氏の靴はいまなお見つかっていない。またマンションにいた人が落下時刻の午後10時ごろ「キャー」との女性の声を聞いている。周辺では「ドサッという音(筆者注=明代が転落した際の音)がする前にボソボソという不審な声が聞こえた」という証言も。〉

 この「証言」は明代が転落した際に第三者の存在があったという点で電話の話と共通点がある。2つの話を合体させて「女性を運び込んだ数人の男が明代を落とす前に何事かボソボソとしゃべっていた」という状況があったと理解してもなんらの矛盾もない。それどころかむしろ『夕刊フジ』とタレ込みの話は補完関係にあるようにもみえる。

 ただ『夕刊フジ』の情報の出所は「周辺」ということだが、それがどこの「周辺」、あるいは誰の「周辺」で、「証言」と呼べるような裏付けがあるのかどうかを含めてきわめて頼りない。本当の「証言」なら、「証言も」などという曖昧な締めくくり方はあり得ないし、9月5日未明のタレ込みと同様にその「証言」をした者が東村山署に直接出向いた事実もない。ただ確かなのは、それが誰なのかはわからないものの、『夕刊フジ』の取材に「不審者がいた」と証言したが警察には行かない不自然な人物がいたということである。

タレ込みと一致する矢野情報

 その後、タレ込みの人物も『夕刊フジ』に「不審者」の「証言」をした人物も東村山署にはなんら接触してきていないが、タレ込みの人物は矢野に連絡していたようである。タレ込みから半年後の平成8年4月、矢野は『週刊宝石』で次のようにコメントしている。



矢野   「朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た」……など、こちらには新たな話が集まっています。



 ここで矢野が明確にいっている「4人」という犯人の人数がタレ込み電話と一致していることは注目に値する。これほど現場をはっきり「目撃」をした人物が多くいるとは思えない。いれば誰かが東村山署に出向いて証言してもおかしくないが、そんな「証言」をした者は電話によるタレ込み以外にはない。矢野のいう「4人の犯人」の情報が外部からもたらされたものであるとすれば、矢野に情報提供した人物は平成7年9月5日に東村山署にタレ込み電話をし、千葉に「バカ野郎」と怒鳴りつけた男と同一人物であるとみていいのではあるまいか。

 ただ、この人物の「証言」がかなり眉唾であることは東村山署による現場検証や聞き込みからも明らかであることに変わりはない。したがって「朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た」という話は作り話である可能性が高く、この人物が「見た」というのも嘘ということになる。

 するとこの作り話は、どこで、誰が作ったのか。作り話なら、なにもタレ込み電話をした匿名の男本人によるものである必然性はない。その男から聞いたといっている者が実は作者である可能性もないとはいえまい。

 平成7年12月22日、警視庁は明代の転落死について「犯罪性はない」すなわち「自殺」として捜査を終結したが、その後矢野は朝木とともに発行する政治宣伝ビラ「東村山市民新聞」において「東京地検が東村山署に再捜査を命じる」などと、あたかも警視庁の結論が覆されたかのような明らかなデマを流布していた。

 矢野の「週刊宝石」におけるコメントもデマ宣伝の一環にほかならない。なぜなら「朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た」とする情報について矢野は、この情報が誰からもたらされたかについてなぜかいまだ明らかにせず、また明代の転落死をめぐる幾多の裁判の中で矢野がこの「情報」を「他殺の証拠」として主張したこともない。矢野は早い段階で「使えないネタ」と判断したということらしかった。

 いずれにしても、「行動する保守」が聞いたとする「内部告発」については10年以上前に上記のような出来事があったのである。

冷たい矢野の反応

 平成8年の矢野のコメントをふまえると、「行動する保守」のいう「内部告発」については、具体性に欠けることのほかにもう1点、重大な疑問があった。「行動する保守」Aのいう「内部告発者」が現実に存在したとして、この人物は平成7年以降一貫して「他殺」を主張している明代の長女で東村山市議の朝木直子や矢野穂積にもその情報を伝えなかったのだろうかという疑問である。

 それまで「他殺説」を主張して「真相究明活動」(らしきもの)を行ってきたのは矢野と朝木であり、「内部告発者」がいたとして、この2人を差し置いて「行動する保守」Aに連絡する必然性は常識的には考えられない。仮になんらかの行き違いで「行動する保守」Aに先に連絡が行ったのだとしても、矢野と朝木にも同じ情報が伝えられていてもなんら不思議はないと私は考えた。

 矢野にも「内部告発」情報は伝えられたのだろうか。平成20年8月7日、私は矢野に会う機会があったのでその点について直接聞いた。



――内部告発があったそうですが。

矢野  何焦ってんの?



「行動する保守」Aが「内部告発」話を公表したことを矢野が知っていたことはこれで確認できた。



――先生(=矢野)のところには内部告発なかったの? 「行動する保守」Aのところにあって先生のところにないのはおかしいですね。

矢野  お前には用がないんだよ。



 平成8年に「朝木氏が4人の人にビルへ連れ込まれるのを見た」とする情報を入手したとして週刊誌に公表していた矢野は、仮にその情報に信憑性があると考えていたのなら、自分が発信した情報と共通点を持つ「行動する保守」Aのいう「内部告発」の内容について誰よりも先に検証する必要があるのではないか。にもかかわらず、矢野のこのふてくされた態度はどういうことだろうか。矢野にも「内部告発」があったのなら「あった」と答えればいいだけの話で、「何焦ってんの?」などとはぐらかす必要も、「お前に用はない」とことさら邪険に扱う必要もあるまい。

 この冷たい矢野の反応はどういうことなのか。矢野は「行動する保守」Aのいう「内部告発」なるものが眉唾だということを確定的に知っていたのではないか。私にはそう感じられた。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第16回
 通常、ある事実をめぐる証言(伝聞を含む)の信憑性については様々な前後左右の状況から総合的に判断する必要があろう。もちろん伝聞の場合には直接経験した人物に改めて確認する必要がある。

「3人の犯人が朝木市議をビルに運び込んだ」とする「行動する保守」Aの「内部告発」を知った矢野は、その反応をみるかぎり、彼なりにその情報には信憑性はないと判断していたようである。客観的状況とは別に、矢野独自の根拠があったのかもしれない。

 では「行動する保守」Aは「3人の犯人が朝木市議をビルに運び込んだ」とする「内部告発」について、どんな根拠で間違いないと考えるに至ったのか。陳述書をみていこう。

2つの事件を「結ぶ糸」

 まず「行動する保守」Aは陳述書で〈朝木さんが何者かによって殺害されたのではないかと思うに至った理由を述べます。〉として、朝木明代の転落死事件を(創価学会が関与した)殺人事件と考えるに至った理由について次のように述べている。よくわからないが、「行動する保守」Aは全国明という人物の事件から話し始める。



(全国明事件と朝木明代転落死事件)(見出しは筆者=以下、同)

 全国明は新生政治研究会という右翼団体をつくり、創価学会が日蓮正宗より破門された後に大石寺に執拗に街宣をかけて逮捕までされています。彼は私に創価学会から頼まれて大石寺を攻撃しているが、逮捕されたりしたので、創価学会からもっとお金を取るつもりだと私に語っていました。

 その彼が創価学会から依頼された暴力団に脅されているので、自分が殺されるかもしれないと私に語り、その数週間後にビルから転落して死亡するという事件がありました。

 私はこの時に直感的に、全国明は何者かによってビルから転落死させられたと思い続けてきました。朝木さんのビルからの転落死事件はそれから約3年後の1995年9月1日でした。

 故朝木さんの事件に関しては、創価学会を追及創価学会の宗教法人取り消しの申請まで行っていたわけで、創価学会と厳しく対立していました。

 私はかねてからこの2つの事件にはビルからの転落、目撃者もいない。自殺するような動機が見当たらない。そして創価学会との関連で何らかの結ぶ糸のようなものを感じていました。

 全国明の場合は警察の最終判断は自殺ということではなく、落とされたか、もしくは誤って落ちたかという不審死であったと記憶しております。



 なお、「行動する保守」Aは〈その当時の週刊誌の記事を提示させて頂きます〉として「全国明」なる人物の事件が掲載された『週刊新潮』と『週刊現代』を挙げているから、この2つの記事を提出したもようである。ただ千葉の手元には届いていないところをみると、弁護士が提出を見送ったのだろう。妥当な判断である。

 さて、ここまでの記述をみる限り、「全国明」の転落死事件を確かな根拠もなく殺人事件と思い続けてきた「行動する保守」Aは、朝木明代転落死事件を知り、「創価学会との関連で何らかの結ぶ糸」を感じていたという。本当にわけのわからない、論旨不明瞭な文章を書く人物である。

 雲をつかむような話というのだろうか。2つの転落死に関するここまでの「行動する保守」Aの判断には客観的根拠などというものはいっさい存在しない。それでも「行動する保守」Aは、思い込みと思い込みをつなぐ「何らかの結ぶ糸」などという空想が裁判官に通用すると本気で思っていたのか(代理人は「通用しない」と思った)。

ブログと異なる陳述書

 その「行動する保守」Aは朝木事件から13年後の平成20年(問題の街宣の年である)、ある人物と出会ったことをきっかけに、いよいよ「内部告発」の警察官に出会うことになる。「FBI」の話にはその過程でほんのちょっと触れられている。陳述書をみよう。



(「FBI情報」なるもの)

 さて、私は2008年の6月頃ある人物と知り合い、無罪判決を受けた大物元暴力団組長に対して、警察が情報を収集しているとの話を伺った。何でもその組長が無罪判決となったので警視庁の面子がまる潰れになったというものでした。

 その元組長に関して情報を収集しており、当時米国で話題となっているこの元組長の米国における移植問題で今になって取り上げられている、その背景を知りたいというものでした。

 私の友人に米国のFBIに出入りする者がおり、そのことについて知っていると言うと是非そのことで会いたいと言うことでした。元組長が移植手術を受けたことに関して、大きく報道がされていたので、警察も関心を抱いたと思いました。

 私はかつて全国明が不審な転落死を遂げた時に、その全国明と親しい関係にもあったので当時事情も訊かれ、知っている警察関係者もおりましたので、その関係からも接触を試みて会うことになりました。



「行動する保守」Aの話はその時々で主語も判然とせず、何度読んでも具体的なことはさっぱりわからないし、ここまでの話が明代の転落死事件にどう関係しているというのか見当もつかない。

「FBI」については「私の友人に米国のFBIに出入りする者がおり」と触れられているだけで、「内部告発」との関連性はいっさいうかがえない。「FBI」に関して「行動する保守」Aは和解成立翌日の4月21日付ブログで次のように書いている。

〈私がFBI関係者より、創価学会と親しかった暴力団組長の情報を入手して、それを警察関係者に見せ、その時にその話を聞いたという内容に関しても、そのFBI関係資料を提出しました。〉
 
「行動する保守」Aはここでも「FBI」と「内部告発」の直接的な関連性には言及していない。それ以前の問題として、ブログでは「FBI関係者」となっているが、陳述書では「FBIに出入りする者」となっているのは不可解である。「関係者」と「出入りする者」では大きな隔たりがあることぐらいは「行動する保守」Aも十分自覚していよう。

 清掃業者だったとしても「出入りする者」なのであり、「行動する保守」Aの説明だけではその素性はまったくわからない。陳述書とブログでなぜこれほど表現が異なるのか。誰でも自由に閲覧できるブログでは読者が本当のFBI職員と勘違いするように「関係者」と見栄を張ってみたということだろうか。 

 暴力団組長についても、ブログでは「創価学会と親しかった」と記載しているが、陳述書には「創価学会との関連」さえうかがわせる記載はない。この重鎮は、読者や支援者から「何も関係ないんじゃないの?」といわれたくなかったということだろうか。いずれにしても、1つの事実を記述するのに、場面によってこれほど表現を微妙に変え、使い分ける人物はめったにいない。

 陳述書における「FBI」関連の記載は上記のわずか1カ所のみである。陳述書の記載からはこの「FBIに出入りする者」が元組長の移植問題について何か知っている「らしい」というだけのことで、「FBI」と「内部告発」になんらかの関連性があったという話ではまったくない。

「内部告発」を聞いたなどとして支援者を勢いづかせてみたものの、最初からなんら具体的な材料を持っていなかった「行動する保守」Aは、仲間が相次いで敗訴するなど苦境に追い込まれた。苦しまぎれに口をついて出てしまったのが「FBI」だったというところだったのではあるまいか。それにしても、ここまで平気でウソがつける人物をいまだ敬愛できるとは「行動する保守」一行は心が広い。

 なお「行動する保守」Aは陳述書で、〈その時(筆者注=「内部告発」をした警察官と会った際)の資料を裁判所に提出しますが、某組長に関してはその実名をマジックで消させていただきます。〉と述べており、「某組長」に関係する資料を代理人に提出したようである。しかしその「資料」は千葉のもとには届いていない。また「行動する保守」Aがブログで「提出した」と記載している「FBI関係資料」も、代理人からは提出されていない。代理人はいずれも無関係と判断したようである。

(つづく)

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「行動する保守」事件 第17回
憶測の伝聞

「行動する保守」Aは、客観的にどうみても朝木明代の転落死事件とは関係なさそうにみえる全国明という人物の転落死について述べたあと、その「警察官」に会う直接の動機についてまず述べる。



 私としては昔から全国明の転落死事件が非常に気になっていたので、何か逆に警察官から聞き出せるのではないかとの思いもあり会う気になりました。



 この段階で「行動する保守」Aはまだ、この「警察官」が朝木明代の事件捜査に関わった人物なのかどうかについてなぜかまったく触れない。これは奇妙なことではあるまいか。あらためて確認すると、「行動する保守」Aは平成20年7月29日の八王子駅前街宣で次のように述べている。

(八王子街宣=平成20年)
〈現職の警察官は、「自分たちは犯人を特定した。3名であった。しかし検察側からの圧力もあって、これを、捜査を断念せざるを得なかった」――そのようにはっきり述べました。〉

「行動する保守」Aが会った警察官は「『自分たちは犯人を特定した』と述べていた」という。「自分たちは……」というのだから、八王子街宣の時点で「行動する保守」Aは、その警察官が朝木明代転落死事件の捜査に関与していた人物であるとしていたわけである。そのことを「行動する保守」Aは、裁判所に提出する陳述書でなぜ明確に述べないのか。

 その理由は、以下の本論で間接的に明らかになる。



(いわゆる「内部告発」の実体)

 その時(筆者注=その警察官に会ったとき)の事ですが、私が朝木さんの事件で、あれは殺されたのではないですか? と聞いたところ、警察官は次のように話をしました。

「当時現場近くで怪しい3人が目撃をされており、捜査が進むものと思ったが、上の方(検察)がやる気をみせないのでそのままになってしまった。後でその検事が創価学会員だと分かったので、上の方に圧力がかかったのかもしれないと当時聞いた。」

 との話を伺いました。



 平成20年の八王子街宣の内容とはだいぶ違っていることに気づこう。「行動する保守」Aは陳述書で自分が何をいっているのか、わかっているのだろうか。

 この話のうち、「行動する保守」Aの目の前にいる警察官が具体的にどの部分を自ら経験したのか。この話の中で、「行動する保守」Aは特にどの部分が警察官の実体験であると特定していないから、「当時聞いた」という部分のみがこの警察官の経験であると理解するのが自然だろう。

 するとこれはいったいどのような事実に関する「証言」であり、「内部告発」といえるのか。「行動する保守」Aが警察官から聞いたとする話は事実だったとしても、警察官の立場からしても伝聞にすぎず、「行動する保守」Aが裁判官に対して主張するとすれば「伝聞の伝聞」か、それ以下の代物であることを免れない。

 警察官の「伝聞」の内容にしても、文末は「圧力がかかったのかもしれない」である。つまり「警察官がきいたとする人物」にしたところで「憶測」を話したにすぎないことになる。「憶測の伝聞」である。常識的に、こんな話のいったいどこを、どんな根拠をもって信用することができようか。その内容いかんにかかわらず、こんな話は社会ではまともに相手にされない。

 すると「自分たちは犯人を特定した」と語ったとしていた八王子での街宣内容は嘘だったということになろう。「行動する保守」一行の重鎮は「ジャーナリスト」を自称することもあるにもかかわらず、こんな話を「内部告発」として大騒ぎし、多くの支援者をデマに引きずり込み、ついには万引き被害者襲撃事件をも引き起こしたのである。その道義的責任はきわめて大きいのではあるまいか。

最初のデマに回帰

 陳述書には、さらに重要な八王子街宣との相違点がある。八王子の街宣では「自分たちは犯人を特定した。3名であった。」と聞いたといっていたのが、陳述書では「怪しい3人が目撃をされており」と後退している。すでにまったく別の話といってもよかろう。「怪しい3人」とは何なのか。

「行動する保守」Aは「3人の犯人」がいつの間にか「怪しい3人」に変わっていても特に支障がないと思っているのだろうか。いくら「行動する保守」Aでもそこまで無謀ではないだろう。これから先は私の推測だが、「行動する保守」Aが警察官から聞いたとする話では、そもそも「3人の犯人」などという断定的なものではなく、最初から「怪しい3人」あるいは「不審者」だったものを、「行動する保守」Aは街宣で「3人の犯人を特定」と断定的に宣伝しただけだったのではないか。

「行動する保守」Aが最初に聞いたのが「怪しい3人」(あるいは「不審者」)だったとすれば、陳述書における変遷も理解できる。また人数こそ違え、「不審者を目撃した」とする最初のデマ(タレ込み電話および矢野のコメント=本連載第15回)とも符合する。警察官が聞いたとする「怪しい3人」という話も、元をたどれば矢野のコメントが出所だった可能性は十分にある。

 私が矢野にこの「内部告発」の話を切り出した際、矢野がつれない態度をとった(本連載第15回)のも、情報の出所とその信憑性について何か心当たりがあったからなのかもしれない。

空気を読めなかった重鎮

 その警察官は朝木事件にはなんら関与しておらず、警察官から聞いたという話自体が伝聞で、しかもその内容も「犯人を目撃した」どころか実は「怪しい3人を見た」などという雲をつかむような与太話だった。そんな話をもとに「真相究明」ができるなどと考えるのは、「怪しい人物」を簡単に「犯人」と思い込める「行動する保守」Aぐらいだろう。このとんでもない粗忽者は陳述書でこう続ける。



(街宣をした動機)

 私が何とかそのことを表沙汰にできないのか? と更に聞くと、「余程世論が盛り上がらなければ無理じゃないか。」とも言っていました。しかし、私はそのことに期待をかけて故朝木明代さんの事件が注目される事になれば、何らかの事態の進展が見られるのではないかと期待して、真相の究明を行って来たのです。



 こんな与太話を表沙汰にしてどうする? 警察官なら「怪しい3人」などという話では立件などできるはずがないことはよくわかっているだろう。ところが「行動する保守」Aは予想に反して「怪しい3人」に非常な興味を示した。警察官が「世論うんぬん」といったのは、情報を得たいと思っている相手に対してあまり頭ごなしに冷たい言い方をするのもどうかという大人の気遣いだろう。要するに「そんなことはできるはずないよ」とやんわり否定したのである。

 それをこの「行動する保守」の重鎮は、「世論を盛り上げれば何とかなるのか」と勘違いした――この場面はそういうやり取りなのではあるまいか。続く「そのことに期待をかけて」という「行動する保守」Aの言い方からすれば、「怪しい3人」よりもむしろリップサービスのつもりだった「余程世論が盛り上がらなければ無理じゃないか」という警察官の大人の配慮がかえってアダとなり「行動する保守」Aを煽る結果になったのかもしれない。空気が読めない、というのだろうか。

 いわば〈「余程世論が盛り上がらなければ無理じゃないか。」とも言っていました。〉というのは、「怪しい3人」の裏付け調査もしないまま「犯人」と決め付け、街宣という愚行に出た「行動する保守」Aの言い訳でもあろう。「行動する保守」Aは街宣活動によって「世論」を盛り上げ、「事件を進展」させようとした、それが「真相究明活動だ」といいたいようだが、すべて「行動する保守」Aの思い込みだったことは結果からも明らかというほかない。

 つまり陳述書における警察官とのやり取りのくだりは、警察官はそもそも「怪しい3人」といったにすぎなかったという事実(もちろんこれもデマである)と、それを「行動する保守」Aが勝手に「3人の犯人」と思い込んだこと、さらにそれが東村山デマに参入するきっかけだったことをみごとに告白していた。陳述書を見た代理人が和解を決断したのはきわめて賢明な判断だったというべきだろう。

 なお「行動する保守」Aは、その他の書証として「全国明と一緒に発行した本」、「政治経済誌関係者の証言」も弁護士に提出したようだが、それらはいっさい千葉のもとには届いていない。無関係と判断したということのようである。

(了)

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千葉元副署長が「行動する保守」Aを再び提訴(速報)
 平成24年4月16日、警視庁東村山警察署元副署長の千葉英司がブログの記事によって侮辱されたなどとして「行動する保守」Aを東京地裁立川支部に提訴したことがわかった。

 千葉は平成22年5月7日にも「行動する保守」Aとその弟子を提訴しているが、その際には「行動する保守」Aが千葉の要求を全面的に受け入れるとともに10万円を支払い、平成23年4月20日、和解が成立している。

 今回、千葉が問題としているのは「行動する保守」Aが運営するブログの平成23年9月1日付〈故朝木明代東村山市議殺害事件 16年目の命日を迎えて〉(以下、「記事1」)と題する記事および平成21年9月2日付〈告知と活動報告〉と題する記事(以下、「記事2」)。

 記事1については〈公然と、原告は異常で大嘘つきであると主張し、原告を侮辱するものである。〉と主張し、記事2については肖像権を侵害されたと主張している。

 なお記事1は前回裁判の和解後に掲載されたものである。和解調書には〈原告と被告らは、今後、相互に誹謗中傷しないことを確約する。〉との条項があるが、「行動する保守」Aはこの和解条項を無視したということになろうか。
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第2次「行動する保守」事件 第12回
「行動する保守」Aだけになった「真相究明」活動

 川越での裁判終了後、「行動する保守」Aが午後3時から東村山駅前で街宣を行うというので、私は千葉とともにそのまま東村山へ向かった。街宣内容はともかく、「行動する保守」Aや矢野穂積、朝木直子のデマ宣伝を妄信した支援者が朝木明代の万引き現場である洋品店に押しかける可能性があると考えたからである(街宣内容だけなら、「内部告発」が与太話であることが明らかになった今となってはわざわざ出向く必要もない)。参加者の誰かが万引き被害者に危害を加えるようなことだけは止めさせなければならなかった。

 定刻20分ほど前に駅前に着くと、すでに「行動する保守」Aとその弟子ら支援者が集まっていた。ほぼ同数の5、6名の公安とみられる人影が交番付近で待機していた。またわれわれ以外にも、万引き被害者を心配した市民が駆けつけていた。千葉は交番に立ち寄って警戒を要請すると、洋品店へ向かった。

 重鎮自ら呼びかけた効果か、私や千葉の予想の倍近くの支援者が集まった。しかし平成20年9月1日の街宣を共催した「在日特権を許さない市民の会」の桜井誠や「主権回復を目指す会」の西村修平、右翼Mの姿はもうない。彼らは少なくとも「行動する保守」Aが主張した「内部告発」がどれほど眉唾なものであるかに、さすがにもう気がついたのだろう。

 とりわけ右翼Mは110万円の支払いを命じられた裁判で「内部告発」に一縷の望みをかけたフシがうかがえるが、「行動する保守」Aは「調査を継続している」(右翼Mによる)などと甘い期待を抱かせただけでなんらの「調査」もしなかった。そもそも「行動する保守」Aの陳述書における記載(「本連載」第11回)を見れば、追跡調査などできるはずのない代物であることは歴然である。

 平成20年の街宣では「行動する保守」Aと並んでプラカードを示しながら千葉の責任を追及する演説を行った西村修平も、(本心はともかく)千葉の主張を全面的に受け入れ、ブログの記載を削除した。西村や右翼Mらとともに洋品店襲撃事件に加担した当時の西村の腹心は西村よりも先に千葉に謝罪するとともに、洋品店に押しかけた行為についても真摯に誤りだったことを認めている。一方重鎮の「行動する保守」Aは、「内部告発」について謝罪はもちろん撤回もせず、ただほとぼりが冷めるのを待つという卑劣な態度を取り続けている。

矢野も近寄らなかった「内部告発」

「内部告発」に信憑性が毛ほどでもあるとすれば、矢野と朝木が関心を示さないはずがない。それに警察官が「行動する保守」Aが聞いたとするような事実を把握していたとすれば、平成7年以後「真相究明活動」を行っている矢野と朝木に伝えられなかった方が不自然である。矢野には「内部告発」はなかったのか、平成20年8月7日、私は矢野に直接聞いた。

――「内部告発」があったそうですが。

矢野  何焦ってんの?

――先生のところには「内部告発」はなかったの? 「行動する保守」Aのところにあって先生のところにないのはおかしいですよね。

矢野  お前には用がないんだよ。

「内部告発」の内容が事実なら、真相究明活動においてきわめて重大な事実となろう。「内部告発」があったのなら「あった」と答えればいいだけの話である。すると矢野の回答は、矢野には「内部告発」はなかったものと理解してよかろう。それよりもむしろ、矢野が「内部告発」に関心を示さず、それどころかいっさい触れようともしないことはさらに不自然だった。

 平成8年に矢野は『週刊宝石』の取材に対して次のようにコメントしている。

「『朝木氏が4人の人にビルに連れ込まれるのを見た』……など、こちらには新たな話が集まっています」

 矢野のいうこの情報は出所不明で、その後矢野と朝木が追跡調査した形跡はまったくない。また当時、東村山署に匿名で同様の内容に加えて「創価学会の犯行だ」と断定するタレ込みがあった。千葉が「その際になぜ110番しなかったんですか」「なぜ創価学会員だとわかるんですか」と聞くと、電話の男はこう怒鳴って、一方的に電話を切ったという。

「ばかやろう。お前も創価学会から金をもらっているのか」

 捜査結果からみても男の反応からみても、このタレ込みが捜査の攪乱を目的としたガセ情報であることは明らかである。こんなデマを流す者がそうそういるはずもないから、矢野がコメントした内容と出所は同じである可能性が高い。

「行動する保守」Aが朝木の自殺とは無関係の警察官から「内部告発」の話を伝聞として聞いたのが仮に事実としても、その警察官が聞いたとする警察官が、矢野がコメントした記事を読んだだけである可能性もないとはいえなかった。むしろ「行動する保守」Aが「内部告発」の内容を追跡しようと思うのなら、矢野に聞いた方が早いのではないかという気がする。

 いずれにしても少なくとも矢野にとって「行動する保守」Aのいう「内部告発」の内容は初めて聞く話ではなかった。しかも矢野はすでにそれがデマであることまで知っていたと考えれば、矢野がまったく関心を示さなかった理由もわかるのではあるまいか。なお、矢野がなぜ「内部告発」の内容がデマであることを知っていたのかは定かでない。

横断幕がみてきた離合集散

 この日、「行動する保守」Aは平成20年9月に行った最初の街宣当時の横断幕を用意していた。横断幕に記載された〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな! 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明 創価学会・公明党の政教一致は憲法違反だ〉というタイトルは当時のままである。

 しかし横断幕の右下に並んでいた4つの協賛団体のうち「主権回復を目指す会」と「在日特権を許さない市民の会」、その後一時的に協賛団体として名を連ねていた「日本を護る市民の会」「政経調査会」の名は白く汚れたような塗料で塗り潰されて「せと弘幸blog『日本よ何処へ』」と「NPO外国人犯罪追放運動」の名前が記載され、新たに「政教分離を求める会」の文字が書き加えられていた。

 平成24年1月26日の時点ではこの横断幕の協賛団体は「政経調査会」と「主権回復を目指す会」の2団体で、「行動する保守」一行を東村山デマに引きずり込んだ張本人である「行動する保守」Aの名前は消えていた。その半年後、西村と右翼Mの団体名が消え、「行動する保守」Aの名前が記載されたのである。

 この協賛団体のめまぐるしい変遷は、「行動する保守」内の離合集散と東村山デマをめぐる各団体の状況や距離感を反映しているようできわめて興味深い。この日記載されている3団体はいずれもいうまでもなく「行動する保守」Aが関与する団体であり、今回の街宣に他の新たな賛同者があったわけではないことがうかがえた。平たくいえば、「内部告発」に乗せられた他の団体がすべて手を引いたということになろうか。

 ただ街宣活動参加者の顔ぶれをみると、西村の配下の者や他団体と近い関係にあるとみられる者も含まれているようだった。西村のところで不要になった横断幕の返還に来たのだろうか。いずれにしても「行動する保守」の人間模様も一般社会同様、単純に割り切れるものではないらしい。

(つづく)
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第2次「行動する保守」事件 第13回
矢野の手法が手本

 午後3時に始まった「行動する保守」Aによる駅前街宣は、とりわけ朝木明代の万引きを苦にした自殺に関しては、「内部告発」に触れるでもなく、なんら新しい内容はなかった。矢野穂積や「行動する保守」Aのデマに乗せられた右翼Mが東村山駅前街宣をめぐって110万円の支払いを命じられ、街宣の禁止を言い渡されていることを十分に意識しているようにみえた。

 そのせいか「行動する保守」Aは、朝木明代の(万引きを苦にした)自殺を他殺疑惑として印象づけようとした矢野や乙骨らの手法をそのまま模倣したものだった。明代が自殺を遂げた翌日、マスコミを前に矢野は「創価学会を批判していた朝木明代議員が何者かによって殺されました」と説明していた。「行動する保守」Aは、この手法なら許容範囲だと考えたのだろうか。「行動する保守」Aは明代の自殺に関して次のように演説した。



(「行動する保守」Aの街宣)

 朝木明代さんはですね、創価学会と公明党の問題、これは政教一致、そういう存在であるで、東京都議会にですね、この公明党の解散を求めてですね、活動をしてきた方であります。えー残念ながらですね、その方が、……ビルの5階から転落死をしました。何者かによって殺害をされた。この問題を含めてですね、創価学会とヤクザ組織、あるいはですね、さまざまな社会的な動きを並べてですね、われわれは今後訴えていきたいとそういうふうに思います。

……

(街宣場所として)この東村山の地を選んだ理由はですね、最後に申し上げますけれども、「創価学会と公明党は政教一致だと、だからこういう政党は解散させなければなりません」、そのようにこの地で訴えてですねえ、「草の根」の朝木さんがですねえ、それを訴え続けながらも、無念な、無念にもですね、ビルの屋上から転落させられて死亡してしまった。われわれはですねえ、この遺志を引き継ぎですねえ、創価・公明党に対するですねえ、今後果敢な闘い、これを継続していきたい、こういうふうに思っております。



 具体的な表現は異なるものの、内容的には矢野の論法とまったく同じであることがわかろう。もちろん論法は同じでも、「行動する保守」Aがこう述べた以上、この演説の責任は「行動する保守」Aにある。

横断幕と演説の連携

 具体的に演説内容を検討すると、まず「行動する保守」Aはどういう根拠によってか、朝木明代が「何者かによって殺害された」「ビルの屋上から転落させられた」と断定している。演説する「行動する保守」Aの背後では弟子らが最初から、

〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな! 東村山女性市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底究明 創価学会・公明党の政教一致は憲法違反だ〉

 と書かれた横断幕を掲示している。また西村修平の支援者は、

〈危険なカルト団体 公明党・創価学会による政治支配粉砕〉

〈東村山女性市議転落死は本当に自殺か? 創価学会に物言えぬ警察と裁判所は恥を知れ〉

 と記載されたプラカードを首からぶら下げている。

 横断幕に記載された〈創価学会の「疑惑」〉とは何なのか。「創価学会が殺した」とは直接的にはいっていないものの、〈創価学会・公明党を批判していた朝木明代〉-〈謀殺事件の徹底究明〉という文言からは、〈創価学会の「疑惑」〉とは「朝木明代謀殺事件には創価学会が関与しているのではないか」という「疑惑」以外には考えられない。

 また西村の支持者は〈東村山女性市議転落死は本当に自殺か?〉と疑問を呈した上で、〈創価学会に物言えぬ警察と裁判所〉と断定している。「創価学会には疑惑がある」という前提であるのは明らかである。その理解に基づいてこれらの文言を総合的に読めば、「朝木明代が自殺したという結論には疑問があり、創価学会が関与した疑いがあるにもかかわらず、警察と裁判所は創価学会に対して手出しができないでいる」という趣旨であると理解できよう。

「創価学会に物言えぬ」とは言い換えれば「創価学会には警察や裁判所が物を言うべき疑いがある」ということで、婉曲に「朝木明代の転落死には創価学会が関与している」と主張しているようにも読めよう。その上で一般市民が「行動する保守」Aの演説を聞けば、「朝木明代は創価学会に殺されたのだ」と受け取られてもやむを得ない内容であるとはいえないだろうか。 

 たとえば110万円の支払いを命じられた右翼Mは東村山駅前で次のような街宣を行った。



(右翼Mの街宣)

〈公明党・創価学会の不正というものを糾弾しておりました女性市議会議員が転落死いたしました。この事件を担当、東村山警察署は単なる自殺というふうに片付けましたが、これは明らかに創価学会による犯罪なんです。〉

〈朝木明代市議が万引きして警察につかまったことを苦にして自殺したんだというストーリーまで作り上げているんです。これが創価学会の狡猾なやり方なんです。〉



「これは明らかに創価学会による犯罪なんです」と断定した部分を除けば、「行動する保守」Aの演説の趣旨は右翼Mの演説内容となんら変わらない。

 捜査ではなんら問題とされておらず、また多くの民事裁判で明代の自殺と創価学会の関連が否定されている現状を知れば、仮に本気で「朝木明代は殺された」と考えていたとしても、街宣で創価学会・公明党を関連づけるのは慎重でなければならないと考えるのが常識的な感覚だろう。しかしこの街宣を横断幕やプラカードと合わせて総合的に見ると、「朝木明代の転落死は他殺であり、創価学会が関与している疑いがある」と主張するものであるとしか考えられない。「行動する保守」Aがなぜこんな少人数の街宣でここまで踏み込むのか、理解に苦しむところである。

(つづく)
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