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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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「朝木宅襲撃事件」 第11回
記載内容に反する供述

 警察は「犯人」に対して週刊誌が記載したとおりの認識(「常習の酔っ払い」)を持っており、「保護した後に釈放する」つもりだったようである。警察は明らかな被害があったと認定した場合には、被害者に対して加害者の処分内容を伝えるのが普通である。朝木は被害届を提出しており、両誌にもその様子が記載されているが、そのタイミングは処分を挟んで微妙に相前後している。両誌の記載内容は以下のとおりである。



『週刊新潮』

〈結局、この男は家宅侵入や脅迫行為の現行犯にもかかわらず、なぜか釈放されてしまう。……
「私は納得できず、すぐに被害届を出しました。……」

『週刊実話』

「……警察は……保護した後に釈放するというのです。とても納得できませんでしたので、すぐに被害届を出しました」



『週刊新潮』では、文章の流れからすると、被害届を提出したのは「釈放されたことを知ったあと」のように読める。一方『週刊実話』では「釈放するという警察の方針を知ったあと」であると読めよう。いずれにしても、朝木が被害届を提出したのは警察の方針にかかわらず、ではなく、「釈放」という警察の方針と密接に関係していたことに変わりはない。

 ところが、警察から「釈放」の話があったかどうかについて朝木は尋問で次のように供述している。



朝木代理人  朝木さんは釈放に応じることはあり得ないとおっしゃっていますけれども。

朝木  あり得ません。それから、そういうお話も、釈放するとかしないという話は一切ありません。……



 両誌には確かに記載されている「釈放」の文言が、朝木によればいっさい存在しないとはどういうことなのだろう。常識的にみれば、朝木が説明していないにもかかわらず、2誌の週刊誌が揃いも揃って偶然にも、東村山署が「釈放」の方針だったことを朝木に伝えたとする記事を記載するとは考えられない。つまり朝木は記事のような説明を両誌にしたと考えるのが自然である。したがって、朝木の法廷での供述は事実に反するとみるのが合理的なのではあるまいか。

 では朝木はなぜ法廷で警察から「釈放」の文言さえ聞いていないと供述したのだろう。私には、警察から「釈放」するという話があったとなれば、それは警察が最初からやはり事件を「酔っ払いによる騒動」とみていたことを裏付けることになると判断したからではないかという気がする。

 朝木は両誌の記事について「ちょっと事実関係がかなりずれているなというところはありましたけれども、特に抗議をする事件の本筋をゆがめるようなものでもなかった」と供述しているが、彼らが「殺人未遂事件」とまで主張している事件に対して警察が「犯人」をすぐ「釈放」する方針だったなどと朝木の説明に反する記載をしたことも、朝木からみれば抗議をするようなものではなかったということなのだろうか。

被害届の記憶はあやふや

 さて、いずれにしても朝木は被害届を提出した。矢野と朝木は「事件」を「殺人未遂事件」だと主張している。朝木の法廷での供述によれば「釈放に応じることはあり得ない」というから、やはり被害届の罪名もよほど罪状の重いもの、つまり彼らが主張している「殺人未遂事件」だったのだろうか。この点についても朝木の法廷での供述がある。その供述はやや意外なものだった。供述を聞こう。



宇留嶋代理人  被害届には、罪名が書いてありましたか。

朝木  被害届には、確か器物破損とか脅迫みたいなことが書いてあったような気がするんですが。

代理人  器物破損とか脅迫とか、そんなふうに書いてあった。

朝木  はい、住居侵入も入っていたような気がします。

代理人  殺人未遂までは入っていなかった。

朝木  そうですね、殺人未遂は書いてなかったかもしれませんね。



 朝木が被害届を提出したことは事実のようである。しかしあれほど「殺人未遂事件」と騒ぎながら、まず被害届の罪名欄に何と書いてあったか記憶もあやふやな様子である。確かに少なくとも自宅に不法侵入され、ドアを蹴られたり怒鳴られたりした被害者としては、被害届を提出した時間帯にはまだ十分に落ち着きを取り戻していたとはいえず、明確に記憶に残っていなかったということもあり得ないことではあるまい。

 ただこの尋問の流れの中で朝木は、私の代理人から「器物破損とか脅迫とか」と聞き返され、自発的に「住居侵入も入っていたような気がします」と答えている。私の代理人はここで「住居侵入は?」とは一言も聞いていない。記憶になかったにもかかわらず「住居侵入」という聞かれていない罪名が出てくることは考えにくい。

 さらに「住居侵入も入っていた」ような気がする一方、「殺人未遂までは入ってなかった」という質問に対して朝木は「殺人未遂は書いてなかったかもしれない」と供述している。するとやはり、朝木が提出した被害届には「住居侵入」とは書かれてあっても「殺人未遂」とは書かれていなかったとみるのが自然である。つまり朝木の事件に対する認識もその程度だったとみるべきなのではあるまいか。

 いずれにしても、仮に朝木が「犯人」の釈放に応じなかったとしても、結果として東村山署は「犯人」をすぐに釈放した。

処遇を聞かなかった朝木

 ところで朝木は「釈放に応じることはあり得ない」理由として、朝木の代理人に対して「釈放なんてされたら怖くて、家に仕返しに来るんではないかとか、また来るんではないかというふうな恐怖が、2、3日はとにかく、寝られませんでしたから、私も、警察にいると分かってても寝られませんでしたから」と述べている。

 だから朝木は、警察の事情聴取の際「しっかり処罰してほしい」と申し入れたという。ところが朝木はそのとき「犯人」の処遇がどうなるかについては聞かず、それ以後1カ月以上も「犯人」の処遇について聞かなかったという。「事件」の発生が2月5日で、その2週間後には「事件」を報じた『週刊新潮』が、3月初旬には『週刊実話』が発売された。雑誌は取材させてもらった相手には寄贈するのが普通で、明代が自殺した際にマスコミ対応には手慣れている矢野と朝木が記事を読んでいないということはあるまい。

『週刊実話』が発売されたころ、すでに矢野は「殺人未遂事件だ」と主張しはじめている。ところが記事には両誌そろって、警察はただの酔っ払いとみており「釈放する方針」であるとする趣旨の内容が記載されている。警察への対応にも十分な経験を持ち、「釈放に応じることはあり得ない」と主張する朝木は、それでもなお東村山署に処分内容を問い合わせなかった。「釈放に応じることはあり得ない」とする主張とは矛盾するもので、矢野と朝木にしては想像しにくい消極さというほかない。

 その理由は何なのか――。やはり事件は少なくとも「殺人未遂事件」と呼ぶようなものではないことを、朝木も矢野もよくわかっていたからではないのだろうか。

(つづく)
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「朝木宅襲撃事件」 第12回
ファミレスで待機していた矢野

『週刊新潮』と『週刊実話』を比較すると、朝木が被害届を提出したタイミングには東村山署が「犯人」を釈放したあとか前かという点において多少のズレがある。しかしいずれにしても動かないのは、朝木が被害届を提出したのは東村山署が「犯人」を釈放する方針であることを知ったあとであるということと、東村山署が「犯人」を「過去にも迷惑をかけたことのある常習の酔っ払い」と認定していて、実際に「犯人」を釈放したという事実である。すると、朝木が被害届を提出しなければ、この出来事は事件化されることもなく、ただの酔っ払い騒動として片付けられていたとみていいのではあるまいか。

 矢野が多摩レイクサイドFM「ニュースワイド多摩」で、〈犯人は「この野郎、ぶっ殺してやる」と叫んだ〉〈関係者は(「朝木明代殺害事件」に続いて)「また事件が起きた」と語っている〉〈雰囲気として生命の危険が予想できるような事態〉などと放送したのは平成18年2月10日のことである。「事件」発生からすでに5日も経過している。

 実は、この時点では私には知る由もないことだが、朝木からの連絡で現場に駆けつけた矢野は、そのまま朝木の車で東村山署に同行し、朝木が事情聴取を受けている間、向かいのジョナサンで待機していたことをのちに矢野自身が明らかにしている。矢野は同放送で「東村山署の今後の捜査を見守っていきたいと思います」と述べているが、矢野が「事件」発生から5日もたったこの時点で東村山署の犯人に対する認識と当初の方針を知らなかったことが考えられるだろうか。当然、事情聴取後に朝木も合流し、警察の認識と方針を矢野に伝えたはずである。

 しかし警察の方針とは別に、事件処理という事務的側面からみれば、朝木が被害届を提出したことで処理はまだ完了していないという状況になっていた。だから同年2月18日の時点で、矢野がラジオでことさら明代の転落死と関係があるかのように伝える一方で東村山署の見解を伝えなかったのはアンフェアであるものの、一応、「東村山署の今後の捜査を見守っていきたいと思います」と述べること自体には理由がなかったとはいえないということになるのかもしれない。

タイトル部分以外の争点

 さて、「朝木宅襲撃事件」をめぐって私が執筆し、月刊タイムス(平成18年5月号)に掲載した記事をめぐり、矢野と朝木が問題にしたのはタイトル部分だけではなかった。

 記事の趣旨は、「『朝木宅襲撃事件』とは実際にはたんなる『酔っ払い騒動』であったにもかかわらず、明代の自殺が『他殺』だったと世間に印象付けるために、あたかも朝木直子の殺害を狙った計画的犯行であるかのように主張したもの」というものである。私がその論拠の1つと考えたのが、朝木が被害届を提出したのは東村山署が男を「釈放」したこと(あるいはその方針であること)を知ったあとであると『週刊新潮』と『週刊実話』の両誌が記載しており、またその流れも特段不自然な点はないと判断できたからである。

 警察の判断は「常習の酔っ払いが引き起こした騒動」で、「いったん保護したのちに釈放する」というものだった。これでは法律的に「事件」とはいえず、明代の自殺は「他殺」であると主張する材料として使うことはできない。しかし被害者である朝木が被害届を提出すればどうだろうか。結果はどうあれ「騒動」は「事件」となる。

 これまで矢野と朝木はさまざまな「事件」を捏造して、世間に対して明代の自殺を「他殺」と思わせようとしてきた。だから朝木が被害届を提出した背景にも同様の思惑があったとしても不思議はなかった。

 私はこの点に言及して次のように記載した。

〈通常、この種の事件で警察が釈放する場合には一応、被害者(この場合は直子)の了承を得る。つまり、男が釈放されたということは、直子も警察が男を釈放することについていったんは納得していたということであり、その後、なんらかの理由で直子は態度を硬化させたものと理解できた。

 では直子はなぜ、いったんは釈放に応じたにもかかわらず、その後被害届を提出したのか。警察が被疑者を書類送検もせず釈放したことは、事件はその時点で終わったということである。しかし、被害者が被害届を提出すれば、事件として終結したことにはならない。警察の受け止め方はともかく、被害を訴える側からすれば、事件は解決していないと主張することはできる。直子がいったん釈放を了承し、その後に態度を変えた背景には、直子に翻意をそそのかした人物がいたと考えるのが自然である。その人物とは、事件の日、現場に駆けつけた矢野以外には考えられなかった。〉

 この部分についても争点となったが、矢野と朝木の主張は以下のようなものだった。

「①原告朝木直子は犯人の釈放に応じた、②原告朝木直子は犯人の釈放に応じた後に矢野にそそのかされて被害届を提出した、③警察は被疑者を書類送検すらせず釈放し、その時点で事件は終わった――などという事実はない。」(要旨)

 このうち③の「書類送検しなかった」とする記載は明らかな誤りだった。ただ書類送致はされたが、朝木が提出した被害届の罪名欄に「殺人未遂」とは書かれていなかったと朝木自身が供述したことはすでに述べたとおりである。すなわち男は「殺人未遂」容疑で書類送致されたわけではないということだった。

 なお「書類送検しなかった」とした私の誤りについて東京地裁はこう述べた。

〈男が「書類送検」されなかったことが事実ではなかったとしても、同摘示事実は、当該記述部分の重要な部分とはみられず、この事実摘示によって原告らの社会的評価が低下したと認めるのは困難である。〉

(つづく)
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「朝木宅襲撃事件」 第13回
タイトル部分以外は不法行為を認定せず

 では、タイトル以外の争点に対する裁判所の判断はどんなものだったのか。東京地裁は次のように述べた。



(「朝木の被害届提出等に関する記述」に対する東京地裁の判断)

ウ 男が釈放されたこと、原告朝木が被害届を提出したことは、客観的な事実であると認められるが、原告朝木が男の「釈放を了承し」、あるいは「釈放に応じた」との部分は客観的な事実として明らかとはいえない。しかし、記述部分⑤の前に「通常、この種の事件で警察が釈放する場合には一応、被害者の了承を得る。つまり、男が釈放されたということは、直子も警察が男を釈放することについていったんは納得していたということであ」るとの記述があるから、被告宇留嶋は、かかる推測を前提にして男が「釈放」された理由として原告朝木の「釈放」の「了承」があったと考え、その結果、その旨を記述するとともに「事件は終わった」と記述したものと解することができる。

エ そして、「朝木宅襲撃事件」は原告朝木が被害者とされた事件であって、前記のとおり、被害者が被害届を提出するか否かは被害者の意思によるものであるから、被害届の有無、その時期の先後は被害者の名誉にかかわるものではない。また、原告朝木が男の「釈放」を「了承」したとする部分も、被告宇留嶋の前記推測の当否はともかくとして、被害者である原告朝木の名誉にかかわるものとはいえず、「事件は終わった」との事実摘示も原告朝木の名誉にかかわるものとはいえない。

 東京地裁はこう述べて、タイトル部分以外の争点部分(筆者注=本連載第12回)について「原告らの社会的評価を低下させるものとはいえない」と判示したのである。また「矢野がそそのかした」との部分についても同様の判断を示した。

 一方、東京高裁はタイトル部分の争点部分について、〈それ自体としては(タイトル部分等)についての理解を覆すものでも補強するものでもないと認めることができる。〉と述べるにとどまった。争点となるべき重要な記述とは認定しなかったということと理解できよう。

調書には同意していた朝木

 ところで東京地裁は朝木が「釈放」を了承していたかどうかについて〈客観的な事実として明らかとはいえない。〉と述べた。この認定自体に異を唱えるものではない。ただ朝木は、少なくとも警察が朝木の言い分を十分に聞いてくれたかどうかに関して、裁判官の直接の質問に対して興味深い供述をしている。参考までにそのくだりを紹介しておこう。



裁判官  警察で調書を執られたというお話でしたね。

朝木  はい。

裁判官  先ほどのお話だと、事実をそのまま警察で話をしたということなんですが、調書の読み聞けというのはされましたか。調書を取ったときに、後で警察官なりが読み聞かせをしますよね。

朝木  はい、読んでくださったと思います。

裁判官  それを聞いて、自分が言っていることと違ったようなことを書かれているという印象を受けましたか。

朝木  いや、自分の言ったことと違うことは特に書いてなかったと思います。

裁判官  そうすると、調書は、まあ正確に取られているという認識だったということで伺っていいですか。

朝木  そうですね、まあ警察の方と、ちょっとやり取りというか、本人が、まあ酔っ払ったみたいなことを言っていたので、ちょっとその調書を取るときに若干のやり取りはありましたけれども、一応私の言ったことを調書にしていただいたと思います。

裁判官  特にその調書について異議を述べたりしたことはないんですね。

朝木  異議は述べていないです。



 東村山署が男を「釈放」するという方針を最終的に固めたのは朝木の事情聴取後であることは明らかだろう。警察は朝木が異議を述べていない事情聴取の内容に基づき「釈放」すると判断したということである。言い換えれば、朝木の事情聴取の内容は警察が「釈放」すべきと判断する程度のものだったということになるのではあるまいか。

東京高裁も事件性を否定

 一審の東京地裁は記事に違法性はないとして矢野と朝木の請求を棄却したが、東京高裁も記事全体としては違法性を否定している。東京高裁は次のように述べた。



(記事全体に対する東京高裁の認定)

 本件記事本文を通読した場合には、③及び④(筆者注=タイトル部分等)以外の記述部分も含めて本件記事の意図が些細な事件を大げさに宣伝している控訴人ら(筆者注=矢野、朝木)の行為を非難することにあると理解できるから、その上で記述部分③及び④(筆者注=同)を改めて読み直すと、「自作自演」や「ありもしない『襲撃』」との記載は、通常の用法とは異なり、本件事件が控訴人らの意思とは無関係に発生したこと自体を否定するものではなく、その内容が些細なものであって襲撃というほど重大なものではなかったにもかかわらず、重大な加害行為があったかのように事件を誇大なものとして作出しその被害者を演じているという意味に用いられていると理解することができる。

……

 本件記事全体の趣旨は、上記のとおり、控訴人らが酔っ払い騒動を利用して、控訴人朝木に対する襲撃事件又は殺人未遂事件があったと宣伝し、その被害者を演じていることを非難するものであり、これによって控訴人らの社会的評価が低下することは避けられないと認めることができる。

 しかし、前記認定のとおり本件事件は控訴人朝木に対する加害を目的としたものとは認め難く、控訴人朝木も男が酔っ払っているように見えたと発言しこれを報じた記事が本件雑誌に先立って敢行された雑誌に掲載され、……控訴人らが市会議員という公職に就いていることからすると、本件記事の執筆及び掲載には違法性がなく不法行為が成立するとは認められない。



 東京高裁は記事全体については違法性はないと認定した上で、タイトル部分しか読まない読者を想定し、タイトル部分について名誉毀損の成立を認めたのである。

 この裁判では判決だけでなく、事件の真相を明らかにすることが重要なテーマだった。この点については、一審が〈原告朝木は当日男からそのような言葉(筆者注=「てめぇ、ぶっ殺してやる」)を聞いていなかったとの可能性が考えられる〉、すなわち矢野と朝木が「殺人事件だ」と主張する根拠を実質的に否定したこと、さらに東京高裁が、

〈控訴人朝木に対して危害を加える目的によるものと認めるに足りる事情はなく〉

〈本件事件は控訴人朝木に対する加害を目的としたものとは認め難く〉

 と認定した事実は大きかろう。裁判所の判断は少なくとも「殺人未遂事件というようなものではない」というものだったのである。

(つづく)
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「朝木宅襲撃事件」 第14回
東京地検の結論

 では事件当日、朝木が東村山署に対して提出した被害届に対する東京地検の処分結果はどうだったのだろう。矢野と朝木は裁判が始まってまもない時期に東京地検八王子支部が朝木に対して平成19年8月24日付で交付した1通の「通知書」を証拠として提出した。朝木が提出した被害届に対する処分内容の通知である。「通知書」には次のように記載されている。



(「通知書」の記載)

 ○○(筆者注=被疑者名)に対する住居侵入事件(事件番号18-226)は、平成18年3月16日、不起訴処分(起訴猶予)としたので通知します。



 この短い通知の中には、東京地検が事件を「住居侵入事件」として処理し、「平成18年3月16日に不起訴処分」としたことが明記されている。朝木は被害届を提出した際、罪名欄には「確か器物破損とか脅迫みたいなことが書いてあったような気がするんですが」「住居侵入も入っていたような気がします」と曖昧な供述をしているが、この「通知書」の記載からすると、被害届に書いてあった罪名も「住居侵入」だったとみるのが自然である(通常は被害届と処分の罪名は一致している)。

 裁判で朝木は「事件」が「酔っ払いによる騒動」だったとは認めなかった。しかし、東京高裁も〈控訴人朝木も男が酔っ払っているように見えたと発言し〉と認定しているように、朝木はやはりその時点で男を「酔っ払い」と認識しており、「殺人未遂事件」であるとは考えていなかったというのが真相なのではないのだろうか。

 そう考えると、朝木が「釈放」の方針を知ったあとに被害届を提出したことには違和感を覚えるし、矢野とともに明代の自殺を「他殺」と印象付けるために騒動を利用しようとしたと考えることに合理性がないとはいえまい。いずれにしても、矢野は「多摩レイクサイドFM」「ニュースワイド多摩」では平成18年2月10日から同年3月10日まで朝木を狙った犯行であるかのような放送を行い、3月10日には「殺人未遂事件」と主張をエスカレートさせ、同年3月31日付『東村山市民新聞』でも同じ主張を行った。また同年5月以降にはインターネット「東村山市民新聞」「矢野ほづみ議員のページ」「創価問題新聞」でも同様の宣伝を行っている。

 東京地検が「不起訴処分」の決定を行ったのは平成18年3月16日である。すると3月10日まではまだ、朝木を狙った犯行であると主張し、捜査機関の結論が出ていないかのような放送を行ったとしてもやむを得ない部分もあるかもしれない。しかし少なくとも同年3月30日付『東村山市民新聞』でもまだ捜査機関の結論が出ていないかのような記載をしたことをどうみればいいのだろうか。

朝木が処分内容を知った時期

 東京地検から送付された「通知書」は平成19年8月24日付だが、「通知書」の日付が処分から1年半もあとになっているのは、後日朝木が処分内容を通知してくれるよう依頼したからであり、朝木が処分内容を知った時期ということではない。では、朝木が東京地検の処分結果を知ったのはいつだったのか。その点は本人尋問で私の代理人が朝木に聞いている。朝木の供述を紹介しよう。



(朝木が「東京地検の処分結果」を知った時期)

宇留嶋代理人  最終的には不起訴処分に終わったということを知ったのはいつですか。

朝木  (平成18年)3月の末、検察のほうに、処分がどうなったのかというふうな開示請求をして、検察からの処分通知で知りました。

代理人  これ(筆者注=上記「通知書」)は平成19年の8月だから翌年ですね。今お話しになった通知というのは、これとは違う。3月末ごろに知ったというふうにおっしゃったんですが。

朝木  ……そしたら、検察に電話をしたか、これはどうだったかな、もうちょっと早かったような気がしますけれども、19年ですよね。

代理人  事件が18年の2月で、処分は3月16日と中に書いてありますよね。

朝木  ……処分というか、これ(筆者注=上記「通知書」)は確か、どういう理由で不起訴処分の、起訴猶予なのか、例えば、嫌疑不十分なのか、そういう理由が知りたくて、これを確か開示請求をしたんだと思います。

代理人  そうすると、結果としては、不起訴処分であるということ自体はもっと前に分かっていて、それが(平成18年)3月の末ごろと。

朝木  確か開示請求をする前に、検察のほうに電話を1度してます。

代理人  それで結果を教えてもらった。

朝木  そうですね、確かそうだと思います。

代理人  それがいつごろ。

木  すみません、申し訳ない、覚えてないです。

……

代理人  ここに書かれた3月末ごろ、知ったというのは間違いないと。

朝木  はい。



 朝木は「独りでは夜も寝られず、しばらくは知人に泊まりにきてもらった」ほど怖かったというが、その割りには事件からひと月たっても捜査結果を聞かなかったという。結果的に捜査結果を知ったのは電話の問い合わせによるというのなら、なぜもっと早い時期に聞かなかったのだろうかという疑問が生じよう。

 いずれにしても朝木の供述によれば、朝木が東京地検の処分結果を知ったのは「平成18年の3月末ごろ」であるという。内容はともかく、「平成18年3月30日付東村山市民新聞」は捜査機関の結論がまだ出ていないことになっている点においてだけはかろうじて整合性が取れていることになろうか。しかしもちろん、その後矢野と朝木がインターネットに掲載した記事は東京地検の結論を隠し、あたかも「酔っ払い騒動」が朝木を狙った「殺人未遂事件」であると虚偽の宣伝をしていると批判されてもやむを得まい。
 
 朝木は尋問の際、「不起訴処分」の結論に納得しているわけではなく、対応を弁護士と相談しているとも述べた。しかしその後、朝木が捜査機関に対してなんらかのアクションを起こしたという情報はどこからも発信されていない。

(了)
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