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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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『週刊現代』事件 第11回
いなかったことにされた乙骨

 初会合の席に朝木側として同席していた乙骨正生は、矢野が「(問題のコメントを)言った言わないの話にはならない」と回答したことを証言した。「取材さえ受けていない」と主張している朝木にとって、彼らの全面的な協力によって『怪死』を出版し、当時は朝木側の立場で出席していたジャーナリストが彼らの主張を否定する証言をしたことを容認するわけにはいかなかったようである。

 担当者の陳述書によれば、朝木側は乙骨の証言を否定するために、その会合に朝木側から出席していたもう1人の人物、小坂渉孝の陳述書を提出している。小坂は乙骨の証言を否定するために陳述書で「乙骨氏は同席していなかった」と述べていた。同席していない者にわかるはずがないというのである。

 私の経験上でも、小坂は5分前に存在していない事実を「存在した」と主張できる特異な能力の持ち主である。何人の人物が現認した事実であろうと、「いや、なかった」と主張することなど何の苦もあるまい。

 ところで陳述書は本来、自分が実際に見たり、経験した事実を述べるもので、主張や論評を述べるものではない。ところが小坂は「乙骨氏は同席していなかった」と述べた上で、あえて「乙骨氏は講談社から仕事をもらっているから、事実でないことを述べている」などと乙骨を批判していたという。乙骨は事実よりも利害関係を優先したという意味だが、ジャーナリストに対するこれほどの侮辱はない。

 朝木がこの陳述書を証拠として提出したということは、このような論評を加えることを矢野も朝木も容認したということとみなされても仕方あるまい。とすれば、矢野と朝木にとって乙骨がどの程度の存在だったかをうかがい知ることができるのではあるまいか。『怪死』出版当時はまだ利用価値があった、ということだろうか。

「講談社は沈黙した」と朝木

 矢野が講談社の代理人に対して「言った言わないの話にはならない」と回答したと担当者らが主張している点について、朝木自身は陳述書で次のように述べた。



(「言った言わないの話にはならない」に関する朝木の陳述書における主張)

 先ず、矢野議員が「この記事には発言していないのに、発言したと書かれている部分がありますよね。私も直子さんも、どの社にも同じ内容のお話しかしていませんよ」と切り出して、私も「父も私も『朝木明代が創価学会に殺された』という発言はどのマスコミにもしていませんし、『週刊現代』にもこういう発言はしたことはありません」とはっきり伝えました。講談社側は、反論することもせず、沈黙していました。民事訴訟に私達を巻き込んでしまったことは、申し訳ないという恐縮した態度でした。

 私は、本件記事の合計5箇所の記述について、私たちが発言していない点だけははっきり伝えておこうと考えて、再度「このような発言はしていないことはおわかりですよね。取材もしていないんだから、取材の録音テープだってないでしょ。」と尋ねたところ、講談社側は「録音テープはありません」という答えが返ってきましたので、このときの会談のやりとりで、講談社側は、私と父が右発言をしていないことは十分に理解されたものと考えました。



 朝木の陳述書では、問題の『週刊現代』が発行されたあと、朝木がただちに担当者に電話して「取材も受けておらず、コメントもしていない」とする電話をかけており、講談社側は朝木の主張を承知した上でこの会合が行われたというストーリーになっている。

 その上で、矢野が講談社代理人から確認を求められたのに対して「言った言わないの話にはならない」といったどころか、逆に矢野の方から「言っていない」と切り出したのであり、さらに朝木が講談社側に対して「録音テープもないでしょ」とたたみかけたというのが事実であると主張している。録音テープなど存在しないことを承知の上でそう記載したのだろう。もちろん裁判所はこのストーリーは無視したが、彼らなりに念入りにストーリーを練り上げた跡がうかがえる。

 朝木の上記陳述書の内容については当然、講談社の代理人が尋問で取り上げた。そのやりとりをみよう。



(「言った言わないの話にはならない」に関する朝木に対する尋問内容)

講談社代理人
  95年10月17日にお会いしましたね。その時に私から、「言った、言わないということであとで問題になるようだったら話にならないですけれども、そういうことにはなりませんね」、ということを確認を取られた記憶はありますか。

朝木  私はちょっとそういう記憶はありませんですが。こちらから「発言はしていない」ということは申し上げてあります。

代理人  それで、こちらが沈黙したというの? 私は当日その確認だけ取りに行ったんです。弁護方針を立てるために。

朝木  でしたらどうして……。

代理人  聞かれたことだけに答えて下さい。その確認だけ取りにいって、それに対してあなたが言っていないということで、弁護士が「はい、そうですか」で沈黙するんですか。よく記憶を喚起して下さい。



 担当者と乙骨は陳述書で、この日の会合について「友好的に進み」「いっしょに頑張りましょうということでこの日は別れた」と述べている。それが事実と仮定すれば、弁護士がコメントの事実だけを確認するためだけに東村山まで出向き、コメントの事実を否定されたとすれば、会合が「友好的に進む」ことは考えられない。

「乙骨も大統もいなかった」

 朝木側は矢野の「言った言わないの話にはならない」とする回答が事実であるとした乙骨の証言について、支援者の小坂渉孝が「乙骨はその場にいなかった」と証言することで乙骨証言の信憑性を否定しようとした。講談社代理人はこの点についても朝木に聞いた。



(乙骨の存在に関する朝木の供述①)

講談社代理人  そのときいた方は他に誰がいましたか。講談社側と朝木さん側の他に、いらっしゃった方はいませんか。

朝木  私と矢野さんがこちら側ではいたと思います。あともう1人市内の方が1人いらっしゃいます。

代理人  それから大統さんもいらっしゃったね。

朝木  いや、父は行ってません。

代理人  それから、ほかには。

朝木  あと私の弟がいたかもしれませんが。

代理人  それからあとは。

朝木  あとはちょっと記憶がありません。

代理人  乙骨さんはいらっしゃいましたね。

朝木  ちょっと私は記憶ないです。

代理人  乙骨正生。

朝木  はい、乙骨さんは存じてます。



 朝木も「市内の方」すなわち小坂はいたが、乙骨については「記憶がない」という。「いた」という記憶がないといっているのか、「いたともいないとも憶えていない」という意味なのか明確でないが、「いた」と明言するものでない以上、朝木も婉曲に「乙骨はいなかった」と主張しているものと理解すべきだろう。出席していない人物の証言は「証言」とはいえず、信用に値しないと主張しているに等しい。

 ここでもう1点注意しておくべきは、朝木が大統についても講談社側の証言とは異なり、出席していないと供述したことである。当時、大統は「失明状態にあった」ことになっていたから、この会合にも出席していなかったということなのだろうか。ただこの供述はのちに、朝木供述全体の信憑性にも関わってくることになる。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第12回
論点をそらした朝木

 講談社の代理人から初会合の席に乙骨がいたのではないかと聞かれた朝木は、「乙骨さんは存じてます」とあえて「ただ知っているだけ」の関係であるようないい方をし、「乙骨は出席していなかった」と供述した。これに対して講談社の代理人は乙骨の具体的証言を示して突っ込んだ尋問を行っている。



(乙骨の存在に関する朝木の供述②)

講談社代理人
  これは証拠には出してないけれども、『怪死 東村山女性市議転落死事件』、教育史料出版会から本を出されている、いわゆる創価学会のウォッチャーですね。

朝木  というふうに聞いております。

代理人  で、草の根事務所にもよく出入りされている方。

朝木  はい。



『怪死』によれば、乙骨は朝木明代の死亡が確認された日の午前6時ごろ、矢野から第一報を受けた。マスコミ関係者の中で遺族関係者から最初に連絡を受けたのは乙骨だったのではなかったか。かなり親密でなければ、そんな早朝に連絡することはあるまい。もちろん朝木とも、その後の取材の過程においてそれなりの信頼関係を築いていたことは間違いないと思われる。

 その朝木が代理人から乙骨の簡単なプロフィールを聞かれて、「(創価学会のウォッチャー)というふうに聞いております」とはまた、かなり距離を置いた物言いである。「こんな重要な会合に呼ぶほどの関係ではない」といいたかったのだろうか。続く尋問を聞こう。



代理人  この方が当日のびっくりドンキーの打ち合わせに出ていらっしゃったんですけれども、……(講談社)弁護士から朝木サイドに対して「言った言わないという争いにはなりませんね」という確認があり、それに対して朝木サイドが「それは大丈夫です」と答えたと記憶してます。一方講談社サイドは、「とりあえず安心いたしました」と、こういうことになってるんですけれども、あなたはこれでも記憶は喚起できませんか。

朝木  それは○○先生(筆者注=講談社代理人)が、それは私たちが合意したとおりに、私たちが発言したというような前提で先生が訴訟を進めるということではなかったんじゃないですか。

代理人  事実を聞いてるんだから、事実で答えて下さい。こういうことを乙骨さんがおっしゃてるけれども、あなたはそういう記憶は喚起できないんですか、どうですかというふうに聞いてるんです。喚起できないならできないでけっこうですよ。

朝木  こちらは発言してないという前提で訴訟を進めるということで合意しました。そういう意味だったらあり得ますが、○○先生(同)は(平成8年)1月25日の会談のときにも準備書面を書き換えて下さってるじゃないですか。確認して下さい。

代理人  私が今聞いてるのは、びっくりドンキーの会合の席上でのことを乙骨さんがこう述べてるんだけれども、あなたはそういうことを○○(同)との間で確認して答えた記憶はないんですか、と聞いてるんです。

朝木  私は先生の言葉を細かく覚えていたわけではありませんが……。



 講談社の代理人は具体的に乙骨が証言した講談社側と朝木側のやりとりの内容を示し、その事実について記憶がないかどうか朝木に聞いている。ここまで具体的に聞かれれば、聞かれた事実について憶えているか憶えていないか答えるのが普通だろう。ところが朝木は、聞かれた単純な事実に対しては頑として答えようとはしなかった。

 この場合、朝木が単純な事実について素直にイエスかノーで答え、それが信用できないと判断された場合には心証が悪化することは避けられない。それよりも質問をはぐらかしつつ、趣旨として講談社側の主張を否定する方が賢明と考えたということらしい。

 ただもちろん、イエスかノーかの質問に正面から答えなかったこと自体、講談社側の主張を覆せない証拠であるという心証を形成されかねないことも覚悟しなければならない。事実、「そのようなコメントはしていない」という朝木の主張を裁判所は事実とは認めなかった。

こぞって乙骨を排除

 講談社の代理人が朝木側に対して「言った言わないの話にはなりませんね」と確認した会合に乙骨が出席していたかどうかについては、創価学会の代理人も朝木に聞いている。朝木側が「それは大丈夫です」と答えたとする乙骨の証言は重要であると認識していたということである。

 乙骨がこの会合に出席していたかどうかについて、朝木は講談社代理人による尋問では「記憶がない」と供述し、出席していたかどうか明言はしていなかった(=前回)。そこでまず創価学会代理人は、「記憶がない」という供述が「乙骨は出席していなかった」という意味なのかどうかを朝木に対してまず確認した。すると朝木はそれが「出席していなかった」という意味であるとあっさり認めた。その上で代理人は、他の朝木側出席者がその点についてどういっているかを聞いている。



(乙骨の存在に関する朝木関係者の「認識」)

代理人
  その件については矢野さんにも聞きましたか。確認しましたか。

朝木  はい。

代理人  矢野さんは何と言ってましたか。

朝木  矢野さんも、記憶がないという話です。

代理人  ほかの、小坂さんもいなかったと、こう言ってるわけね。

朝木  小坂さんはかなりはっきりと憶えてらっしゃって、それはちょっとあり得ないんじゃないかというようなお話をなさってました。

代理人  乙骨さんがこの席に、講談社の方は出ていたと、こういうふうに言ってるんですけれども、あなた方のグループというかあなたも矢野さんも、乙骨さんはいなかったんじゃないかと、こう思ってると、こういうことなんですね。

朝木  はい。



 朝木によれば、この会合で矢野は〈「この記事には発言していないのに、発言したと書かれている部分がありますよね。私も直子さんも、どの社にも同じ内容のお話しかしていませんよ」〉と切り出したという。すると矢野にとっても朝木にとっても、この会合は「コメントをしていない」ということを講談社側に改めて確認させる重要なものだったはずである。その会合に乙骨が出席していたかどうか、矢野に「記憶がない」という程度の記憶しかないということはあり得ない。

 矢野も朝木も乙骨の存在を否定するにあたり「記憶がない」と直接的な表現を避けた。裁判では第三者が否定してくれた方が客観性がありそうにみえると考えたのだろう。そこで、会合の出席者で、かつ裁判では当事者ではない小坂が矢面に立ち、矢野と朝木は「記憶がない」と間接的に否定することにしたということではあるまいか。

 講談社側が朝木側に対してコメントの事実を確認したのに対して矢野(朝木側)が「言った言わないの話にはならない」と答えたとする講談社側の主張が真実なのか、あるいは矢野が「この記事には発言していないのに、発言したと書かれている部分がありますよね」などと切り出したとする朝木側の主張が真実なのか――。乙骨の存在が少なくとも当事者間でこれほど重要な争いとなったのは、乙骨の証言がこの重要な争点と密接に関係しているからである。

 裁判所はこの点について具体的な判断を示していない。しかし「コメントはしていない」とする朝木の主張を認めなかった判断から類推すれば、やはり乙骨の証言を信用したものと考えるのが自然である。すると、矢野と朝木は当時、講談社よりも親密な関係にあった乙骨を初会合の席に同席させたが、問題のコメントの存在を認めた重要なやり取りについて乙骨がありのままを証言したため、今度は小坂と口裏を合わせ、乙骨がその場にいなかったことにしようとした――ということになる。

 乙骨がその会合に同席したことには、それまでの経緯や背景、思惑も含めた乙骨なりの意思もあっただろう。矢野らが乙骨の同席を否定するということは、それらをもすべて否定するということである。矢野と朝木にとって乙骨とはその程度の存在だったということだろうか。

 あるいはこう言い換えた方がより適切なのかもしれない。矢野と朝木は『週刊現代』を裏切り、その裁判の過程で乙骨正生をも裏切っていたのである、と。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第13回
絶妙の尋問

 講談社と朝木側の初会合の席で矢野が「(朝木のコメントについて)言った言わないの話にはならない」と回答したとする乙骨正生の証言を全面的に否定した朝木に対し、創価学会代理人は続けて、乙骨が講談社に有利な証言をした理由について思い当たるところはないか聞いた。これに対して朝木は小坂と同様に、「講談社との仕事上の関係ではないか」と述べた。

 ただ創価学会代理人にはもう1点聞きたいことがあったようだった。経験豊富な代理人は妙なことを聞き始めた。朝木と乙骨との関係にやんわり言及したのである。



(朝木が供述した乙骨との関係) 

創価学会代理人  (講談社との仕事上の関係のほかに)何か特に(あなたと)乙骨さんと利害が対立しているとか、何かそういうことがあるんですか。

朝木  1度、乙骨さんのお書きになった本(筆者注=『怪死』)があったんですけれども、その中でちょっと配慮を欠いた部分がありましたので、その部分を訂正していただいたことがあります。ですので乙骨さんはこちらに対してそのことを根に持つというか、そういう気持ちはあるかもしれませんが、私は推測であまりこれ以上は申し上げることはできません。

代理人  乙骨さんというのは、よく創価学会の批判記事を書いてる人ですよね。

朝木  はい。

代理人  現在もそうなんだけれども。何か今あなたがいわれたようなことを根拠に、ああいう事実と違う陳述書を出したと、こういうことになるわけですか。

朝木  いや、ですので私はなぜかわかりませんので、ここでちょっとそういうふうな決めつけるようなことは申し上げません。



 乙骨は『怪死』で「朝木明代の転落死には創価学会が関与した疑いがある」と主張し、朝木らのデマを代弁するとともに、デマを世に広める重要な役割を果たした。「東村山デマ」を妄信する者たちは現在もなお『怪死』をその有力な資料としている。

 その『怪死』の出版後に朝木らと乙骨の間に何が起きていた第三者が知りうるはずもなく、まして『怪死』の表現をめぐって朝木が乙骨にクレームをつけたことなど、本来なら朝木が話す必要はまったくない。ところが朝木はこの日、創価学会代理人の問いかけに外部に知らせる必要のない内情をあっさりさらしたのだった。それほど乙骨の証言を否定することに必死だったのだろう。

乙骨が漏らした本音

 しかも乙骨に対する朝木のクレームのつけ方は、朝木が「そのことを根に持つというか、そういう気持ちはあるかもしれません」というほどのものだったことがうかがえる。著書の内容についてたんに誤りを指摘された程度で、法廷で事実に反して相手方に不利な証言をするほど根に持つとは普通は考えにくい。法廷で対峙した朝木には、乙骨の反応が決して穏やかでなかったことを実感していたのだろう。

 朝木と矢野が乙骨にクレームをつけた『怪死』の「(矢野と朝木に対して)ちょっと配慮を欠いた部分」には以下の箇所が含まれると聞いている。



〈朝木さんに対しても「万引き常習者」だの「家族揃って万引きをしている」などと、それこそ根も葉もない誹謗中傷が加えられているが、そうした誹謗中傷の極めつけにあるのが、W不倫情報。

 朝木さんと矢野さんは、以前からW不倫関係にあり、二人が性交渉していた声が、事務所から漏れていたなどとの噂が、東村山市内では、創価学会・公明をはじめとする反「草の根」グループからまことしやかに流されているのである。〉



 朝木によれば、これらの箇所について朝木らは乙骨に対して法的手段によって削除を要求した。乙骨は噂の存在を示した上でそれを完全に打ち消す方が彼らの利益になると判断したわけだが、朝木らは「噂」の中には動かしようのない事実やあまりにも生々しい話も含まれており、噂の存在を記載すること自体が「配慮を欠くもの」と判断したということだった。

 朝木にとって噂自体が許せないということだったのだろう。乙骨が記載した「噂」のうち、少なくとも明代が平成7年6月19日に万引きという犯罪を犯したことは事実だった。だから朝木は法的手段に訴え、削除を要求したのではあるまいか。彼らのそれまでの関係の深さからすれば、当初は話し合いがあったと推測されるが、朝木らが引き下がる気はなかったはずである。

 最終的に乙骨は矢野と朝木の要求を受け入れた。しかし乙骨は、仮に朝木の「配慮を欠いている」とする主張を理解したとしても、彼らに対する見方が大きく変わったのではないか。そう思われる具体的な話も漏れ聞こえてきた。『怪死』を出版して1年もたたないころ、乙骨は周囲にこう漏らしていたという。「もう東村山には行きたくない」と。

「ジャーナリストとしての信頼」

 ただもちろん、朝木らと乙骨の関係が変質していたとしても、『週刊現代』裁判で乙骨が事実に反して朝木が不利になるような証言をしたということにはならない。乙骨の証言が講談社側出席者の認識に一致している点からしても、乙骨は事実をありのままに証言したとみるべきだろう。担当者は乙骨証言の内容が事実であると述べるともに、次のように述べている。

〈乙骨氏が講談社のためにウソの陳述をしたとしたら、ジャーナリストとしての信頼は失われ、それこそ仕事がこなくなります。〉

 講談社と朝木側の初会合の席で朝木側がコメントについて「言った言わないの話にはならない」と明言した事実を乙骨はありのままに証言した。講談社にとって乙骨は「ジャーナリストとしての信頼」が失われることはなかったことになる。

 しかし乙骨は朝木がコメントの事実を否定し、初会合の席に乙骨はいなかったと虚偽の供述をするに至る経緯の中で、自分自身に対する「ジャーナリストとしての信頼」がぐらつくことはなかったのだろうか。普通の感受性の持ち主なら、朝木が『週刊現代』におけるコメントを否定した時点で、それまで自分がさんざん取材を重ねてきた相手の主張が虚偽に満ちたものではなかったかと疑問を持ち、『怪死』の内容についても少なくとも見直す必要があると考えてもなんら不思議はない。

 しかし乙骨が、朝木が『週刊現代』のコメントを否定したことについて疑問を呈したことはなく、乙骨が会合に出席していたことを虚偽の証言によって否定した事実を公表したこともない。もちろん『怪死』の内容についてなんらかの反省を述べたことはただの1度もない。

 少なくとも、朝木が『週刊現代』の取材も受けていないなどと虚偽の主張をしたことについて何も疑問を持たないはずはあるまい。そのことを乙骨が自発的に批判しないのは、自分自身にとってもきわめて都合が悪いということを理解しているからにほかなるまい。

 乙骨はかつて講談社に対しては「ジャーナリストとしての信頼」を維持したかもしれない。しかし読者や自分自身に対しての信頼はいまだ失われたままである。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第14回
手を引かなかった朝木

 朝木は裁判開始から1年も経過したあとになって、「『週刊現代』の取材はいっさい受けていないし、(『明代は創価学会に殺された』)などというコメントはしていない」と主張し始め、裁判では「取材を受けていないことは『週刊現代』発売当日に編集部に電話して、担当者にその旨を伝えた」などと主張した。これに対して講談社側はコメントを捏造した事実はなく、朝木らが『聖教新聞』を提訴するまで「『週刊現代』の取材は受けていない」などと主張した事実もないと述べている。

 その点について、平成7年10月17日に講談社側と朝木側が初めて顔合わせをした際に、講談社代理人が朝木側に対して「言った言わないの話にはなりませんね」という確認があり、矢野がはっきりと「そのようなことはありません」と答えたと担当者は証言した。また講談社は朝木側の立場で会合に同席していたジャーナリストの乙骨正生に証言を依頼したところ、乙骨は応諾し、同様の証言を行った。

 ところがこの証言に対して朝木側は、乙骨はこの会合に出席していなかった(したがって乙骨の証言は信用できない)と主張するなどして講談社の主張を真っ向から否定したのだった。しかし、もう1人の出席者に関する供述によって朝木は、乙骨に関する供述がいかに信用性のないものであるかを自ら立証してしまっていた。

「もう1人の出席者」とは朝木の父親、大統である。朝木は講談社代理人から初会合の出席者について聞かれた際、大統は会合に出席していないと供述していた(本連載第11回参照)。しかしそれは重大な記憶違いか、意図的な虚偽だったことがほかならぬ大統の口から明らかになったのである。

 一審では大統に対する尋問は行われなかったが、控訴審で東京高裁は大統に対する尋問も必要と判断した。大統に対する尋問が行われたのは平成13年2月1日午前11時だった。

 朝木によれば、平成7年9月の時点で大統はほとんど失明状態にあったという。ところが尋問を傍聴した千葉によればその日、2人は一緒に法廷にやってきたが、朝木は大統の手を引くでもなく、1人で当事者席に入ったという。大統は入口から1人で当事者席まで歩いて行ったのである。

「父親の目が不自由だとすれば、普通は手を引くなりすると思うが、朝木が父親をいたわっているようにはとても見えなかった」

 千葉はそう振り返る。

きわめて素直な供述

 さて、控訴審でも大統は娘と同じく「取材はいっさい受けていない」と主張していたが、尋問で講談社代理人は初会合の日のことについて言及した。代理人は自分の顔を確認させるためにまずこう聞いた。「父はほとんど失明状態にある」と朝木が主張していたからである。



講談社代理人  (代理人は)1メートルくらい前に顔を置きます。朝木さん、私の顔は見えますか。

大統  見えません。

代理人  朝木さん、私と会ったことありますね。記憶あるでしょう。



 代理人がこう聞くと、どうしたことか大統ははっきり「はい」と即答した。大統はよほど記憶力がすぐれていて、顔が見えなくてもそれが代理人の声だとすぐにわかったらしい。いずれにしても、大統がこの講談社代理人と会ったことがあると認めたことはきわめて重要である。続く尋問を聞こう。



代理人  どこで会いましたか。

大統  ファミリーレストラン。

代理人  何というところだったでしょうか。

大統  何というところでしたかね。

代理人  「びっくりドンキー」、よく使われてたでしょう、あの当時。

大統  私は「よく」というわけではございません。



 確かに当時「びっくりドンキー」をよく使っていたのは、万引き事件のアリバイ工作で使った朝木明代と矢野穂積である。しかし大統は、代理人と「びっくりドンキー」で会ったことを認めた。朝木や矢野に比べれば、きわめて素直な供述である。

 では、それはいつ、どんな形で、どんな内容の話し合いがなされた会合だったのだろう。代理人が矢野に対して「言った言わないの話にはなりませんね」という確認をした会合ではない可能性もないとはいえないから、ここは手を緩めずに詰めておく必要がある。代理人は会合の内容を具体的に聞いた。



代理人  私どもと講談社4人で行った記憶ありますね。

大統  何人というのははっきり憶えてません。

代理人  すでに朝木さんたちのグループの方が座られて、あとから行ってあいさつさせていただいたという記憶ありますよね。

大統  はい。



 講談社の社員と顧問弁護士、それに相被告となった朝木のグループが、東村山の「びっくりドンキー」で一堂に会した機会とは、まさに問題となっている初会合以外にはあり得ない。大統はこの時点で初会合に出席していたことを何のためらいもなく認めたのである。

足を引っ張った大統

 一方、この会合に大統が同席していたかどうかを聞かれた朝木は、大統の同席を否定している。創価学会から提訴されていた本人である大統が、相被告である講談社との初めての打ち合わせの席にいたかどうか、朝木が覚えていないということは考えにくい。

 朝木は大統が出席していないと供述した尋問の中で、乙骨の出席も否定している。乙骨の出席を否定したのは乙骨が自分たちに都合の悪い証言をしたからである。大統についても、当時、朝木は裁判で大統を表に出したくないと考えていた。大統も出席していたといえば、大統に対する尋問も必要と判断される可能性がある。だから朝木は、大統は出席していないことにしたのではあるまいか。

 しかし控訴審で、東京高裁は本来の争点であるコメントの有無に関して大統に対する尋問の必要があると判断し、大統に対する本人尋問を行うことにした。一審で朝木はとっさに初会合の席に大統はいなかったと供述したが、その点にまで十分な打ち合わせができなかったものとみえた。

 そんなこととは知らない大統は、初会合の席に出席していたことをあっさり認めてしまった。これによって、初会合の席に乙骨はいなかったとした朝木の供述は著しく信用性に欠けるということがあらためて立証されたのである。朝木は実の父親の正直な供述によって足を引っ張られたということになろうか。無残な親子関係である。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第15回
朝木を信用していた講談社

 担当者の陳述書によれば、朝木が平成8年に『聖教新聞』を提訴した訴状で「『週刊現代』の取材はいっさい受けていない」と主張するまで、朝木が『週刊現代』に対してそのような主張をしたことはいっさいなかった。平成7年10月17日に東村山で初会合を行って以後も、担当者は数回にわたって朝木側と打ち合わせを行っている。しかしその際にも、朝木は「取材はいっさい受けていない」と主張するどころか、「いい弁護士を紹介してくれませんか。元特捜部長の河上和雄先生(=当時、講談社の顧問弁護士)はどうでしょうか」と相談をもちかけるなどしたという。

 コメントを捏造され、提訴までされる原因を作った相手とは利益の相反する敵である。その敵に対して弁護士を斡旋してもらおうとすることは、普通はあり得まい。担当者のこの証言は具体的で、信用性があると評価できるのではあるまいか。

 担当者によれば、平成8年1月25日には東京弁護士会館で双方の代理人が同席して打ち合わせを行ったが、その際にも記事に対する抗議はなかった。この日、講談社代理人は講談社が提出する準備書面の原案(以下=原案)を朝木側にも渡していた。内容に齟齬があってはいけないし、応訴方針との関係で主張内容を調整する必要があるかもしれないと考えたのだろう。

 朝木はこの日に講談社側から原案を渡された事実を否定しておらず、この事実を動かすことはできない。仮にそれ以前に朝木が講談社側に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と主張していたとすれば、講談社側が朝木に対して事前に原案を見せることも、意見を聞くなどということもあり得まい。

 すなわち、この打ち合わせにおいて講談社側が朝木側に対して原案を見せたこと自体が、朝木が講談社に対して「取材はいっさい受けていない」などと伝えた事実はないことを裏付けていよう。最初の会合で朝木側が「言った言わないの話にはならない」と言明したことで、講談社側は朝木を信頼していたのである。

 だから、講談社側は原案でコメントの事実について次のように認否していた。

「被告朝木大統、直子が週刊現代編集部の取材に際して記事中で引用されている各発言を行った事実は認めるが……」

 講談社は問題のコメントがあった事実を認める一方で、朝木が講談社に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と主張しているなどとはいっさい記載していない。当然ながら、この事実からは、講談社は朝木のコメントがあったことを前提に裁判を闘おうとしていたことがうかがえる。

朝木側の応訴方針に違和感

 もちろん講談社としてはコメントの事実を否定することは自ら記事の信憑性を否定することになるから、コメントの事実を認めないということはあり得ない。だから問題となったコメントの事実を認めた上で、真実性・相当性ではなく、「遺族の声を伝えることは『自由な言論』である」という形で裁判を争おうとしていた。真実性・相当性が立証できないのなら「報道の正当性」で争うしかなかったのだろう。

 しかし、朝木側の方針は講談社側からみてかなり理解に苦しむものだった。講談社代理人によれば、講談社の応訴方針に対して朝木側は、「(コメントを前提とした)『自由な言論』というような本質に入らないで、当事者問題とか手続き問題でやりたい」と答えたという。朝木の代理人がこの日の打ち合わせで述べたのは以下のような内容だった(朝木に対する尋問での発言)。



(朝木代理人の発言要旨=講談社代理人による)

①「発言内容の公表は企図したわけではなく、『動揺した親族の言葉』である」

②「発言内容を否定するものではないが、正面突破する真実性(「明代は創価学会に殺された」)についてはこの土俵では争わない」

③「創価学会の法人格について争う」



 朝木代理人の上記説明のうち、③は「創価学会は日蓮正宗から破門されたから、宗教法人ではない」という主張らしかったが、本件とどう関係するのか担当者にも代理人にも理解できなかったという。

 本件で問題となっている朝木の発言(「明代は創価学会に殺された」)に直接関係するのは①と②である。

 ①は、「動揺したために思わず出た言葉にすぎない」という趣旨であると理解できる。「動揺すれば、誰だって不穏当な発言をすることもある。状況によっては、ある程度の過激な発言も容認されるべきだ」ということだろうが、要するにコメント内容の真実性・相当性が立証できないがゆえの言い逃れである。

 ②は「真実性は争わない」という意味で③とも関連性があるが、「創価学会に殺された」と断定した本件コメントの真実性などとうてい立証できるはずがないから「この土俵では真実性は争わない」といっているにすぎない。

認否に関する要請

 上記の朝木代理人の発言の中でむしろ重要なのは、①の「動揺した遺族の言葉」および②の「発言内容は否定しない」という発言を総合すると、代理人は問題のコメントの存在自体は認めていると理解できることである(コメントの存在を認めていなければ、講談社代理人に対してストレートにそう伝えるはずである)。この事実は、それまでに講談社側に対して「取材はいっさい受けておらず、コメントもしていない」と伝えていたとする朝木の主張と矛盾する。

 当時、朝木代理人がコメントの事実を否定しなかったことは講談社にとって特別なことではない。ただ講談社側代理人によれば、なぜか朝木側は、「被告朝木大統、直子が週刊現代編集部の取材に際して記事中で引用されている各発言を行った事実は認める」とした認否の部分を外してほしいとその場で要請したのである。

 これに対して講談社代理人は認否をしないで争うことはできないと答えたが、まだ最終的な主張を提出すべき局面でもなかったから、その準備書面では認否から外すことを了承したのだった。もちろんその時点で講談社代理人は、準備書面から認否を外したことが将来どういう主張に使われるかなど、想像さえしなかった。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第16回
「意味不明」の書き換え

 平成8年1月25日に行った打ち合わせで、朝木側は講談社の準備書面原案の「被告朝木大統、直子が週刊現代編集部の取材に際して記事中で引用されている各発言を行った事実は認めるが……」とする認否の部分について認否をしないよう要請し、講談社はこれに応じた。

 ところが朝木側が修正を求めたのはこれだけではなかった。それから3日後、朝木側はさらに、今度は口頭ではなく文書によって原案の以下の見出しについて修正を求めたのである。



(原案の見出しと朝木側の要請によって修正された見出し)

〈故人の夫と娘とが故人は創価学会に殺されたと述べている事実〉

(修正後)
「故人の夫と娘とが、故人の死亡に原告教団関与の疑惑を指摘した事実」

〈これを原告教団による殺害であるとする遺族側の見解〉

(修正後)
「この死亡に原告教団関与の疑惑を指摘する遺族側の見解」



 ――朝木らは「創価学会が関与した疑惑」ではなくストレートにコメントし(「明代は創価学会に殺された」)、『週刊現代』はそのまま掲載した。さらに創価学会から提訴された後、コメントの存在について朝木側は「言った言わないの話にはならない」と明言している。その状況で朝木はなぜこのような書き換えを要請してきたのか。

 担当者は朝木側の意図をいぶかると同時に「意味不明」と評している。何より担当者は、朝木のコメントの事実と朝木への信頼から、なぜあえて「殺人」から「関与した疑惑」に変える必要があるのか理解できなかったのではあるまいか。また「明代の死亡に原告教団が関与した疑惑」と言い換えたところで、表現そのものが間接的になるだけで、その意味するところに変わりはなかった。

 講談社は朝木のコメントを前提にして裁判を争おうとしていた。しかしこの書き換えの要請をみるかぎり、朝木側としては内心では問題のコメントの違法性は免れないと考えていたことは十分に察することができる。それから3年後、朝木は尋問で、講談社側がこの書き換えを了承したことを根拠に、朝木が当時すでに講談社側に対して「コメントはしていない」ことを伝えており、講談社側はそのことを承知していたと主張したのだった。

 最初の会合の際、乙骨正生(講談社側代理人から「言った言わないの話にはなりませんね」と聞かれて矢野が「そういうことにはなりません」と答えたことを証言)がその場にいたかどうかを聞かれた朝木は、〈先生は(平成8年)1月25日の会談のときにも準備書面を書き換えて下さってるじゃないですか。確認して下さい。〉と、準備書面書き換えの話を持ち出した(本連載第12回)。「その時点ですでにコメントはしていないことを伝えていた」と主張する根拠として書き換えの件を持ち出したのである。朝木は準備書面の書き換えを要請した時点でハシゴを外すことを考えていたのだろうか。

配慮を逆手に

 尋問で朝木がさらに持ち出したのが、講談社が朝木の要請に従って認否の箇所を修正した事実だった。上記2箇所の見出しの修正については、矢野と朝木は文書で訂正を要請しているが、認否を削除した経緯について朝木は、打ち合わせの際に朝木代理人が口頭で削除の要請を行い、削除してもらったと述べている。認否の箇所については代理人が口頭で削除を要請しただけで、文書で要請するまでもなく講談社側はすぐにその要請に応じたといっているわけである。

 すなわち朝木は、講談社側が口頭での削除要請にすぐに応じたのは、朝木がすでにコメントの事実がないことを講談社側に伝えてあり、講談社側もその事実を認めていたからだと主張しているのだった。口頭であろうが文書であろうが、削除・訂正を要請した事実に変わりはなく、たとえそれに応じたからといって講談社が「コメントはしていない」とする朝木の主張を事実として受け入れていたということにはなるまい。

 準備書面書き換えの客観的経緯は、講談社が朝木側から口頭と文書(ファックス)で書き換えを要請され、朝木を信用していた講談社はそれに応じただけのようにみえる。その話が朝木の供述では、いつの間にか「講談社はすでに朝木がコメントの事実を否定していることを知っていたがゆえに書き換えの要請に応じた」ことに変質していた。矢野と朝木が尋問に臨むにあたり、講談社側の配慮を逆手に取り、いかに巧妙に彼らに有利なストーリーを作り上げようとしていたかがわかるのではあるまいか。常人にはなかなか真似のできる業ではない。

 法廷での講談社代理人と朝木の以下のやりとりを具体的にみれば、「コメントの存在」に関する講談社代理人の認識が朝木の主張とは大きく異なっていたことがよくわかろう。



(認否の書き換えに関するやりとり)

講談社代理人  請求原因の認否をしないで、手続き問題、あなた方のいう当事者適格で争いたいというので、請求原因の認否は絶対にしないでくれという話だったんで、それはできないと。講談社はそういう方針では争えないということをその場で申し上げたことはありませんか。

朝木  それは事実と違うと思います。

(見出しの書き換えに関するやりとり)

講談社代理人
  故人の夫と娘とが故人の殺害に原告教団関与の疑惑を指摘したというような修正を入れてくれという、中田先生から連絡があって、表現を和らげてくれという連絡があって私が変えたんです。故人の殺害、要するに明代さんの殺害に原告教団関与の疑惑を指摘したと、これはどういう意味ですか。あなたは何を指摘したんですか。

朝木  私は何回も申し上げておりますけれども、私たちが申し上げたのは、疑惑を基礎付ける事実をいくつか、記者の方にお話をしたという趣旨です。



 講談社代理人の発言に不自然な点はいっさいなく、いずれも当時、代理人がコメントの存在が否定されることなどまったく想定していなかったことがわかろう。最初の会合でまずコメントの事実を再確認した事実からみても、準備書面の一部を書き換えてほしいという朝木の要請がコメントを否定する意図であることを講談社代理人が知っていたとすれば、黙って準備書面を修正するはずはないと思われた。

 さて、朝木側が準備書面の書き換えを要請してきたことにやや違和感を覚えた担当者は、同年8月27日に東京弁護士会館で行った打ち合わせの際には朝木側に対して不信感を持ち始めたという。朝木側が何の連絡もないまま30分以上も遅刻してきたのである。

 遅れることはあったにせよ、朝木はなぜ連絡もしなかったのか。すでにその20日前の8月7日、矢野と朝木は『聖教新聞』に対する訴状(「コメントはしていない」と主張)を提出していたのである。もちろん担当者も講談社代理人も、そのことを知らされてはいなかった。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第17回
翻意を期待した担当者 

『聖教新聞』を提訴した訴状で朝木が「『週刊現代』の取材は受けておらず、コメントもしていない」と主張していることを担当者が知ったのは平成8年8月の下旬である。朝木は訴状で「コメントはしていないから、創価学会が『週刊現代』のコメントを前提に朝木らを非難したことは前提を欠いており、名誉毀損だ」と主張していた。

 担当者の陳述書によれば、平成8年に入り、朝木に対してなんとなく感じていた不信感は、これによって決定的なものになった。それでも担当者は、なんとか「妥協点を見つけられないか」と考え、その後も矢野、朝木と何度か面会したという。

 担当者は陳述書で、その話し合いの中で担当者が述べた講談社としての訴訟方針、それに対して矢野や朝木が述べた主張(趣旨)などを具体的に述べているので、その内容を紹介しようと思う。以下の、私の論評や感想を除く話し合いの内容はいずれも担当者の陳述書に基づくものである。

 担当者は誠意をもって話し合いを重ねれば、翻意してくるのではないかと期待したのだろう。しかし朝木はそのたびに「取材は受けていない」とする主張を繰り返し、状況が変わる兆しは見えてこなかった。朝木としては、講談社の顔を立てれば創価学会に対する訴状の主張に矛盾することになるのだから、主張が変わらないのはむしろ当然だったのではないかと私は思う。

 それでも担当者は、あえて黙って朝木の主張を聞いていた。ヘタに反論してよけいに問題をこじらせ、あるいは言質を取られることを警戒したのだった。しかし平成8年10月24日、担当者が東村山まで出向き、矢野、朝木と東村山駅前の喫茶店で話し合いを持った際、朝木らがこの日も強硬に取材の事実を否定する姿を見て、もはやこれ以上話し合う余地がないことを悟った。

変わらなかった主張

 陳述書によれば、それまで担当者がほとんど発言をしなかったため議論にはならなかったが、この日は担当者が矢野と朝木に対して「取材がなかったことはあり得ない」と主張したため、かなり突っ込んだやりとりがなされたという。担当者は朝木らに対して次のように述べた(趣旨)。

「朝木サイドのいうとおり、捏造の記事を私が作ったとしたら、私はこの職業をやめなければならない。あれだけ取材に協力してくれていたのに、いまさら発言を翻すのはどういうつもりなのか」

 担当者のこの疑問に直接答えるものではないが、この日、矢野らはこう述べたという。

「この記事はよくできている。事件の事実関係についてはまだわからないと明記してあるし、裁判でも大丈夫だろう。でも、こちらの発言は何の注釈もなく、このままでは裁判に負けてしまうかもしれない」(矢野)

「最初に記事の見出しを見たときはびっくりしたが、それでもよく書いてくれたと思った」(朝木)

 この発言をみるかぎり、矢野は問題のコメントについて裁判では負ける可能性が高いとみていたことがうかがえる。ただしもちろんこの発言は、コメントの存在を認めるものではない。そのことは大統の発言からも明らかだった。

 当時すでに失明状態にあったという大統も、この話し合いの席にわざわざ出向いたようである。大統は〈妻が万引きで逮捕されたことも、学会におとしいれられただけ。〉とするコメントの一部を取り上げてついて次のように述べた。

「明代氏が逮捕された、というくだりがあるが、これは逮捕ではなく送検である。これは私たちも最近気づいたんですよ」

 大統は「書類送検を逮捕と間違えているから、これは自分たちに取材をしていない証拠だ」といっているのだった。これに対して担当者は「それは確かにそうかもしれないが、取材を受けた、受けない、という問題とは関係がない」と述べた。

淡い期待

 ここまでのやり取りにおいて矢野と朝木は、問題の記事そのものについては評価する一方、自らのコメントの事実について認める様子はみえなかった。それでもなお担当者は朝木らに対して次のように述べた。 

「今でも2人は創価学会のせいで明代さんが死んだと確信しているでしょう。あるいは、今は事故死だと思っているのですか。あれだけ不可解な事件だったのだから、遺族が思わず『創価学会に殺された』と発言するのも無理はないと思います。ですから、きちんと発言したということを前提にして裁判で争っていきましょう」

 担当者の言い分はこれまで講談社代理人が説明してきたことの繰り返しである。担当者はそれまで矢野と朝木が主張してきた「創価学会を疑う根拠(=事実関係)」を信用しており、創価学会を疑うことももっともであると考えていたようである。

 だから「明代は創価学会に殺された」と発言したことにもそれなりの理由があると考えることができた。しかし、その情報を提供した本人である矢野と朝木はなぜかそうは考えなかったのかもしれない。

 担当者の説得に矢野は「大統さんはともかく直子は政治家だから、困った」などと述べた。「創価学会に殺された」とする発言の根拠あるいは相当性を立証する自信があるのなら、政治家だろうと問題はあるまい。人1人が死んでいるのだし、何より矢野と朝木は「明代が着せられた万引き犯の汚名を晴らす」と公言している。「冤罪」を暴くためにも、政治家だからという理由で遠慮する必要はどこにもあるまい。

 担当者はこの発言を、コメントの存在自体を認めるものと理解した。コメントをしていないのなら、反論は「コメントはしていない」の一言でいいのだし、「直子は政治家だから、困った」などという必要はない。担当者は矢野の上記の発言について、「一般人である大統は『遺族の感情として思わず出た言葉』で通るかもしれないが、直子は政治家を志しているから、感情のままに発言したといわれることは後々マイナスになる」といっているのだと受け止めたという。

 結局その日、矢野と朝木がコメントの存在を認めることはなかった。しかし朝木側は「もう1度弁護士と相談してみる」ということで別れたという。「取材も受けておらず、コメントもしていない」というのなら、弁護士と相談する余地もなかろう。だから担当者としては、この別れ際の言葉とコメントの存在を前提にしたものとも取れる上記の矢野の発言から、「自分としては、ある程度朝木サイドもわかってくれたのではないかと、少しだけ期待した」という。

 しかし、担当者の淡い期待は長くは続かなかった。その後しばらくして朝木が提出した準備書面には臆面もなく「『週刊現代』から取材は受けておらず、コメントはしていない」と記載されていたのである。担当者は陳述書でこう述べていた。

「あの打ち合わせは一体何だったのだろうか」と。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第18回
想定を超えた相手

 朝木直子に対する尋問は平成10年11月8日に主尋問、同年12月7日に1回目の反対尋問(講談社からの反対尋問)、平成11年2月15日に2回目の反対尋問(創価学会側からの反対尋問)の計3回行われた。この間、原告の創価学会とともに相被告である講談社側も反対尋問を行った。

 反対尋問とは、原告であれ被告であれ、自らの主張に相反する当事者の主張に対してその真実性や正当性をただし、結果として自らの主張の正当性を主張しようとするものである。したがって被告の間には利害対立がないのが普通と思われるが、この裁判では被告である講談社側が相被告の朝木に対して反対尋問を行った。

 講談社側は、問題の『週刊現代』発行当時、いかに両者の関係が良好で、「そんなコメントはしていない」などと抗議されたこともない事実を確認しようとした。しかし、これに対して朝木は最後まで取材と発言の事実を認めず、シラを切り通した。主張の不自然さもさることながら、ここまで嘘をつき通せること自体が驚きだった。傍聴席では矢野穂積がときおり満足げな笑みを浮かべていた。

 尋問が終了し、千葉とともに法廷を出てエレベーターホールに向かうと、そこに講談社の2名の代理人弁護士もいた。その表情はなにか冴えないようにみえた。

 かつては協力関係にあった相被告が、『週刊現代』を利用するだけ利用すると裁判の途中で裏切り、「そんなコメントはしていない」としてすべての責任を『週刊現代』に押しつけたのだ。どんなに証拠を示しても朝木はその不実きわまる主張を曲げなかった。また裁判ですぐに「コメントはしていない」と主張しなかった理由についても「講談社側に配慮した結果」とうそぶいた――。講談社の弁護士としては、ここまで嘘をつける人物が存在していたことに戸惑っていた面もあったのではあるまいか。

 そのうちエレベーターがやってきて、私と千葉は講談社の代理人といっしょに乗り込んだ。エレベーターの中には私たち4人しかしない。私たちは奥の方に、講談社の代理人はドア側に立っていた。すると先輩格の弁護士が、朝木に対する反対尋問を行ったもう1人の弁護士にこう話しかけた。
 
「今日の朝木直子の証言は講談社のためにしてくれたようなもんだね」

 明らかな過去の自分の行為を平気で否定する難しい相手を追及した後輩への労いの言葉でもあったろう。尋問で代理人は朝木に発言があったことを認めさせることはできなかった。しかし総合的にみると、発言が確かにあったこと、朝木がその責任から逃れようとしていることを歴然と、しかも醜悪なかたちで印象付けられたのではないかという趣旨と思われた。つまり裁判官の心証は朝木に対してより悪くなり、それによって講談社の責任は相対的に軽減されると。

 確かに傍から見ていると、朝木が次々と事実を否認していく経過は悪質そのものであり、彼らの発言をそのまま活字にした講談社が、うまく利用されたあげく裏切られただけであるかのような錯覚を覚える瞬間があった。それを講談社に対する同情と言い換えればよりわかりやすいかもしれない。講談社の代理人があえて2名の部外者がいる前で語ったのは、つまりはそういうことではなかったか。

 このベテラン弁護士は、エレベーターに乗り合わせた敵か味方かわからない素人2名に対しても、朝木の供述が裁判でどういう意味を持つのかあえてレクチャーしてくれたのだろう。しかし、仮に朝木の供述が講談社との関係で意味を持つものだったとして、講談社と創価学会との関係に影響を与えるかどうかはきわめて不透明であると思われた。

 その一方で矢野は数日後、朝木の供述について私に対して満足げにこう言い放った。

「この前の朝木さんの証言はよかっただろう?」

 可能な限りデマ宣伝の媒体として利用し、デマの責任を問われることを予感するや、いっさいの関与を否定するなど、そうそうできることではない。矢野と朝木はいとも簡単に『週刊現代』を裏切っただけでなく、それを悪びれるどころか自画自賛しているのだった。講談社にとって矢野と朝木が想定をはるかに超える相手だったことは間違いあるまい。

講談社の憤り

 尋問終了後に提出した最終準備書面で講談社側は朝木の姿勢について次のように心情を吐露した。


 
(最終準備書面における講談社の主張)

 残念なことに被告朝木大統、直子両名は、本訴において本件報道の正当性を主張し原告創価学会の企てた表現の自由への重大な侵害、言論妨害と正面から闘うことを放棄し、「そんなことはいっていない」という責任のがれに終始してきた。当法廷における被告直子の不誠実なそして不自然な証言にはなりふりかまわぬ責任のがれ以外の何ものも見出すことはできないものであった。

……

 被告直子らが背信的な虚偽の主張を掲げるに至った1996年9月9日までの間、被告直子らもその代理人も信頼していたし、共に原告創価学会の言論妨害と闘う同志として意識して行動してきた。それは何よりも当初の「びっくりドンキー」における会合において、また東京弁護士会館における第1回目の会合においても、「述べていない」などということは言わないという確認が示されたからである。「びっくりドンキー」における乙骨正生氏の同席までも否定する嘘を重ねた被告直子の証言は一体どこから来るものか。……被告朝木らの証言は虚偽を重ねたものである。



 朝木と矢野に対する講談社側の思いは、実際にはこれ以上のものがあっただろうことは想像に難くない。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第19回
最終準備書面における講談社の主張

 講談社は第一審の最終準備書面で朝木直子に対する筆舌に尽くしがたい不信感を述べたが、記事自体についても、朝木らのコメントが取材に基づくものであることを前提として違法性を否定する主張を行った。ジャーナリズムが事実に基づいて真実を追及しようとするものであるという常識からすると、私には違和感のある主張に思えた。

 講談社は最終準備書面の冒頭でまず次のように述べている。



(第一審最終準備書面における講談社の主張1)

 本訴は、週刊現代に掲載した朝木明代氏の死亡に関する記事における、同氏の遺族である被告朝木父子両名のコメントの引用部分が、原告教団の社会的評価を毀損するとして提起されたものである。原告教団が名誉毀損として特定した記述は、見出しも含めて全て遺族両名のコメントを引用したものであって、本訴は、このような死亡に際しての遺族のコメントの引用がメディアの報道行為において許容されるか否かを争点としたものである。



 この裁判はそもそも朝木父娘の発言およびそれを引用した『週刊現代』の記事が、「朝木明代は創価学会に殺された」とするもので、記事は創価学会の名誉を毀損するものであるとして創価学会が提起したものである。訴状にはコメントを引用したこと自体が違法であるとする主張はなく、裁判中においても特に争点になったことはない。

 一般的に考えても、メディアが関係者を取材し、コメントを求めることはよくあることで、当事者が取材を拒否しているなど特別な事情があった場合を除き、それ自体は特に問題となるものではあるまい。講談社は「(家族の)死亡に関しての遺族のコメント」の場合は例外だといいたいようにも受け取ることができる。しかし、創価学会はそのコメントの内容およびその取り上げ方と論調から、記事が「朝木明代は創価学会に殺された」と主張するものだから違法だと主張しているのである。したがって、本件の争点が「コメントの引用が許容されるか否かを争点としたものである」とする講談社の主張はかなり的外れなものといえるのではあるまいか。

「遺族の声を中立的に伝達」と主張

 原則としてメディアによるコメントの引用は許されるとしても、その内容によっては引用が無条件に許されるものではなかろう。〈遺族のコメントの引用がメディアの報道行為において許容されるか否かを争点としたものである〉と主張する講談社がコメントの内容を問わず、無条件に引用しても許されると考えているのかと思うとそうでもないらしかった。講談社は次のようにも述べている。



(第一審最終準備書面における講談社の主張2)

 本件報道について、被告講談社は不法行為責任を負担しない。それはまず第一に、本件報道が右のとおり「遺族の声」の伝達であり、その遺族が死亡についてその旨の意見を抱き述べているという「事実」そのものがそこで伝達されているのであって、遺族が述べたという「コメントの内容」を「真実」として伝達しているわけではないからである。

 これは人の口を借りて物事を伝えようとする主観報道と、本件のような客観報道の差として認識される。従って本件記事は原告が主張するように「原告創価学会が故明代氏を殺害した」などという事実を事件の「真相」として読者に伝えたものではなく、「原告教団が故明代氏を殺害した」という評価を形成するものではない。



 講談社は、たんに朝木らの「遺族の声」を中立的に紹介しただけで、そのコメントによって『週刊現代』としてそれが「真相」であると主張しているものではないと主張していると理解できる。本当に記事は中立的に紹介しただけのものと読者は読むのだろうか。

 記事は〈東村山女性市議「変死」の謎に迫る 夫と娘が激白! 「明代は創価学会に殺された」〉と断定するコメントをそのままタイトルにした上、記事中では朝木や大統のコメント〈「創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り、社会的評価を落とす。そしてその人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです。今回で学会のやり方がよくわかりました。」〉(=朝木)、〈妻が自殺するはずがありません。この事件は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない。〉(=大統)を紹介したあと、彼らのコメントがもっともであると同意を示す一方、彼らのコメントを否定する文言はどこにもない。これでは朝木のコメントを借りて『週刊現代』の見解を述べたに等しいと評価されてもやむを得ないのではあるまいか。

「たんなる取り乱した嘆」

 遺族のコメントの引用が許される理由として講談社はもう1の理由を挙げている。コメントの内容自体が名誉毀損を構成するか否かという点に対する見解である。講談社は名誉毀損を構成しないとして、以下のように述べた。



(第一審最終準備書面における講談社の主張3)

 ……名誉毀損はその者の評価を形成するに足りる具体的な(説得力ある)事柄の伝達が必要とされるはずである。

 しかるに、本件各遺族の発言内容は、何ら根拠も示されていないまま断定的に述べられたものであり、平均的な一般読者にとってははなはだ唐突で感情に流されたものと受け止めざるを得ないものにすぎない。この発言は、なかば死亡を目の当たりにし取り乱した遺族の嘆として受けとめられるものなのである。



 しかし現実に発行された問題の記事には次のように朝木らの主張に理解を示す記載が並んでいる。

〈遺族たちは「殺人事件」と確信している。むろん、遺書は残されていなかった。〉

〈「……創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り、社会的評価を落とす。そしてその人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです。今回で学会のやり方がよくわかりました……」

 直子さんはこう憤るのだ。〉

〈はたして真相はどうなのか。創価学会による犯行か否かは別にしても、事件を振り返ると、とても自殺とは思えない事実が次々と浮かびあがるのだ。〉

〈大統氏が、

「妻が自殺するはずがありません。この事件は創価学会と警察によってデッチあげられたとしか思えない」

 と憤るのも無理はない。〉

『週刊現代』は上記のように、朝木らの主張に理解を示す一方、その主張がまったく根拠がないまま断定的に述べられたもので、〈取り乱した遺族の嘆〉にすぎず、客観的信用性があるものではない――などの注釈はいっさい施していない。つまり、仮に『週刊現代』が朝木らの主張に客観的根拠がないと考えていたのだとしても、現実に発行された『週刊現代』ではむしろ朝木らの主張には客観的根拠があるかのように主張しているのである。記事からうかがえる『週刊現代』の意図からしても、上記「主張3」に説得力があるとは思えなかった。

 記事の真実性をめぐる名誉毀損訴訟において、訴えられた側は記事の真実性・相当性を主張・立証しようとするのが通常である。しかし、講談社側が一審で主張したのは上記3点だけだった。

(つづく)
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『週刊現代』事件 第20回
「遺族の嘆」が意味するもの

 講談社側は最終準備書面において朝木らのコメントを「遺族の嘆」ないし「遺族の声」と位置付けたが、この方針が示されたのは最終準備書面の時点ではなかった。また講談社代理人による朝木に対する反対尋問における発言からは、平成8年1月25日に行われた最初の打ち合わせの段階では朝木代理人も同様の方針だったことがうかがえた。朝木代理人が説明した内容について講談社代理人は次のように述べている。



講談社代理人  中田さん(筆者注=朝木代理人)はこういったの。公表は企図したわけではないと。動揺した親族の言葉だと。それから発言内容を否定するものではないと。真実性はどうですかと聞いたら、正面突破する真実性はこの土俵では争わないと。……



「コメントはしていない」とする朝木に対して、講談社代理人は朝木側が当初はコメントの存在を認めていた事実を突きつけようとしたのである。朝木はそのとき抜け目なく中田弁護士の説明があったこと自体を否定した。しかし、これまで検討してきたコメントの存在をめぐる事実関係を総合すると、やはり朝木の供述を信用することは難しかろう。

 講談社代理人の上記説明からうかがえるのは、朝木側代理人もまた当初はコメントの存在を否定しておらず、コメントについて「動揺した親族の言葉」であり、「公表を企図したわけではない」ものとして争おうとしていたということである。この打ち合わせ後に作成した講談社側の平成8年2月5日付け準備書面の主張も「遺族の声を公正中立に引用したもので違法性はない」という趣旨だった。つまり当時、双方の代理人の間で応訴方針に決定的な食い違いはなかったようにみえる。

 ただ平成8年1月25日の時点で、矢野と朝木が「明代は創価学会に殺された」とするコメントについて、本当に中田弁護士のいうように「動揺した親族の言葉」、「公表を企図したわけではない」などと主張するというしおらしい方針に納得していたのかどうかは疑問である。「動揺した言葉」だったからといって、「創価学会に殺された」と断定する発言をし、それが不特定多数に向けられたものになった以上、真実性・相当性の立証を要求されないという保証はないのだった。その場合、「明代は創価学会に殺された」ことを立証することなどできるはずがないことを最も誰よりも知っているのは矢野と朝木自身だった。

 また「動揺した親族の言葉」と主張することはすなわち、「明代は創価学会に殺された」とするコメントが客観的な根拠に基づくものではないと自ら認めることであると、矢野と朝木が気づいていなかったとも思えない。講談社側も最終準備書面で「遺族の嘆」の中身について〈はなはだしく唐突で感情に流されたものと受け止めざるをえないものにすぎない〉とまで述べて、それが客観的根拠に基づくものではないことを認めている。講談社からいわれるまでもなく、矢野と朝木も内心でそう考えていたのではあるまいか。

一方で亀井静香と面会

 現実的にも平成8年1月25日、あるいはその日の打ち合わせに基づいて講談社側が準備書面を作成した同年2月5日の時点で、矢野と朝木には問題のコメントを簡単に「動揺した親族の言葉」などという上品な表現で片づけるわけにはいかない事情が生じていたことをうかがわせる事実も明らかになっていた。朝木側が講談社側と打ち合わせを行った日の約1週間前(同年1月19日)、矢野と朝木は衆議院議員会館で亀井静香と面会し、「明代は創価学会に殺された」ことを前提に闘っていくことについて激励を受けたというのである。

 矢野は面会時の状況について平成8年2月21日付『東村山市民新聞』第72号に次のように書いている。


〈1月19日、永田町の自民党本部に、取材をかねて朝木直子副編集長と、亀井静香組織広報本部長を訪ねました。

 政治的立場は違いますが、朝木議員殺害事件を国会で2度にわたって追及し、機関紙『自由新報』で2度、事件を特集されたことに敬意を表す目的もあります。

 この日の午前は他の政党の国会議員の方にもお会いし、アドバイスをうけ激励されました。「創価学会党」の新進党を除く与野党から超党派での応援です。

 事件のフタをしようとしている東村山警察幹部や疑惑の的になっている創価学会と徹底的に斗っていく決意をあらたにしました。〉

 上記記載のうち〈国会で2度にわたって追及〉とは、警視庁が「自殺」とする発表を行う前の平成7年11月、衆議院において自民党の保坂三蔵と熊代昭彦がそれぞれ「朝木明代の転落死は他殺の可能性があり、創価学会の関与が疑われる」とする趣旨の質問を行ったこと指している。

 また〈機関紙『自由新報』で2度、事件を特集〉とは、平成7年11月28日、同12月5日付で『自由新報』が明代の「事件」をそれぞれ〈背後に創価学会の影〉〈坂本事件とそっくり……状況証拠は“真っ黒”〉(11月28日付)、〈創価学会の犯罪追及〉(12月5日付)などと、矢野の意向通りに取り上げたことを指していた。

 常識的にみて、矢野・朝木と亀井静香の間に特別の関係がなければ、一介の市会議員が当時、政権政党自民党の中でも大きな権力を持っていた亀井に会い、直接「敬意を表す」などできることではあるまい。しかも、国会質問を行ったのは亀井ではないにもかかわらず訪問先が亀井だったということは、2名の国会質問を差配したのは亀井で、矢野はそのことを承知していたということと理解できる。

 亀井は矢野からの情報によって「朝木明代転落死事件」を政争の具として利用し、自民党が明代の死を反創価学会キャンペーンに使うことによって矢野と朝木にしても明代の万引きと自殺という事実から世間の目をそらせることができる――亀井と矢野はこのような持ちつ持たれつの関係にあったことが推察できた。

(つづく)
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