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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

『民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒』(ユニコン企画発行、長崎出版発売、1200円+税)

現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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西村修平事件第5回口頭弁論(その2)
矢野自身が申し入れの事実を認める供述

 東村山署が調査の申し入れもしていなければ「ろくな捜査もしていない」という矢野と朝木の主張をわずかなりとも実証することになる。一方、申し入れをしたものの、矢野と大統から立ち入りを拒否されたのが事実とすれば、矢野と朝木は「他殺」を主張しているにもかかわらず警察の捜査に協力しなかったことが明らかになる。「他殺」を主張する遺族、関係者としてはきわめて不可解な対応ということになろう。

 千葉はこれまで多くの裁判で調査を申し入れた事実を主張しているが、この点に関して、2つの裁判で重要な供述がなされている。1つは平成11年11月15日、「聖教新聞」裁判で行われた矢野に対する東京都(警視庁)による反対尋問である。



千葉代理人  どうして、事務所だとか自宅、この自宅というのは監禁されていた可能性が強いわけですよね、そこの捜査というか調査を警察にさせなかったんですか。

矢野  だから、それが千葉さんの一流の虚偽の発言だと申し上げているんですよ。そんなことは1回もありませんですよ。拒否したなんてのはとんでもない話で、それはやってくれといっているのにやらなかったのが警察じゃないですか。



 矢野も、「他殺」を主張する遺族・関係者が警察の調査の申し入れを拒否するのはおかしいということは十分に自覚しているようである。それどころか矢野はここで、東村山署に対して「調査をしてくれ」とお願いしたといっている。代理人は質問を続けた。



代理人  警察はまったく?

矢野  やってないですよ。

代理人  申し入れもしてないんですか?

矢野  申し入れはしましたよ、何回も。



 矢野は東村山署に「何回も調査の申し入れをした」という。しかし千葉によれば、東村山署には、捜査員が矢野に何度も事情聴取に来てくれと申し入れても矢野が警察には寄りつかなかったという記録はあっても、矢野から調査の申し入れがあったという記録はない。警察が調査の申し入れもしなかったというのは本当なのか。



代理人  そうじゃなくて、警察の方で事務所をちょっと見せてくれといったでしょう。

矢野  そんな話があれば、もうすでにやってますよ。だから、千葉さん一流のというふうに申し上げているんですよ。

代理人  千葉さん一流かどうか知りませんけども。

矢野  一流と申し上げた、これは。遺族なり同僚の気分としては、それ以外ないですよ、言い方が。

代理人  では、まったく警察から、自宅の下駄箱なり、そういう中を見せてくれといわれたことはないですか?

矢野  ちょっと待ってくださいよ。○○代理(刑事課長代理)が、彼は非常に純粋な方ですから、1回だけ来られて見せてくれといわれたから、1回だけ見せてあげただけですよ。拒否している事実なんかないんですよ。



 最初、矢野は東村山署から調査の申し入れは1度もなかったと供述していたにもかかわらず、ここでは「1回だけ来られた」と変遷している。矢野はここでは「調査」を拒否した事実を否認したが、ここで重要なのは東村山署が調査の申し入れをしたという事実だろう。

 朝木の「捜索するとの話は一切なかった」とする証言が事実なら、矢野も「そんな申し入れは1度もない」というはずである。すると、矢野の「1回だけ来られて見せてくれといわれた」とする供述は、文言の意味は別にして、朝木の「捜索するとの話は一切なかった」とする証言を否定するものということになる。

矢野の供述を否定したジャーナリスト

 では朝木の自宅についてはどうか。自宅については平成12年12月15日、「週刊新潮」裁判においてジャーナリストの乙骨正生が興味深い供述をしている。ちなみにこの裁判で「週刊新潮」は、記事のすべての情報源である矢野と朝木に証言を依頼したが、裁判の途中で矢野と朝木が出頭を拒否したため、急遽代役として乙骨を証人に立てたという経緯がある。乙骨の供述を聞こう。



創価学会代理人  あなたは朝木市議が履いていた靴と草の根事務所の鍵がみつからなかったことにも疑問を呈していますね。

乙骨  はい。

代理人  草の根事務所については矢野さんが、自宅については朝木大統さんが警察の捜査を拒否した事実は知っていましたか。

乙骨  知らないです。

代理人  そういった話は矢野さんからも、大統さんからも聞いていませんか。

乙骨  はい。

代理人  警察は靴と鍵が見つからないから、捜索をお願いしたんだけど拒否されたということなんです。

乙骨  ああ、そういえば拒否というか……なんとなくそういえば、「自宅から何か持っていかれるといやだから」というようなことをちらっといっていたことはありましたね。

代理人  それは聞いていますね。

乙骨  ええ、そういうことはありました。



 乙骨に「自宅から何か持っていかれるといやだから」と話したのが矢野なのか大統なのかはわからないものの、この言葉がなんらかの行為の理由であることだけはわかろう。「自宅から何か持っていかれるといやだから」どうしたというのか、それに続くのは「拒否した」ということ以外にはない。「拒否した」ということは、東村山署から「調査」の申し入れがあったということである。

 しかもこの尋問の流れをみると、乙骨は当初、矢野あるいは大統が捜査を断ったことについて「知らない」「聞いていない」で逃げようとしているフシがうかがえる。本当に忘れていたのか、いいたくなかったのかはわからないが、いずれにせよ「ああ、そういえば拒否というか……」に続く乙骨の供述は、弁護士から追及された結果出てきたものであること、捜査拒否だけでなく、その理由を具体的に述べている点できわめて信憑性が高いと判断できる。

奇妙な統制

 千葉によれば、捜査員が自宅を訪ねたときに応対したのは朝木大統である。捜査員は「下駄箱を見せてもらいたい」と依頼したが拒否された、という報告を受けているという。ただ、捜査員が自宅を訪問した際に調査を拒否したのは大統だが、その判断はどうも大統がしたものではないようだった。平成13年2月1日、「週刊現代」裁判の尋問において大統は次のように供述している。



創価学会代理人  東村山署の千葉副署長は、あなた方が殺人事件ということをいうので、見つかっていない明代さんの靴を探すためにあなたの自宅の捜索を要請したけれども、あなたが断ったという話を別件の裁判でしているんですが、どうして断ったんですか。

大統  私が断ったということですか? それは私の記憶にはございません。

代理人  そういった自宅を捜索させてほしいという要請はなかったですか。

大統  そのへんはすべて直子と矢野さんに任せておりましたんで、私にはそういう話はありません。



 大統は「私にはそういう話はありません」と、「調査」の要請があったことを否定する供述をしている。しかし、矢野が「調査の申し入れがあった」と供述していること、乙骨が「自宅から何か持っていかれるといやだから(調査を拒否した)」といっているのを聞いていること、千葉の供述を総合すれば、大統がその場しのぎの口裏合わせをしているものと判断できよう。捜査員が大統と朝木や矢野を見間違うはずがなく、別人を「大統だった」とする理由もない。大統は捜査を拒否した理由を聞かれたくないために、聞かれていないことにしたのだろう。

 この大統の供述の中で重要なのは、警察の対応は「すべて直子と矢野さんに任せておりました」としている点。朝木は「聖教新聞」裁判の尋問で「矢野さんは私の代理人」と供述している。当時、マスコミや捜査機関の対応など様々の判断を矢野に委任していたという意味と理解できる。つまり、東村山署からの「調査」の申し入れを拒否したのは矢野の指示によるものだったということである。「殺された」と主張している遺族・関係者が警察の調査を拒否し、しかもその対応は明代の夫である大統を差し置いて矢野がすべて取り仕切っていたとは奇妙な統制というべきではあるまいか。

 警察の対応についてなぜ大統を排除する必要があったのか。「調査」の拒否といい、矢野が対応を管理していたのは、明代の転落死に関する重要な何かが露顕することを恐れたからとみるのが自然だろう。

 ところで矢野は「聖教新聞」裁判での尋問で、自ら「東村山署に何回も(事務所や自宅の)調査を申し入れた」と供述している。しかし、これまでみてきたように、事務所は矢野が、自宅は大統が調査を拒否したことは明らかである。東村山署の「調査」の申し入れを拒否した人物が、自らすすんで「調査を何回も申し入れる」ということがあるのだろうか。常識的には、そのようなことはあり得ないとしか考えられない。

(つづく)

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西村修平事件第5回口頭弁論(その3)
西村が提出した尋問事項

 第5回口頭弁論では、被告・原告両名に対する尋問を申し立てた西村側から双方に対する尋問事項の一部が提示されている。そのうち、千葉に対する尋問事項を紹介しておこう。



 朝木市議万引き被疑事件につき、犯人は、ビニールの中からTシャツを取り出してこれを窃取したというが、東村山警察は、何故そのビニール袋について指紋採取をしなかったのか。

 万引き被疑事件の被害者は、別件民事訴訟において、万引き犯人が着ていた洋服は、朝木市議が当日北海道拓殖銀行東村山支店から現金送金した際に映っていた朝木市議の洋服とは襟の形、洋服の色が違うし、犯人が着ていた洋服には朝木市議が着ていた洋服のような縞模様はなかったと述べている点について。

 万引き事件の現場の目撃証人は、万引き事件の現場近くにいた中年の婦人が、被害者○○に対し、(万引きして逃げたのは)朝木市議会議員だからすぐ警察に告訴するように言っていた。そのとき、万引き犯人が朝木市議だといったのはその人だけであったと東村山警察でも、検察官にも申しあげたといっているがその点間違いないか。

 株式会社アレフに対し、同社経営の「びっくりドンキー東村山店の平成7年6月19日のレジジャーナル」に対し、東京地方裁判所民事30部合議係から文書送付嘱託したが同社はこれに応じなかった。

  東村山警察が同レジジャーナルを押収しており、原告は、「万引き被疑事件について朝木市議のアリバイの主張は信用できない」と言っているがその理由はなにか。

  朝木市議の遺族と原告らの間の民事訴訟で、原告や東京都が同レジジャーナルを開示しない理由はなにか。

 原告は、東村山警察の捜査の指揮者として、朝木市議のビル落下殺人被疑事件につき、捜査もしていない段階で、「朝木市議は万引き被疑事件を苦にした自殺の可能性が高く事件性は薄い」と何を根拠に広報したのか。

  又、同事件につき司法解剖の手続をとっており、司法解剖による鑑定が出る前に東村山警察は「朝木市議のビル転落死は自殺事件として捜査を打ち切った」のは何故か。

 被告の準備書面(2)添付の「千葉東村山警察副署長の捜査の問題点」第2に記載した各事項について。
(筆者注=上腕内側部の内出血など明代の死因(自殺か他殺か)に関する事項)

 平成7年7月16日、矢野穂積東村山市議が草の根事務所から自宅へ帰る途中、創価学会員Sから殴る蹴るの暴行を受け、前歯を折るなどの傷害を受け、同年8月2日午前零時50分ころ、矢野市議が自宅へ帰る途中、創価学会員Sの運転する軽トラックと2tトラックが待ち伏せして矢野を2台の同自動車で挟みながら50m位の間フラッシュをたいて威迫した件について東村山警察に告訴したが、東村山警察は、創価学会員Sに対してはほとんど捜査らしい捜査をしないまま被疑者を釈放したというが本当か。



 この7項目以外にも事件に関する尋問がなされることと思う。とりわけこの裁判の最も重要な争点である「創価学会の4悪人」の真実性立証に関わる尋問も当然もなされよう。

 矢野と朝木はこれまでの裁判で、捜査が不十分であるとする趣旨の主張はしたが、千葉が「創価学会員」である、あるいは「千葉が創価学会の意図に基づいて捜査した」とまでは主張していない。西村は街宣で矢野・朝木以上の主張をしたことになるが、西村のベテラン弁護士が尋問を通して「千葉が創価学会の4悪人」であることをどう証明していくのか注目される。

「切り札」は出るか

 千葉に対する反対尋問は、もちろん西村の街宣内容の真実性・相当性を立証するためである。それに対し千葉は、自らの経験に基づき事実を述べるだろう。これは千葉にとってなんら難しい話ではない。その内容は当然、西村の主張を否定するものとなる。

 代理人の能力および西村街宣の相当性・真実性を裏付ける証拠がどれほどあるかが問われるのはそれから先である。予告された尋問の狙いを否定された西村側代理人は、今度は彼らが考える千葉の供述の矛盾点や嘘を暴くために質問を重ねていくことになろうが、はたしてそれがどう功を奏するのか。

 最初の質問で西村の主張が明確に否定され、再質問も跳ね返された場合には、逆に尋問を申請したことによって西村を不利にしてしまう結果ともなりかねない。まさに代理人の腕の見せどころで、どんな質問が飛び出すのか興味深いところである。

 ちなみに平成11年に行われた「聖教新聞」裁判の尋問では、矢野・朝木の代理人が2人がかりで千葉を追及したものの、東京地裁は矢野と朝木の主張する「万引き冤罪」と「他殺説」を排斥するとともに、東村山署(千葉)の捜査にはなんらの落ち度もなかったことを認定している。西村としてはまずこの認定を覆さなければならないだろう。どうするのか。

 西村にその秘策がないことはあるまい。いうまでもなく、同志「行動する保守」Aが「直接会った」という「内部告発者(現役警察官)」を明らかにし、その証言内容を証拠とともに法廷に提出することである。平成21年6月17日に提出した準備書面で西村は「現在の段階では取材源を明らかにすることはできない」としたが、千葉に対する尋問の場こそ、その全容を明らかにするこの上ない機会ではあるまいか。「内部告発」の事実およびその内容が信用に値するものと考えているなら、同志「行動する保守」Aとしても公表に反対する理由はないだろう。

「内部告発」の全容を明らかにすることは、一人西村を救うことになるのではない。彼らが常日頃憂いてやまない「一宗教団体に支配された国家の危機的状況」を救うことになるのである。仮に尋問の場でも「内部告発」の全容を明らかにしないということになれば、その信憑性はないものと評価されてもやむを得まい。まさに「行動する保守」の真贋が問われる尋問ということになろう。

 平成7年当時、自民党は「創価学会疑惑」キャンペーンを継続させるために、警視庁に対して「犯罪性なし」として捜査を終結させないよう国会質問という形で圧力をかけた。政治家が政治権力をもって真実の隠蔽を画策した民主主義社会における歴史的汚点ともいえる事件である。西村はその国会質問についても千葉の捜査指揮が恣意的だった根拠であると主張している。
 
 それなら、当時の国会質問の裏舞台を知悉している現在の内閣府特命大臣亀井静香、あるいは当時の国家公安委員長で現在は弁護士事務所を開設している白川勝彦を証人として新たに申請すれば、西村からすればもう1つの「切り札」となる可能性もないとはいえない。最近、「行動する保守」の中には白川の人脈と接点を持つ者もいるようだから、白川なら証言を依頼できるのではあるまいか。亀井、白川が出廷すると聞いて、千葉が恐れをなすかどうかは保証の限りではないが。

 千葉と西村に対する尋問期日は11月11日。その1週間ぐらい前までに双方から陳述書が提出されることになっている。西村は11月4日にも別件で尋問を控えている。なお、私が西村を提訴した裁判の第1回口頭弁論期日は11月2日だが、現時点ではまだ答弁書は届いていない。

(了)

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西村修平「婚外子」差別発言裁判 第6回
 平成21年11月4日午後3時から、被告である西村修平と原告に対する本人尋問ならびに西村側証人である右翼に対する尋問が東京地裁で行われた。傍聴席は7、8割程度が埋まったがそのほとんどが西村の支援者と思われた。

 この裁判で西村は、意見交換会では婚外子の問題における一般論を述べただけで、原告個人に対する誹謗中傷発言はしていないと一貫して主張している。また、原告が提出した意見交換会の議事録にある原告に対する発言は西村の同志である年配右翼の発言であるとして、この年配右翼自身が西村の主張を認める陳述書を提出している。したがって、この裁判の最大の争点は西村による原告個人に対する誹謗中傷が本当になかったのかどうかであり、原告側の西村に対する尋問もその点が大きなポイントになると私はみていた。

 当然、西村による原告に対する誹謗中傷発言がなかったとすれば原告の請求はその前提を失うこととなり、請求は棄却されるだろう。逆に、原告に対する誹謗中傷そのものの存在を否定する西村の主張が排斥されれば、不特定多数の前で他人を「私生児」呼ばわりすることが名誉毀損に当たるかどうかについての判断がなされ、名誉毀損に当たると判断された場合には原告の請求が認容される可能性が高まろう。

鮮明になった矛盾点

 この日の尋問に際して、原告側は新たな証拠を提出した。平成20年4月16日、「行動する保守」と称する右翼が、外務省での意見交換会後に原告が西村の発言をめぐり法務省に人権侵害の訴えを行い、西村が法務省から呼び出された経緯を聞くインタビューを企画した。このインタビューにはのちに西村側証人として出廷することになる別の右翼も出席して発言している。原告側が提出したのはこのインタビューの反訳である。インタビューには2つの注目点があった。

 反訳によればまず、西村は意見交換会における自分自身の発言について、次のように述べている。



西村  それはやっぱりあの、村田さんを告発したという○○(実名=原告)という方がですね。自分はあの結婚しないと。それで、婚外子(私生児)がいて、その要するに私生児ですね。彼女は私生児とは言いません。最初、婚外子、婚外子というから、……よくわからなかったですけど、話聞いてて、自分は要するに結婚しないで独身のまま子どもを産んだから、その子どもがたとえば幼稚園に入って、小学校に行くにあたっていろんな差別受けている、これが人種差別だ。とおっしゃっていたんで、私はそれは…えーと私生児ってのは当然、結婚しないで産んだ子供だから、私生児は社会的に当然差別されるし区別されますと。

 ましてやあなたが産んだ子どものあなたが、あなたの相手がもし結婚してる人であったらこりゃ完全に不倫であってね、あなたがその子供の民法上のなんかいろいろな相続とかなんかを要求したらそりゃ大変な、相手の家庭に対して亀裂をもたらすことなんだと。だから当然ね、そういう不倫の末に生まれた子供は社会的に差別されて、社会をそのー、円滑に運営する上では、では、そりゃ人間の知恵なんだ。あなたが差別されたくないって言うなら、ちゃんとしっかりした結婚して子供を生みなさいと、こう言ったわけでして。



 この裁判で西村は、意見交換会における発言内容は婚外子問題に関する一般論にすぎず、原告に対する具体的な発言(「私生児」など)はしていないと主張している。しかし、この日原告が提出したインタビューの反訳をみると、西村自身が原告に対して具体的な発言をしていることを認めているように聞こえる。

 これは少なくとも、裁判における婚外子問題に関する一般論を述べただけという答弁書の主張とは矛盾するし、さらに「公聴会(意見交換会)での私の意見は一般論であって、○○(=原告)の存在そのものを知らないなかで、○○本人を「婚外子」と決めつける意図などもとよりなく、そのようなことも出来ません」とする陳述書の記載ともだいぶニュアンスが違うように思える。この点について原告代理人が西村にただすと、西村はインタビューの内容については「よく覚えていない」と答えるにとどまった。

 なお、最近になって、原告に対して「『私生児が』などの発言をしたのは自分だ」などとする陳述書を提出した年配の右翼は、「行動する保守」のインタビューの中で法務省に呼び出された話はしても「私生児」発言についてはなぜか一言も触れていない。これもまた不思議なことではあるまいか。

自らのスケールを示した西村

 もう1点は、意見交換会終了後に西村が近づいてきて「おまえは何人不倫の子を産んだのか」という言葉を投げつけたと原告が主張している点について、西村がインタビューで原告の主張とむしろ符合する発言をしていることである。「行動する右翼」から意見交換会に出席した感想を求められた西村は次のように述べている。



西村  そうですね、まあ、めったにまあそういう極左系の人たちとかね、そういう在日朝鮮人のかなりエキセントリックな人たちの話聞く機会なかったんで、そこでまあ普段思っている思いのたけを彼らに浴びせつけましたよね。その会議(筆者注=意見交換会)終わった後も、個別に捕まえて、ずいぶん締め上げたので、僕としては非常に痛快極まりなかったんですけども。ただそれが、個人的なですね、ああ気持ちよかった、言ったというレベルに置いてしまったんでは、これは社会運動として発展できないのであって。



 原告代理人が注目したのは「その会議終わった後も、個別に捕まえて、ずいぶん締め上げた」とする箇所である。「ずいぶん締め上げた」とは原告に対して「おまえは何人不倫の子を産んだのか」という言葉を投げつけた場面のことをいっているのではないか、とも受け取れよう。そうだとすれば、インタビューにおける西村の発言の流れは、原告に対する「私生児」発言、さらに意見交換会終了後に西村が原告に対し「おまえは何人不倫の子を産んだのか」という言葉を投げつけたとする原告が主張する事実経過と大きな齟齬はない。

 原告代理人は西村に対し、「ずいぶん締め上げた」とは原告に対して「おまえは何人不倫の子を産んだのか」といったことを指しているのではないかと追及した。すると西村は「ずいぶん締め上げたというのは原告のことではない」とはいわず、誰もが予想しなかった供述をした。この点も思い出さないままの方がよかったと思うが、西村はインタビューでの発言は「意見交換会で発言したことを自慢したかっただけで、締め上げたというのは嘘」(趣旨)と供述したのである。

「主権回復を目指す会」代表の西村修平という男は、「締め上げた」などという嘘をついて自慢するほどつまらない、小さい男なのか。インタビューは動画でインターネット上(スティッカム)で公開されているが、嘘をついてまで自慢したかったという「行動する保守」のリーダーの1人を支援者はどう見るのか。

 このとき、傍聴席は静まりかえっていたという。残念なことに、この西村の供述が事実であろうと姑息な言い逃れであろうと、西村という右翼のスケールのほどを示すものであることに変わりはないのである。

 それはともかく、裁判官はこの日の西村の供述とインタビューでの発言のどちらが嘘であると判断するだろうか。西村の供述が、「おまえは何人不倫の子を産んだのか」という原告に対する発言を否定するためのその場しのぎの嘘であるとみる余地は十分にあるような気がする。

(つづく)
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西村修平「婚外子」差別発言裁判 第7回
埋められた外堀

「行動する保守」によるインタビューでは、西村は外務省主催の意見交換会に出席したいきさつと目的についても自発的に述べている。意見交換会における具体的発言とともに、発言の背景、西村の心理状態がうかがえて興味深い。



西村  こういう政府主催の公聴会とか、会議にはですね、ほとんど右の方とかか保守勢力は参加する機会がなかったんですよ、というよりほとんど反応を示さなかった。そういうことで、まあ保守派のまあ女性(家族の絆を守る会岡本明子のこと)たちの方から、この公聴会に参加するということを話しまして、非常に参加する人員が少なくかつ男性の人も少ないから、ぜひともみなさんご参加をという形で、これはどうしてもね、行って、連中を牽制してやらないとね、私も非常に興味津々、当日行って、そういう思いでまあ行ったわけです。えーっと、まあ、聞きしにまさる会議の内容ですね、もう左翼にとっちゃ言いたい放題、しゃべりたい放題の席になってました。とうとう私もね、聞くに堪えかねてですね、まあいろいろ野次とかなんかを飛ばしておりまして、とうとう私の番に来ました。



 西村は、もともと意見交換会の存在を知らされたのも参加を要請されたのも「家族の絆を守る会」の岡本明子会長からだったと述べ、インタビューに同席していた年配右翼も岡本会長から要請があったことを認めている。注目すべきは、続く「連中を牽制してやらないとね。……そういう思いでまあ行ったわけです」という発言、さらに「私もね、……まあいろいろ野次とかなんかをとばしておりまして」という発言である。西村はこの意見交換会に出席する「左翼」を牽制するために参加し、実際に「牽制」のために「いろいろ野次を飛ばしていた」と認めていることになる。(その「牽制」なるものが原告に対する「私生児」という誹謗中傷だったとすれば、政治団体代表の発言としてはあまりにも軽率で幼稚としかいいようがなかろう)

 原告に対する差別発言があった事実を明らかにするために、原告代理人が意見交換会への参加のいきさつと目的という背景事情から迫ったのも鮮やかである。この点について原告代理人が西村に確認すると、西村は「岡本会長から要請はない。意見交換会が開かれることは外務省のホームページで知った」と供述し、「家族の絆を守る会」から要請された事実を否定した。すると、意見交換会参加までのいきさつについて述べていたインタビューの内容も嘘だったということなのか。

 西村の「主権回復を目指す会」の掲示板では、岡村会長はなぜ西村の裁判を傍聴もせず、支援もしないのかと、岡村会長を非難する趣旨の書き込みがある。西村にとってはなにか、意見交換会参加までのいきさつについて事実を明らかにしたくない事情があったのかもしれない。

 西村は原告が主張する問題の発言を否定したまではよかったが、仲間内のインタビュー内容まで否定したことでむしろ裁判における主張の信用性を自ら低下させてしまったのではあるまいか。いずれにしても西村は、このやりとりによって外堀も埋められたような気がしてならない。

裁判官も困惑

 この日の尋問では裁判官を困惑させる場面もみられた。原告代理人が意見交換会における西村の発言の事実確認をしたときのことである。

 西村は第1回口頭弁論期日(平成21年4月13日)に提出した答弁書に「……被告は以下のとおり抗議した。以下各人の発言を順次述べると」として自身を含む発言内容の反訳を記載している。ところが原告代理人が西村自身が自分の発言と認めて記載した西村の発言について逐一確認していくと、西村は自分自身の書面に自ら記載した発言であるにもかかわらず、

「あんたさっきの婚外子の問題でもね、何で婚外子の問題が人種差別の問題なんだよ。これ個人の不倫の関係で生まれたアレだ不貞の子供でしょう」

(原告が上記発言に対して謝罪を求めたのに対し)
「謝罪しない。世界の常識だ。不倫の子供は差別される」

 などの発言について「自分は発言していない」と主張したのである。裁判中に自らの主張を撤回することはあっても、自認していた事実関係について自ら否認するなどということはめったにあることではない。このとき陪席裁判官は裁判長に答弁書を示し、裁判長は西村が否定するたびに答弁書との相違について問いただした。裁判官もまた、西村の供述に疑問を持ったということである。

 なお西村は、これまで原告が提出したテープを確認するよう裁判長から求められていたが、「テープの声は確認していない」と答えている。一度は認めた自分の発言を否定する西村の供述に裁判官が困惑したとしても無理はあるまい。

原告代理人のダメ押し

 さて、西村側代理人は西村と年配右翼に対する尋問で、「婚外子は法的に不利益があってもやむを得ないと考えるか」とする質問を行い、これに対して両名は「仕方がない」と供述した。これは「行動する保守」による西村インタビューの内容と矛盾しない。

 そこで原告代理人は西村に対して最後に「ある人に対して『私生児』と発言することは適当だと考えるか」と聞いた。すると西村はこう答えた。「それは不適当です」。これはきわめてまっとうな考えであると評価すべきだろう。ただこれは、意見交換会において西村が原告に対して「私生児が」という言葉を投げつけていたとすれば、それは少なくとも不適切であることを西村は自認したということになる。

 あとは東京地裁が、西村が否認する原告に対する発言があったかどうかについてどう判断するか、あったと判断した場合にはそれが名誉毀損に当たるかどうかについてどう判断するかである。東京地裁はこの日の尋問をもって弁論を終結し、判決言い渡し期日を平成21年12月24日午後1時30分と指定した。

(「判決後」につづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その1)
 平成21年11月11日、東京地裁立川支部には西村を支援する「行動する保守」の一行が集まっていた。指導者で、「行動する保守」一行を矢野のデマに引きずり込んだ最大の責任者Aとその弟子、東村山での街宣で創価学会から提訴されているMなど総勢約20名。なぜか行政書士の姿はないものの、最近とみに傍聴者が減ってしまった関連裁判では最も多い。裁判によって尋問の占める比重は異なろうが、「行動する保守」の一行はこの尋問が重要な局面であると認識していた様子がうかがえた。

 この日の尋問のポイントは「西村が問題の街宣をするにあたり、朝木事件についてどの程度独自調査をしていたか」(相当の根拠があったかどうか)にあると私は考えていた。西村が主張する「万引き冤罪」と「他殺」の真実性については平成21年7月3日に確定した最高裁判決ほか多くの裁判で否定されていることもあり、裁判所に真実性の主張を認めさせることは難しいのではないか。ただ西村が、「行動する保守」Aが「会って聞いた」とする、事実なら新しい重要な証拠となり得る「内部告発」の詳細を明らかにすれば、局面が大きく変わる可能性もあり得なくもないかもしれない、と。

 では西村の本人尋問から見ていこう(以下、供述内容はいずれも私の傍聴メモによるもので、完璧なものではない。また尋問のうち、その時点で特に重要と考えなかったものについてはメモしていない。供述の「趣旨」の場合もある)。

西村主尋問(1)



①『東村山の闇』の入手時期

西村代理人  『東村山の闇』を入手した時期はいつか。

西村  一昨年(平成19年)8月、朝木直子さんからもらった。

代理人  朝木明代さんの転落死事件について知ったのはいつか。

西村  事件についてはメディアの情報で以前から知っていた。

代理人  『東村山の闇』を入手したあと、関係の記事を調べたか。

西村  週刊新潮、週刊文春などの週刊誌、国会議事録、乙骨正生の本、山崎正友の本などを読んだ。



 供述によれば、西村が『東村山の闇』を入手したのは平成19年8月であるという。西村は事前に提出した陳述書には「平成18年8月」と記載しているが、どちらが本当なのか。あるいはたんにいい間違えただけなのか。いずれにしても、西村が東村山駅前で問題となった街宣を行ったのは平成20年9月1日だから、西村は街宣よりも少なくとも1年以上前に『東村山の闇』を朝木から入手したと供述したということである。

 西村はその後『東村山の闇』以外の資料にあたったという。すなわちここで西村が主張したいのは、「街宣は十分な調査の上で行ったもの」であり、「万引き事件は捏造」で「明代は殺された」とする街宣の内容には相当の根拠があったということであると理解できよう。



②転落死を「他殺」と考えた理由

西村代理人  朝木明代さんとはどういう人か。

西村  清廉潔白な方で、万引きを苦に自殺をするような人とはまったく思われなかった。

代理人  転落死当日の朝木さんの行動については調べたか。

西村  丹念に調べた。

代理人  朝木さんの転落死が「自殺」ではないと考えた理由は?

西村  朝木さんは東京都への請願に忙殺されていて、朝木さんを万引き犯として被害届を出した洋品店主を告訴し、「最後まで闘います」と記した残暑見舞まで出している。そのような人が自殺をするとは考えられない。

代理人  転落死当夜、朝木さんは裸足で現場ビルまで行ったと警察は主張しているが、この点についてどう考えたか。

西村  臭跡が確認できず、また裸足で歩いていたとの目撃証言もなく、警察は朝木さんが裸足だったとは確認できていない。



 西村は明代の転落死について「自宅から車で拉致されて落とされた」と主張している。明代の転落死当日の行動について「丹念に調べた」という以上は、拉致犯がどのような経路で明代をビルまで運んだのかについても当然「調べた」ということなのだろう。明代の転落現場ビルの入口は東村山駅前ロータリーに面しており、人目につきやすい場所である。深夜、人気のない山中の崖から落としたというのとはわけが違う。犯人は誰にも目撃されていない。犯人は、どのような経路をたどって駅前ビルの5階まで運んだのか。この事件を「拉致した」と結論付けるには経路の解明とその裏付けが必要となろう。

 すると「丹念に調べた」という西村は、拉致経路まで解明したということなのだろうか。しかし代理人はまだ、拉致経路については聞かなかった。また警察は明代が裸足だった根拠として、ストッキングの足裏が汚れ、破れていたことを挙げているが、西村はそのことを知らなかったのかどうか、その点についてはいっさい触れなかった。尋問に戻ろう。



代理人  事件当日の段階で靴も持っていたはずの鍵も発見されなかった点については。

西村  鍵をかけて出たのに捜査では鍵が発見されなかった。翌日に鍵が見つかったということは、犯人が置いたとしか考えられない。しかも、警察が朝木直子さんに連絡したのは発見から10日後で、警察は「鍵がみつかりました」とその鍵が朝木さんのものであると断定して知らせている。これは犯人が警察に連絡したか、警察内部に情報を知っていた者がいたかのどちらかしか考えられない。

代理人  ほかに朝木さんが殺されたと考えた理由はあるか。

西村  転落死の前、夜9時13分に事務所の矢野さんに朝木さんは電話をかけている。その声紋鑑定の結果、「生命の危機に直面した状態」だったことがわかっている。私はこの結果から、他殺に近いと確信した。
 さらに、司法解剖鑑定書には上腕内側部に皮下出血の痕があったことが判明している。これは第三者から危害を受けなければできない傷だと思った。山形大学名誉教授も同様の意見を述べており、私はこの鑑定結果から朝木さんの転落死は他殺であると確信した。



 声紋鑑定も司法解剖鑑定書の記載についても、いずれもすでにこれまでの裁判で矢野が提出し、「他殺」の証拠とは認められていない。西村が街宣を行うまでにこれらの判決文を閲覧することはできたのだから、判決内容を知らなかったという言い訳は通らない。

鍵をめぐる「新事実」

 この西村の供述の中で注目されるのは、鍵の発見に関わる部分である。警察が「断定して知らせた」かどうかまでは確認できないが、鍵が発見される経過からすれば、警察の捜査終了後に何者かが置いていったものであることは明らかである。

 鍵はおしぼりを入れていたカゴの中にあった。普通、落とすような場所ではなく、誰かが意図的に置かなければ入ることはあり得ない。捜査する側からすれば、それが明代のものではないかと考えたとしてもなんら不自然ではない。明代の転落死を自殺とみていた東村山署は捜査後に発見された鍵について、何者かが捜査の攪乱を狙って置いたものとみていた。だから東村山署は、発見者、納入業者に対する事情聴取などより慎重かつ入念な捜査を行った。

「犯人が警察に連絡したか、警察内部に情報を知っていた者がいたかのどちらかしか考えられない」とする西村の供述は、あるいは「行動する保守」Aのいう「内部告発」となんらかの関係があるのかもしれないが、この日の供述の範囲ではその根拠に合理性があると評価することは難しい。ただ「行動する保守」Aによれば、私が尋問中気にも留めなかった供述が西村の口からなされたらしい。西村は鍵の置かれていた状況について「おしぼりにくるまれていた」と供述したというのである。

 これまでの多くの裁判で「鍵はおしぼりにくるまれていた」という証言や供述がなされたことは1度もない。その意味では確かに「鍵はおしぼりにくるまれていた」というのは「新事実」であり、それもきわめて重要な「新事実」である。それが事実かどうかは別にして、西村がそれまで公表されていない「新事実」を供述したということは、どこかから情報を得たということになろう。

 では、西村はその「新事実」の情報を誰から入手したのか。鍵が置かれていた状況を知るのは、鍵の発見状況についてもきわめて詳細な捜査を行っている東村山署と鍵を置いていった人物、鍵を発見した店員しかいない。警察の捜査も店員の目撃情報に基づいて行われているのだから、実質的に警察と鍵を置いていった人物だけといってよかろう。

 西村の情報源としては、私には矢野、朝木と(存在するとすれば)「内部告発者」以外には思い当たらないが、西村はそのどちらから情報を得たのだろうか。いずれにしても、鍵に関する西村の供述は「行動する保守」Aのいうとおりきわめて興味深いものであるといえる。

 情報の中身によっては朝木明代事件の真相究明に結びつく可能性も秘めている。真相究明のためにも、右翼の西村はその情報源が誰なのか、明らかにすべきである。

(つづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その2)
西村主尋問(2)



③万引き事件

西村代理人  朝木明代さんの万引き被疑事件が捏造だと考える理由は何か。

西村  ビニールカバーをかけてハンガーに吊るしてあるTシャツとキュロットのセットの中からTシャツだけ持って逃げるなんて考えられない。警察は盗んだものをなぜ押収しなかったか。またビニールカバーの指紋も取っておらず、万引き犯が朝木さんだという証拠は1つもない。

代理人  目撃者の証言はどんなものだったか。

西村  Sという目撃者は犯人が「黒いカーディガンを着ていた」、黒っぽい服装だったと証言している。矢野さんが裁判で提出した銀行振込の再現写真では上着が白っぽく映っているから、犯人が朝木さんでないことは明らかだ。この1枚の写真で朝木さんが犯人でないことは証明されている。

代理人  再現写真と被害者の証言の違いはほかにあるか。

西村  店主は朝木さんが襟の立ったマオカラーのブラウスを着ていたといっているが、再現写真で朝木直子さんが着ているブラウスは明らかに襟が立っていないことは一目瞭然だ。この再現写真が、万引き犯が朝木さんでないことを証明している。



 西村が明代の万引きが冤罪だったと主張する根拠は、矢野と朝木が万引き当日の服装であるとして朝木が着用して作成した再現写真と最も遠くから見ていた目撃者Sの証言にあるらしいが、いずれも矢野と朝木が「冤罪」の証拠として法廷に提出したものの排斥されており、むしろ再現写真は明代のものとする服装が本物であるという証拠はなく、目撃者Sの証言も東村山署の認定を裏付けるものと認定されている。西村の供述をみるかぎり、これまでの判決を覆すものとは思えない(東村山署が万引きされたTシャツを押収しなかったなどの点は千葉に対する尋問で触れることにする)。

 以上が西村主尋問の主要なやりとりである。朝木事件に関する西村の答弁は鍵に関する「新事実」を除けば(それも「事実なら」の条件付きだが)、私の聞いた限りではこれまでの矢野・朝木の主張を大雑把になぞったものにすぎず、目新しいものは何もなかった。

西村反対尋問(1)

 西村の主尋問が終わり、ただちに千葉による西村に対する反対尋問に移った。千葉はまず、西村が明代の万引きを「冤罪」とし、自殺を「他殺」と主張するにあたり、西村が街宣までにどのような調査を行い、どの程度事実関係を確認しているかについて聞いた。



①西村の基本的な事実認識

千葉  転落現場の目撃者は何名か知っているか。

西村  人数はわからない。

千葉  転落現場には行っているか。

西村  行っていない。

千葉  万引き現場の目撃者数は何名か。

西村  知らない。

千葉  ○○さん(万引き被害者)に事実関係を確認しているか。

西村  居場所がわからないから、確認していない。

千葉  平成20年9月1日の街宣のとき、洋品店に何をしに行ったのか。

西村  見学に行った。

千葉  同行した者の中に日章旗を掲げたり、ヘルメットをかぶった者がいたことを知っているか。

西村  日章旗やヘルメットなんか知らない。

千葉  その後、○○さん(万引き被害者)には事件について確認しているか。

西村  していない。

千葉  朝木が万引き事件でアリバイを主張したレストランには確認に行ったか。

西村  確認はしていないが、警察はレジ・ジャーナルを開示していない。



 ここまでの尋問で明らかになったのは、西村が事件に関する基本的な事実関係について自らなんらの確認もせず、現場にも行っていないということ。万引き現場および転落現場の目撃者の人数についてはすでに警視庁が裁判所に提出した文書によって明らかになっている。つまり西村はこれまでの裁判記録も見ていないということである。

 西村は「行動する保守」Aらとともに平成20年7月29日、八王子駅前で街宣を行い、東京地検八王子支部に対して再捜査の要望書を提出しているが、こんなことで東京地検の捜査に異議を申し立てようとしたのだろうか。これでは相手にされるはずがないし、西村の主張が矢野、朝木の主張のみを鵜呑みにしたものと評価されてもやむを得まい。

 洋品店襲撃事件に関する供述も興味深い。西村は「見学」に行くのに相手を誹謗するプラカードを首からぶら下げて行くらしいし、そのくせ同行した者の中に日章旗を持ったりヘルメットをかぶった者がいたことは都合が悪いから知らなかったことにしようとしたものとみえる。当時は肯定していた支援者の行為を自分が助かるために否定したという点において、西村のリーダーとしての器のほどを明らかにした供述ともいえるのではあるまいか。西村もまた「情けない右翼」のようである。

(つづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その3)
西村反対尋問(2)



②朝木の転落現場までの経路

千葉  朝木は自宅から転落現場まで連れて行かれた(拉致された)と主張しているが、誰がそういっているのか。

西村  週刊誌や「東村山の闇」に書いてある。

千葉  (現場周辺の地図を示す)経路はいろいろあるが、拉致経路はどこか。何の資料によって特定したのか。

西村  いうことはない。

千葉  拉致コースはわからないのか。

西村  警察犬もわからなかったものをわかるはずがない。

千葉  コースはわからないが運ばれたということか。

西村  そのとおりだ。

千葉  転落現場は見たか。

西村  現場は見ていない。

千葉  現場には鉄製のフェンスがあるが、知っているか。

西村  知らない。

千葉  朝木はどこからビルに入ったのか。

西村  わからない。

千葉  転落現場の真上の手すりに手の跡があったのを知っているか。

西村  知らない。

千葉  地検の発表では、朝木が打ち沈んだ様子で歩いているのを見かけたという目撃談が紹介されているが、そのことは知っているか。

西村  地検の発表は間違っている。



 明代がどこから現場ビルまで行ったかは、事件の真相を究明する上できわめて重要な要素である(事件の「真相」とは、自他殺のみではなく、転落死の背景に何があったのかまでを含む)。明代が転落したビルに行った直前にいた場所については2つの可能性しか考えられない。自宅と草の根事務所である。

 当初矢野は、「事務所にはいつも持っているバッグが残されており、財布も入ったままだった」とし、明代が「事務所から誘い出され、自宅に軟禁された上で事務所に電話をかけさせられた」などと主張していた。電話とは明代が自宅から9時19分にかけてきた「気分が悪いので休んでいきます」という電話である。矢野はこの電話を「脅された状態でかけさせられた」と説明しているが、明代が事務所から拉致されたとすれば、犯人が何のために明代の自宅に立ち寄り、事務所に電話をかけさせたのか、その必然性はない。

 一方、当夜10時30分前に自宅に着いた朝木直子は、「家の中はいつもと変わらない状態だった」と法廷で供述している。複数の犯人が大人を自宅まで拉致して軟禁したとすれば、家の中はなんらかの変化があってもおかしくない。つまり朝木の供述は、明代が事務所に電話をかけたとき、軟禁状態にはなかったことを意味している。

 明代は矢野への電話で「休んでいきます」と伝えている。つまり明代は、電話のあと事務所に行くつもりだったことがわかる。電話をかけたのは9時19分。明代がビルから転落したのは10時ごろである。明代の自宅から事務所までは徒歩で5分。事務所から転落したビルまでは歩いて2分もかかるまい。

 当夜7時40分から9時過ぎにかけて、自宅方向へあるいは事務所の方向へ1人で歩いている明代の姿が複数目撃されている。特に9時過ぎの目撃情報は東村山駅周辺のもので、明代は自宅方向に向かって歩いていた。明代が自宅から矢野に電話するわずか十数分前のことである。

 西村はそのわずか十数分の間に拉致されたというのだろうか。それはどこで、どうやって実行されたのか。拉致されたと主張するのなら、それまでの明代の行動、歩いた経路などについて事実を積み上げ、つぶさに検証した結果でなければならない。自ら検証することもなく、詳細については平然と「知らない」と繰り返す西村の感性とはどういうものなのか。あるいはそれが「行動する保守」の通常の感覚なのだろうか。

残されていたバッグ

 9時19分から10時までの間に、明代が事務所に行き、事務所から転落したビルまで行く時間は十分にある。事務所には明代の財布が入ったバッグが残されていた。その中に鍵も入っていた可能性はないのだろうか。乙骨正生の『怪死』には転落死当夜の出来事を時系列にまとめたくだりがあるが、そこには次のようなきわめて興味深い記述がある。矢野が事務所に戻り、朝木がいなかったとする当時の状況に関する記載である。

9時10分ごろ、矢野氏が「草の根」事務所に戻る。事務所の電気、クーラー、ワープロがつけっぱなし、外出のとき常に持ち歩くカバンは事務所に置かれたまま。中には、翌日、高知に行くため普段より多めの現金が入った財布も残されたままだった。

 矢野は当初、明代は事務所から拉致されたと主張していた。しかし平成11年に行われた『聖教新聞』裁判の尋問で追及されると、「それはイメージだ」と弁明している。根拠があるものではないという趣旨である。それ以降、矢野が「事務所からの拉致説」を強調することはなくなった気がする。なぜなのか。

 9時19分に「気分が悪いので休んでいきます」という明代からの電話を受けた矢野は、明代の身を案じるでもなくただ「電話中」と冷たく扱った。矢野が事務所に帰ったときに「異変」を感じたのなら、明代から電話がかかったときに何をおいてもまず安否を問うはずである。つまりこの矢野の対応は、9時10分ごろの事務所の様子に異変があったかのような説明とは齟齬がある。そのことに気づいた矢野は、「事務所からの拉致説」をあまり強調しなくなったのではないかと私は考えている。

 その後矢野は、10時30分に朝木から「母は家にもいない」という電話を受けたことで異変を感じたことになっている。そうでなければ、矢野に助けを求めた明代からの電話に「電話中」の一言で切った事実を説明できない。

 乙骨が矢野と朝木に『怪死』の取材をした当時はまだ「事務所からの拉致説」を宣伝していた時期だった。だから、事務所の「異変」を強調するために事務所の状況をこと細かに説明していた。ところが、矛盾を取り繕うために宣伝しなくなった記載の中には矢野の行動の不可解さが残されていた。それが事務所に残されていた明代のバッグに関する記載である。

 矢野が明代のバッグの中身まで確認した時刻が9時だったのか10時前だったのかについては客観的な証拠はなく、矢野のいう時間帯については信用できない。しかし、乙骨の具体的な記載からは、転落死当夜に矢野が明代のバッグの中身を見たことだけは事実として残っている。バッグが残されていたというだけならまだいいが、何の異変も感じていないはずの時間帯に、矢野はなぜ明代のバッグの中を見、財布の中身まで見たのだろうか。

(つづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その4)
西村反対尋問(3)

 さて、千葉は朝木事件関連の質問のあと、今回の事件に関する質問に移った。



③「創価学会の4悪人」のプラカード等

千葉  看板は誰が作ったのか。

西村  私が作った。

千葉  保管は誰がしているのか。

西村  私が持っている。

千葉  街宣で主張した「千葉は創価学会員である」という根拠は何か。

西村  あなたが創価学会員かどうかはわからない。

千葉  朝木直子と最初に会ったのはいつか。

西村  8月に文京区民センターで行ったシンポジウムのときだ。

千葉  去年の話か。

西村  それ以前には会っていない。

千葉  「東村山の闇」を入手したのはいつか。

西村  文京区でのシンポジウムのときにもらった。もちろん代金を支払った。



 西村が街宣で指差したプラカード(「創価学会の4悪人」等と書いたもの)もまた自ら作成したものであることを認めたことは重要だろう。他人が作成したものを読み上げたというのと、自ら作成したものを街宣中に読み上げたというのでは責任の重さが違ってくるのではあるまいか。千葉が「創価学会員かどうかわからない」と率直に供述したことも潔いものと評価できよう。

 興味深いのは西村が「東村山の闇」を入手した時期である。本連載その1で述べたとおり、西村は平成21年10月22日付陳述書では「平成18年8月」とし、主尋問では「平成19年8月」と供述した。だから千葉は、あえてもう1度入手時期を聞いたものとみられる。すると西村は、今度は「去年(平成20年)8月、文京区民センターで行ったシンポジウムの際に朝木直子と初めて会い、そのときに『東村山の闇』を入手した」と供述したのである。「『東村山の闇』の入手時期」というきわめて単純な事実について、これほど短時間の間に供述がブレるとはどういうことなのだろう。

 もう1度、これまでの西村の供述を確認しておこう。

陳述書
〈私は、平成18年8月、朝木直子東村山市議会議員から「東村山の闇」と題する本を頂きました。勿論代金は支払いました。〉

主尋問
〈一昨年(平成19年)8月、朝木直子さんからもらった。〉(この供述については私のメモに基づいているので、もう少し詳しかった可能性があるが、シンポジウムの話は出なかった)

「行動する保守」らは平成21年9月1日の東村山街宣に先立つ平成21年8月24日、矢野と朝木を招き、文京区民センターにおいて〈創価学会の「疑惑」に沈黙するな 東村山市議・朝木明代さん謀殺事件の徹底糾明を〉と題するシンポジウムを開催している。それまでの供述よりも反対尋問における供述の方が具体性があることは歴然である。さらに西村は、千葉が「去年の話か」と念を押したのに対して「それ以前には会っていない」と明確に答えているから、この供述が最も信憑性があるとみていいのではあるまいか。

 西村に対する反対尋問が終了したあと、入手時期に関する供述の食い違いに気づいた代理人は西村に対して、「東村山の闇」の入手時期について「平成18年でしたね」と供述を訂正させた。代理人は入手時期も重要とみているということだろう。西村がわずか1週間で、千葉を「創価学会の4悪人」と断定するに十分な調査ができたと主張するには少々無理があると考えたとしても不思議はない。



④ベランダウンコ事件

千葉  この裁判の第1回口頭弁論の日の朝、自宅のベランダにウンコが置かれた、これは創価学会による脅迫だと主張していたが、あの件はその後どうなったのか。警察には問い合わせているか。

西村  警察はあまり熱心ではなかったので、確認していない。



 特にコメントする必要もなかろうが、「行動する保守」のリーダーともあろう者が「警察があまり熱心ではなかった」などという理由で泣き寝入りしていいのか。それが本当に脅迫と考えているのなら、「行動する保守」のリーダーとして行動しなければ、支援者に対して示しがつかないのではなかろうか。「事件」が発生した際、西村以上に大騒ぎした「行動する保守」Aにしても、西村に捜査状況の確認をしないのだろうか。きわめて不可解である。

(つづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その5)
西村反対尋問(4)

 朝木明代の万引きを「捏造」とし、転落死を「他殺」と主張する西村がなんら独自の調査をしておらず、矢野と朝木の主張を鵜呑みにしたものにすぎないことはこれまでの尋問から明らかだが、この裁判では千葉から矢野らの主張を排斥した判決が提出されている。客観的に事件を検証しようとすれば、自分の見解とは相反する判断の根拠にも一応耳を傾けるべきである。裁判の当事者である西村は、千葉が提出した判決をどう見ているのか。千葉はその点についても聞いた。

 なお、私は数日前に尋問調書を入手した。今後は調書に基づいて尋問のやり取りを報告しようと思う(特に生のやり取りが必要と判断した場合を除き、要約)。前回までのやり取りについては、文言上は実際の調書とはかなり異なる部分も多々あるが、趣旨において大きな誤りはなかったものと考えている。



⑤関連事件の裁判結果について

千葉  朝木の万引き事件は捏造だと主張しているが、その客観的根拠は何か。

西村  ビニールカバーの指紋を捜査していないこと、レジジャーナルを開示していないこと、矢野が作成した再現写真の服装が違うことだ。

千葉  (千葉が書証として提出した「創価問題新聞裁判」の東京高裁判決を示す。上記西村の供述を含む矢野の主張をことごとく排斥した判決)この判決を、被告は見ているか。

西村  代理人に依頼しているから、これはすべて目を通していない。

千葉  見ていないということですね。

西村  はい。

千葉  (千葉が書証として提出した万引き被害者が矢野と朝木を提訴して勝訴した裁判の判決=判決では、「矢野と朝木の作成した再現写真が明代の服装と同一である証拠はない」と認定されている=を示す)これも見てないか。

西村  ざっと見たが、記憶に残っていない。



「創価問題新聞」裁判においても万引き被害者が矢野を提訴した裁判においても、西村が供述した問題点と称するものによって被害者の主張や東村山署の捜査に疑念が差し挟まれたことは1度もない。また判決には、東村山署が明代を万引き犯と認定した根拠と経過、転落死を事件性なしと判断した根拠が記載されている。その判決に、西村は目も通していないというのである。万引き被害者が矢野を提訴した裁判の判決については「ざっと見た」などというが、「覚えていない」というのだから見ていないに等しい。

「創価問題新聞」裁判の最高裁判決後、西村は「行動する保守」一行とともに最高裁前で判決を非難する街宣を行ったが、西村は判決も読まないで、つまりなんらその内容について検討もしないまま街宣活動を行っていたということになる。そのことを支援者は知っていたのだろうか。あるいは「行動する保守」では、これでもリーダーが務まるということなのだろうか。

 裁判の当事者として相手が提出した証拠を見ていないというのでは印象が悪いと思ったのか、西村は「代理人に依頼しているから」と言い訳している。しかし、東京地検八王子支部に「再捜査要望書」まで提出し、「朝木明代謀殺事件」の真相究明活動を行っている「行動する保守」のリーダーともあろう者が、捜査指揮官が提出した書証に目も通さないなどということでいいのか。「万引き捏造」と「他殺」を主張して街宣を繰り広げ、多くの当事者を傷つけ、迷惑をかけてきた者として、また多くの盲目的な支援者を街宣に駆り立ててきた者として、これまでの認識とそれに基づく行動に誤りはなかったのか、矢野に騙されていた可能性はないのかなどについて西村は自らの目(と頭)で確認する必要があるのではないのか。

 これは西村自身の責任の問題であり、裁判にあたって代理人を立てたこととは無関係なのである。代理人を立てたことを言い訳に、判決に目も通そうとしない西村の姿勢自体が、彼らのいう「真相究明活動」の本質と、自分たちに都合の悪い現実を受け入れようとしない「行動する保守」と称する連中の狭量さ(愚かさ)を示しているように思えてならない。


 
⑥千葉を「創価学会員」と呼ぶ根拠

千葉  プラカードの話に戻るが、私が創価学会(員)という根拠は何か。

西村  原告を創価学会とはいっていない。同じ穴の狢だとはいったが。

千葉  同じ穴の狢ではあるが、創価学会員ではないといっている?

西村  あなたが学会員かどうかはわからないが、検事が2人とも学会員で、事件もでっち上げに近いような万引き事件で、朝木さんを犯人と決めつけた。そういう意味で「同じ穴の狢」「創価学会の4悪人」と書いた。

千葉  そうすると、被告は原告のことを創価学会員だと思っていないのか。

西村  学会員かどうかはわからない。

千葉  被告はこの裁判のことを「創価学会との裁判」といっていないか。

西村  創価学会はいろんなメディアで「朝木は万引きした」といっている。われわれはそのメディアとも対立するから、創価学会の名前も出す。



 プラカードに「創価学会の4悪人」と書き、その1人として千葉の名前を挙げれば、支援者をはじめそれを見た一般市民は「千葉は創価学会員」と認識するだろうし、「原告を創価学会員とはいっていない」は通用しまい。また、西村などの「行動する保守」が千葉との裁判を「創価学会との裁判闘争」の1つと位置付け、宣伝していることもまた事実である。その事実自体について西村が否定しなかったのはいいとしても、その理由に関する西村の供述はまたしても根拠らしい根拠がないことを示すものと判断できた。

 そもそも、明代の万引きが発覚して以後、矢野が創価学会を持ち出したのは、明代の万引きを否定する客観的な根拠がなかったからにほかならない。矢野は「創価学会」の名前を持ち出すことで明代に向けられた非難を「創価学会」に向けようとした。逆にいえば、「明代は万引きをしていない」という事実(客観的な証拠)のみによって万引きを否定できるなら、「創価学会」を持ち出す必要はなかったのである。

 西村にしても、明代が万引きを苦に自殺したのではないという客観的な証拠があるのなら、根拠もないにもかかわらず、千葉を「創価学会員」と決めつける必要はあるまい。かつて矢野の宣伝に乗り、千葉の宗派を調べようとした当時の国家公安委員長白川勝彦も、のちに千葉から朝木事件について聞かれ、「捜査は事実によらなければならない」と語っている。白川は千葉に対して敗北を認めたのである。

(つづく)

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西村修平事件第6回口頭弁論(その6)
西村反対尋問(5)

 これまでの千葉の尋問で、西村が東村山街宣の前になんら独自の調査もしておらず、その後も自分では何も調べていないこと、すなわち矢野と朝木の宣伝を鵜呑みにしてきたことが浮き彫りになった。続く尋問では、矢野が西村に提供した資料の重大な欠陥が指摘された。



⑦司法解剖鑑定書について

千葉  他殺であると主張する根拠は何か。

西村  山形大学名誉教授の「鑑定書」と声紋鑑定だ。2人ともその分野の権威だから、明らかにこれは他殺だと、そういうふうに結論する。

千葉  司法解剖鑑定書は証拠にならないのか。

西村  他殺の根拠になる。

千葉  (西村が提出した書証「司法解剖鑑定書」を示す)この写真(鑑定書に添付された明代の遺体の写真)を見ているか。

西村  はい。

千葉  この写真から、「他人がつかんだ痕」がどこにあるかわかるか。

西村  資料があまりにも不鮮明で、確認できない。

千葉  確認できませんね。この不鮮明な写真について、もっときれいな写真はないのかと疑問に思わなかったか。

西村  思わなかった。法医学の権威が見解を出しているから、写真を見るまでもない。この写真はコピーのコピーだから不鮮明だ。この写真からはわからない。私はあくまでも鈴木教授の文書によって判断した。

千葉  では、文書のどこに「他人がつかんだもの」という表現があるか。

西村  文書にはないが、上腕内側部の皮下出血は他人がつかまなければできない。

千葉  この文書のどこに書いてあるかと聞いている。

西村  書いてないです。

千葉  朝木直子は「司法解剖鑑定書には証拠能力がない」と主張していたが、知っていたか。

西村  知らない。



 西村の供述で重要なのは、西村自身が提出した司法解剖鑑定書に添付された写真が「あまりにも不鮮明」だということである。

 明代の司法解剖鑑定書には遺体を特徴づける16枚の写真が添付されている。「顔面の状態」「胸腹部の状態」「背面の状態」「右胸腹部の損傷」「右腰部、右臀部及び右大腿部の損傷」「頸椎の損傷」「右肋骨前面の骨折の状態」「左肋骨骨折の状態」「右肋骨背面の骨折の状態」「肺損傷の状態」「下肢の状態」「左足部内側の損傷」「左脛骨及び腓骨の骨折」「右下腿部の縫合創」「右足背部の損傷」「右腓骨骨折」の16枚である。

 これらの写真は鑑定書の記載に対応するもので、特に死因に結びついたと推測できる損傷のひどい箇所を選択して添付したものとみられる(この中には、矢野らが問題にする「上腕内側部の内出血の状態」は含まれていない。仮に鑑定医が上腕内側部の内出血が他人の介在を示すものだと判断したとすれば、写真に含まれていなければならない)。したがって、写真は鑑定書の記載内容を視覚的に補足するものと考えられるから、写真は損傷の状態を視覚的に確認できる状態のものでなければならないのは当然で、鑑定医が鑑定書を作成した段階では鮮明なものだったはずである(視覚的に確認できないような写真なら、添付する意味がない)。

 ところがこの裁判で西村が提出した司法解剖鑑定書の写真は、西村自身が正直に供述するように、とうてい遺体の損傷の状況を確認できるようなものではなかった。西村がそのような状態に加工する理由があるとは考えられず、西村が矢野からもらった時点で損傷の判別ができないようなものだったとみていいだろう。なぜなら、これまで矢野は「聖教新聞」裁判など他の裁判でもたびたび司法解剖鑑定書を書証として提出しているが、いずれの写真も西村がいうように「あまりにも不鮮明」なものだったからである。

 その「不鮮明さ」をわかりやすくいえば、昔のアナログコピー機で何度もコピーのコピーを重ねて劣化した状態である。矢野がなぜそのような劣化写真を付けたのかはわからないが、西村に渡した写真が不鮮明だったということは、朝木が山形大学名誉教授に鑑定資料として送ったのもこの不鮮明な写真だったと推測される(そうでなければ、西村にだけ不鮮明な写真をつける合理的な理由はない)。西村は写真が不鮮明だから、鈴木名誉教授の「文書の内容」だけで判断したというが、逆にいえば鈴木名誉教授もまた司法解剖鑑定書の記載と自らの経験のみによって「司法解剖鑑定書の鑑定」を行ったということになろう。

 さて、西村は上腕内側部の皮下出血の痕について、鈴木「鑑定書」には「つかまれた痕とは書かれていない」ことを認めながら、それでも「他人からつかまれなければできないもの」と供述している。しかし、上腕内側部だからといって、「他人からつかまれる以外に内出血はできない(それ以外の可能性はない)」とは断定できないことは誰が考えても明らかである。

 なお、矢野と朝木は司法解剖鑑定書の記載(上腕内側部の皮下出血の痕)に基づいて「他人からつかれまた証拠」と主張する一方で、朝木は救急隊裁判で司法解剖鑑定書の信憑性を否定していた。東京都(消防庁)は司法解剖鑑定書によって救急隊員の救命措置が適切だったことを立証しようとした。これに対して朝木は、鑑定書が作成されたのが司法解剖から1023日後だったこと、鑑定人の署名押印がなされていないことを理由に「信用できない」と主張していたのである。

 矢野と朝木は、その「信用できない」と主張する司法解剖鑑定書の記載に基づいて、上腕内側部の皮下出血の痕が「他人からつかまれた証拠」と主張していることになる。どういう思考経路をたどればこのような二律背反の主張に到達できるのか、常人には理解しがたいものがあろう。



⑧「万引きでっち上げ」の根拠

千葉  あなたは私が万引き事件をでっち上げたと主張するのか。

西村  今のあなたではない、公職に就いていた千葉英司元副署長が、ということだ。

千葉  元副署長が万引き事件をでっち上げた。

西村  と思わざるを得ない。

千葉  あなたはそう断定していなかったか。「思わざるを得ない」なのか。

西村  国民には公職に対して意見を述べる権利がある。警察のでっち上げといったことは許される行為だ。



『東村山の闇』裁判では、東京高裁は千葉に関する記載を警察捜査に対する批判であるとして千葉個人に対する名誉毀損はないとした。一方、西村の表現は「創価学会の4悪人」の1人として千葉を位置付けている。はたしてこの表現を警察批判とみるのか、または千葉個人に対する批判とみるかが判断の分かれ目となろう。

 千葉は最後に「行動する保守」Aが「朝木事件の真相究明活動」に乗り出すきっかけになった(という)「内部告発」について聞いた。



⑨「内部告発」

千葉  昨年、あなたの仲間は「朝木さんを殺した犯人を特定したという警察官の内部告発があった」といっていた。この話を知っているか。

西村  ちらっと聞いたことがある。

千葉  聞いたことはある。

西村  発信はわからないが、そういう話はあった。

千葉  週刊誌(『週刊宝石』)に矢野が「転落したビルに3人の男が朝木を連れ込むのを見たという話があった」というふうなコメントをしているが、その話は聞いているか。

西村  聞いていない。

千葉 「内部告発」というのは、「警察は犯人を特定したが創価学会の検事が握りつぶした」というような話だが、そんな話は聞いていないか。

西村  発信元はわからないが、聞いている。

千葉  その顛末はどうなったのか。

西村  それは自宅に帰っていろいろメモとか見なければわからない。



 西村は「行動する保守」Aのいう「内部告発」に関して「いろいろメモとか」があるという。「東村山署は明代殺害犯を特定していた」という情報が事実なら重大である。西村はこの日の尋問に際して、なぜ「いろいろメモとか」を自宅に置いてきたのだろう。

 またそれよりも、「裁判支援」のために傍聴に来ていた「行動する保守」Aは、このやりとりをどう聞いたのか。「内部告発者に会った」という「行動する保守」Aが陳述書を提出すれば、西村の「いろいろメモとか」よりも証拠価値が(少しは)高いことは明らかである。「行動する保守」Aが結審までに「内部告発」に関する陳述書を提出しなければ、立川駅前で何度街宣しようと、西村の裁判を支援したことにはなるまい。

(つづく)

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