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民主主義汚染 東村山市議転落と日本の暗黒

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現在の“東村山の闇”の原点である議席譲渡事件と女性市議転落死事故についてのルポルタージュ。今は絶版となっていて書店では買えないが、手元に在庫があるので、希望の方はこちらにメールしてください。書籍代+送料でお分けいたします。

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「議席取り戻し」事件 第11回
やり残した質問

 東村山市議会平成27年3月定例会の一般質問に際して、「草の根市民クラブ」の矢野穂積が事前に提出した質問通告書の4には〈越境通勤市議はゆるされるか〉という項目があった。しかし一般質問で矢野は、宅地開発をいったん中止した東村山市内にある急傾斜地を「墓地公園化できないか」とする質問に時間を割いてしまい、予定していた〈越境通勤市議〉に関する質問をしなかった。理由はよくわからないが、矢野にとって、予定の質問ができなくなっても、墓地開発についての質問をする方がよほど重要だったということらしい。

 しかし矢野がこの3月議会で〈越境通勤市議〉に関する質問をもうしなくていいと考えていたのかといえば、そうではなかった。矢野は同年3月17日に行われた予算特別委員会の質疑に立ち、〈越境通勤市議〉について取り上げた。

 矢野のいう〈越境通勤市議〉とは、「他の自治体に居住していて、そこから東村山市議会に通勤している市議であり、東村山市内には生活の本拠がない市議。つまり本来は東村山の被選挙権がないにもかかわらず東村山市議として違法な活動している者」という意味である。

 この質問が来年度予算といったいどんな関係があるのかよくわからないが、矢野は4月に行われる市議選までに議会の場でどうしても〈越境通勤市議〉を取り上げておきたかったものとみえた。議員の質疑は議事録に残るだけでなく、動画でも配信しているから、取り上げることによってなんらかの宣伝効果を期待したのかもしれない。

ヤブヘビを警戒か

 ただその内容は、前年12月に発行した『東村山市民新聞』184号(=矢野と朝木直子の政治宣伝ビラ)に比べればかなり緩慢なものだった。ビラでは矢野が〈越境通勤市議〉であるとして批判しようとする議員を名指しした上で〈また公選法違反! 4年前にも「越境通勤市議」が大問題に〉と記載していた。その議員は東村山に生活の本拠はなく、公選法に違反していると断定していたのである。

 しかし予算委員会では矢野のいう〈越境通勤市議〉の氏名も出さず、公選法の住所要件について一般論を述べ、当該議員が住民票を置いていると思しき東村山市内の町名を挙げただけだった。矢野はこう述べた。



〈公選法の継続居住要件というのはですね、生活の本拠がそこになきゃいけないんですよ……。3カ月選挙の前に引き続いて住んでればいいっていう問題じゃないの、しっかり覚えてて下さいよね。〉

〈判例はですね、……本人が住んでるからいいんだとかいってるようじゃダメなわけですよね。〉



「住所」とは実質的な生活の本拠でなければならない。住民票を置き、「そこに住んでいる」と主張しただけではダメであることは、議席譲渡事件で矢野と朝木自身が最高裁から指摘されたことである。したがって、あまりその点を追及しては、朝木が千葉県松戸市に生活の本拠を移したと虚偽の主張をして矢野を繰り上げ当選させた議席譲渡事件という過去をかえって思い出されることになりかねない。だから矢野も、非難しようとする議員の住所問題に深入りせず、「住所」の一般的な定義を述べるにとどまったのではないか――私にはそう思えた。

「独自の見解」を披露

 なお矢野はこの質問の中で、住民票を置いた住所が本当に生活の本拠であるためには、

〈住居、職業、生計を一にする配偶者その他の親族の生活、資産の所在等が、客観的事実に基づいて、そこに一緒に住んでいるということになんなきゃいけない〉

 と述べている。矢野はビラ184号で、住所をめぐって追及しようとする当該議員が家族を隣町に残したまま東村山に単身で住んでいることも、東村山が生活の本拠とはいえない理由として挙げている。だから、「配偶者その他の親族……がそこに一緒に住んでいる」ことが「生活の本拠」である条件であるかのように主張したのだろうか。

 他の自治体から移転してきた議員が、家族をそれまでの住所に残したまま単身で住んでいるという外形は、選挙民にとってきわめてわかりやすい状況であることにちがいあるまい。矢野の説明する「住所」の要件に「配偶者その他の親族が一緒に住んでいる」ことが含まれるというのが事実とすれば、少なくともそう信じ込んだ市民からはただちに、当該議員は東村山の被選挙権がなく、すなわち東村山市議の資格もないと判断されかねない。

 しかしそもそも公選法は、「住所」の要件に「配偶者その他の親族が一緒に住んでいる」ことを要求しているのかどうか。ちなみに議席譲渡事件で朝木直子の住所移転が否定され、矢野の繰り上げ当選が無効と断定された最高裁判決によれば、「住所」の定義について次のように述べている。



(「住所」に関する最高裁の見解)

〈住所とは、生活の本拠、すなわち、その者生活に最も関係の深い一般的生活、全生活の中心を指すものであり、一定の場所がある者の住所であるか否かは、客観的に生活の本拠たる実体を具備しているか否かにより決すべきものと解するのが相当である(最高裁昭和29年(オ)第412号同年10月10日大法廷判決)。〉



「配偶者その他の親族が一緒に住んでいる」ことも「生活の本拠たる実体」を具備する要素には含まれよう。しかし最高裁は、具体的に「配偶者その他の親族が一緒に住んでいる」ことが住所の要件であるとまでは述べていない。問題はあくまで本人の生活実体だろう。

 当然、事情によって「配偶者その他の親族」とは別居する場合も現実にはあり得よう。また逆に、「配偶者その他の親族が一緒に住んでいる」ことによって、ただちに本人の生活実体があると判断されるとすれば、それもまたおかしな話である。

 少なくとも、私が調べた限りにおいて、法が「住所」の要件として「配偶者その他の親族が一緒に住んでいる」ことを要求しているとする事例を発見することはできなかった。矢野が予算委員会で述べた「住所」に関する主張はあくまで矢野の「独自の見解」にすぎないとみるべきなのではあるまいか。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第12回
予算審議の場で他人を誹謗

 なお質問(平成27年3月議会予算特別委員会)の最後で矢野は、ビラ184号と同様にやはりもう1人の(むしろ最も)非難しておきたい市議について触れた。

〈この問題に関しては、越境通勤、越境通勤市議か、という名前を私は編み出しましたが、何回も同じことやるようじゃダメですよね、この町も。それをよくいっておきますが、おかげで前にやった人は、また有名になっちゃって、また話題の主になっちゃったじゃないですか。ということをいっておきたいと思います。〉

「話題の主」とは誰なのかこれだけではわからないが、平成26年の末から矢野が急に問題にし始めた市議と、矢野がいうもう1人の市議は何の関係もない。無理やり関連づけ、「問題」なるものを蒸し返そうとしているのは矢野自身である。しかし、「また話題の主になっちゃった」といっているにもかかわらず、矢野はなぜその人物の個人名を出さないのだろう。

 最初に矢野が「越境通勤市議」なる文言を使用して騒いだのは佐藤真和に対してである。東京地裁は佐藤に対するこの論評が名誉毀損であることを認定し、真実性を否定した。しかし矢野がそう信じたことについては相当の理由(相当性)があったとして、矢野に対する不法行為責任は認めなかった。したがって、矢野が再び佐藤に対して〈越境通勤市議〉と断定すれば、今度は名誉毀損が認定される可能性が高い。だから矢野は名指ししなかったのではあるまいか。

 朝木直子はかつて佐藤を〈越境通勤市議〉と呼んで追及していた際、市民に対して「(議席譲渡事件の際に)私たちがやられたことをやり返しているのよ」といったという。「私たちがやられたこと」とは、平成7年に行われた東村山市議選で、次点で落選した矢野に当選を譲るために朝木が松戸に住民票を移したことに端を発する議席譲渡事件を指している。その際、朝木に松戸での生活実体があるのかどうか市民が調査し、最終的にその住民登録は虚偽だったと判断された。その結果、矢野の繰り上げ当選は無効となり、議席譲渡の企みは敗北に終わった。

 朝木は自分が追及されたことを根に持っており、それに対して「やり返している」といっているのだった。議席譲渡事件は民意を愚弄する行為としてマスコミからも批判を浴びた。しかし「やり返しているのよ」という言葉からは、朝木と矢野が市民に対して謝罪するどころか、なんら反省の気持ちも持ち合わせていないことがわかる。

 矢野が今もなお佐藤に対して、個人名を出さないまでも〈越境通勤市議〉と呼んで誹謗しているのも「やられたことをやり返している」ということになろうか。しかし、佐藤についてはすでに裁判所から〈越境通勤市議〉ではないと断定されている。にもかかわらず、なおも佐藤を〈越境通勤市議〉と呼ぼうとしているのは、すでに公的に否定された事実を議会という公的な場を利用して蒸し返し、ネガティブな宣伝をしようとしていると判断されても仕方があるまい。

 矢野の予算特別委員会における質問は、実質的にもなんら質問ではなく、矢野のきわめて個人的な意見を発表しただけに終わった。その内容も独自の見解と裁判所から否定された文言を蒸し返すものにすぎなかった。予算質疑の場で、とうてい来年度予算と関係があるとも思えないだけでなく、質問ではなく他人を貶めることを目的としているとしか思えない意見を垂れ流すとは、これこそ予算(議会経費)の無駄遣いにほかならない。

朝木が行った虚偽の住民登録

 佐藤を視野に入れた〈越境通勤市議〉という呼称に対する執着ぶりは、かつて自分が繰り上げ当選を無効とされ、議席を逐われたことに対する矢野の屈辱感の深さを表しているようにも思える。もともと、裁判所から否定されてもなお、いったんいい出した主張を決して引っ込めないのは矢野の特異性である。決して非を認めないこととも共通していよう。

 平成7年の東村山市議選後に矢野と朝木が起こした議席譲渡裁事件で、朝木は当選したにもかかわらず、次点で落選した矢野に議席を譲ることを目的として千葉県松戸市に住民票を移した。矢野を繰り上げ当選させるためには当選人のうちの1人が当選を失えばよかった。だから朝木は千葉県松戸市に架空の住民登録を行い、東村山における被選挙権すなわち自らの当選を喪失させようとはかったのだった。市議になるために立候補したはずの者が自らの当選を放棄するなど、東村山市民に対する裏切り行為であるだけでなく、市民にとっても行政にとって想像もしない、通常では起こるはずのない出来事だった。

 当時、朝木だけでなく母親である朝木明代も「朝木直子は現実に松戸で暮らし、生活している」と主張する一方、それが矢野を繰り上げ当選させるためであることを否定しなかった。しかし裁判で矢野と朝木は、真っ向から「矢野に議席を譲るために住民票を移した」と(正直に)主張するのは不利と考えたようだった。

 住民の直接選挙の結果を党派や候補者間の都合で覆すことは民主主義社会では容認されないか、少なくとも裁判官の心証はよくないと判断したものと思われた。朝木は裁判で、松戸における「生活実体があった」と裁判官に思わせるためか「松戸に転居したのは父親の介護のためだった」と主張した。朝木はそこまで苦心して松戸に生活の本拠を移したことを主張したのである。しかし最高裁は、松戸における朝木の生活実体を否定し、矢野の繰り上げ当選を無効と結論付けた。

 最高裁判決後、東村山市選挙会は朝木の当選も認めない決定を行った。これに対して矢野と朝木はただちに反論した。しかしその主張が特異に思われたのは、彼らはもう、議席譲渡事件で主張していた当初の松戸での生活実体を認定しなかった最高裁の判断を否定しなかったことである。当初の住民登録が生活実体のないもの、すなわち虚偽登録だったことを事実上、認めたのだった。

 他人の住所をとやかくあげつらうのなら、まず自分たちが過去に行った虚偽登録を認め、市民に対する裏切り行為を謝罪してからにすべきではあるまいか。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第13回
戻ってこなかった矢野穂積

 東村山市議会平成27年3月定例会は、同年3月26日、最終日を迎えた。私は所用で傍聴できなかったが、聞くところによるとその日の午後、午前中までは議場にいて議案の採決に参加していた「草の根市民クラブ」の矢野穂積が、昼の休憩後、議場に戻ってこなかったということである。

「草の根」の矢野と朝木が会議中に席を立ったり、遅れて来たりするのは珍しいことではない。しかし、重要な採決事案が続く議会最終日に本会議場からいなくなるとはどういうことだろうか。

 最終日の数日前、矢野と朝木は政治宣伝ビラ平成27年3月15日付『東村山市民新聞』第185号を発行している。ビラでは相変わらず他の議員に対する誹謗中傷を繰り広げているが、個人のビラを発行できても公務である議会採決に参加しないというのでは、場合によっては、市議会議員としての資質を問われても仕方がないのではあるまいか。

したたかな主張

 さて、議席譲渡事件で矢野の繰り上げ当選を無効とした最高裁判決後、朝木の当選も認定しなかった選挙会決定(平成9年9月2日)に対して矢野らが行っていた異議申出に対して、平成9年11月26日、東京都選管は東村山市選管に続いてこれを棄却する決定を行った。この異議申出において矢野らは、「最高裁判決は、朝木は平成7年5月29日以降、松戸に生活の本拠を移したと認定しているから、矢野が繰り上げ当選となるべきである」と主張していた。東京都の棄却決定後、矢野らはただちに東京高裁に決定の取り消しを求めて提訴した。

 矢野らは矢野の議員資格を主張する一方で、「矢野の繰り上げ当選を無効とした最高裁判決は平成7年5月1日の時点で朝木直子は東村山市議の地位を得ていたとしており、議会は朝木の身分に関する議決をなんら行っていないから、朝木は東村山市議の地位にある」(趣旨)とも主張し、東村山市議会に対して自分を議員として扱うよう要求した。2年前の東村山市議選後には自らの当選を辞退するといって議会や行政をさんざん混乱させておきながら、矢野の繰り上げが無効とされたとたん「やっぱり自分は議員だ」と平気で手の平を返すとは、やはり並大抵の神経ではなかった。

 しかし東村山市議会は、選挙会が「当選人を決めることができない」とする決定を行ったため、朝木の要求を拒否した。これに対して朝木は東村山市議会が朝木の議員としての業務遂行を妨害しているとして、平成9年9月11日、東京地裁八王子支部に業務妨害を禁止する仮処分命令を求める申し立てを行っていた。

 東村山市議会に議員としての業務を妨害しないよう求める理由として朝木は次のように主張していた。

〈最高裁判決は、……矢野穂積の繰上当選を無効と判断する理由として、債権者(筆者注=朝木直子)は右5月1日にはすでに議員の身分を得ているから、その身分を失わせるには議会の議決を要し、それを経ていない選挙会による繰上当選の手続きには瑕疵があり、その決定は無効であるとした。

 従って、右議決をしていない現時点において債権者は東村山市議会議員である。〉

 朝木が最初に東村山から千葉県松戸市に住民票を移した際、選挙会はその時点で朝木の生活の本拠は松戸に移ったと誤認した。「朝木の生活の本拠は松戸にある」という朝木や明代の主張を信じたのである。その結果、選挙会は誤った繰り上げ手続きを行ってしまった。

 つまり東村山市選管にそのような誤った判断をさせ、「瑕疵ある繰り上げ手続き」をさせた責任は朝木ら自身にある。しかし朝木は松戸に虚偽の住民登録をしたことにはいっさい触れず、たんに「最高裁は選挙会が行った繰り上げ当選手続きには瑕疵があり、その決定は無効であるとしたから、自分は東村山市議会議員である」と主張していた。自分に不利な材料はいっさい明らかにせず、すべての責任が選挙会にあるかのように主張するとは、なかなかのしたたかさである。

東京地裁の判断

 一方、東村山市議会が「議員として扱え」とする朝木の要求を拒否した根拠は同年9月2日に選挙会が行った決定にあった。これに対しても朝木は申立書で、最高裁判決後に選挙会が行った「当選人を定めることができない」と決定したこと自体が違法であると主張し、それに基づく議会の対応は最高裁判決に背くものであると批判していた。

 議会の対応は選挙会の決定に従ったもので、議会が朝木の身分を単独で判断したわけではない。是非はともかく現実的に、議会として行政の判断に真っ向から反するような対応はしにくいだろう。この議会の対応を東京地裁はどう判断したのだろうか。

 平成10年2月12日、東京地裁八王子支部が言い渡した決定は朝木の申し立てを「却下する」というものだった。通常、原告や申立人の請求の中身を審議した上で請求を退ける場合は「棄却」となる。「却下」とは請求の中身を吟味する以前に訴え自体が成立しないという趣旨である。どういう判断だったのか。

衆院選立候補を重視

 東京地裁は議席譲渡事件の経緯(平成7年4月23日に行われた東村山市議選で朝木は当選し、矢野が次点で落選したこと。その直後に朝木が矢野に議席を譲る目的で千葉県松戸市に住民票を移したことで東村山市の被選挙権を喪失したとみなされ、矢野が繰上当選人となったこと。朝木が平成8年10月8日告示の衆院選に立候補の届出を行ったこと――等)と最高裁判決後の選挙会決定などな経緯をふまえた上で、主たる争点は「朝木が公選法90条により議員としての身分を喪失したか(衆院選の立候補)」であるとした。

 この点について議会側は、〈債権者が市議会議員の地位を取得したとしても、債権者は、その後衆議院選挙に立候補しているから、……議員の身分を当然に喪失している。〉と主張。一方朝木は、〈債権者が市議会議員として在職したのは、平成9年8月25日の最高裁判所判決によってであるから、それ以前に衆議院議員選挙に立候補しても公職選挙法90条により市議会議員の資格を失わない。〉と主張していた。

 この点について東京地裁は次のように述べた。

〈債権者が本件申し立ての前提として主張する市議会議員の地位は、第1決定(筆者注=市議選直後に行われた選挙会の決定)により取得したとするものであるところ、債権者は、その後衆議院議員選挙に立候補の届出を行っており、公職選挙法90条により当然に議員たる身分を喪失していることは明らかである(この点についての債権者の主張は独自の見解であり採用できない。)。

 したがって、債権者の申し立ては、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを却下することとする。〉

 平たくいえば、「自分で衆院選に立候補しておいて、いまごろ何いってるの」といったところだろうか。「棄却」でなく「却下」とは、「衆院選に立候補した以上、その後の最高裁判決などの経緯は関係ないでしょ」という趣旨のようだった。東京地裁もまた、自ら当選を放棄しておきながら、最高裁で矢野の繰り上げが否定されたとたん「やっぱり自分は議員だ」と騒ぐ朝木に強い違和感を覚えたのかもしれない。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第14回
 東村山市議、「草の根市民クラブ」の矢野穂積と朝木直子が企んだ議席譲渡事件(当選した朝木が市外に架空の転居をすることで、落選した矢野を繰り上げ当選させようと画策した事件)で、平成9年8月25日、最高裁は矢野の繰り上げ当選を無効とする判決を下した。判決を受けて東村山市選管はただちに選挙会を開き、(最高裁が議員になっていたと認定した)朝木直子を当選人として更生決定できるかどうか検討した。しかし朝木は平成8年10月8日告示の衆院選に立候補しており、すでに東村山市議の身分を喪失しているとして、「当選人を決定できない」旨の決定を行った。

 これに対して朝木と矢野は選挙会の結論に異議申立を行うとともに、東村山市議会に対して朝木は自分を議員として扱うよう申し入れた。しかし東村山市議会は選挙会の決定を理由に朝木の要求を拒否した。すると朝木は、議員としての業務を妨害されていると主張して東村山市と東村山市議会を債務者(筆者注=通常の裁判でいう「被告」)として東京地裁に「業務妨害禁止命令」を求める仮処分の申し立てを行った。

 議席譲渡事件で朝木は当初、「自分よりも矢野さんが議員になる方がより適格」などとして、住民票を千葉県松戸市に移すことで東村山市における被選挙権を喪失させ、自ら東村山市議の地位を放棄した。ところが2年後、最高裁判決によって矢野の繰り上げ当選が無効となり、東村山市議会議員の地位を失ったとたん、(最高裁判決までの)つい数日前までの主張などなかったかのように、今度は「自分は最初から議員資格を失っていなかったからやっぱり議員だ」といい出したのである。

 自分の都合が悪くなると掌を返すようにまったく逆の主張をし始めるとは並みの神経ではなかった。朝木は2年前とは逆に「東村山市議会は自分を議員として扱え」とする仮処分申請を裁判所に申し立てた。そもそもこうなったのは矢野と朝木が彼らの都合に合わせて選挙結果を操作しようと企んだからである。しかしそんな理屈は、いっさいの非を認めない彼らの前には無意味だった。どこまでも自分を正当化しなければ気がすまない特異性は矢野と共通していた。

 しかし朝木の主張に対して東京地裁は、選挙会が決定したとおり、朝木は平成8年に衆院選に立候補しているから、その時点で自動的に東村山市議の資格を失っていると認定した。東京地裁の認定によれば、朝木の「東村山市議として扱え」とする主張自体があり得ないことになる。よって東京地裁は、朝木の主張を(棄却ではなく)却下する決定を言い渡した。(前回まで

即時抗告

 もともと「自分は東村山市議ではない」と主張していた過去の事実からすれば、東京地裁の却下決定で「業務妨害」を主張することをあきらめたとしてもなんら不思議はない。また、一方では「当選者を決定することができない」とした選挙会の決定に対して「矢野が繰り上げ当選人だ」と主張して東京高裁に提訴していることを考えると、朝木の主張を引っ込める方が理屈として整合性があるようにも思える。

 しかし矢野と朝木の考え方はそうではないようだった。「業務妨害禁止命令を求める」仮処分申請を却下された朝木は即時抗告し、東京高裁に改めて判断を求めた。いかなる主張であれ、いったん主張したものは絶対に引っ込めないのが「草の根」の特異性でもある。たとえば、刑事、民事で否定されたにもかかわらず、矢野がいまだに「少年から暴行された」と主張していることが端的な事例である。

恐ろしい「封印論」

 さて抗告理由書で、平成8年に衆院選に立候補したことを理由に「すでに東村山市議の資格を失っている」とした東京地裁の決定に対して朝木は次のように反論した。

〈最高裁判決は平成7年5月1日に朝木は東村山市議になっていたと認定している(筆者注=朝木のいう「第1決定」)。しかし東村山市選管は事実誤認によって朝木の被選挙権が失われたと判断し、同年5月21日、矢野を当選人と決定した(筆者注=朝木のいう「第2決定」。ここでも朝木は、虚偽の住民票移動によって市選管を騙した事実などおくびにも出さず、すべての責任を市選管に転嫁している)。

 そのため、朝木の当選は「封印」されることとなった(筆者注=「封印」は筆者の表現ではなく、朝木が実際に抗告理由書で使用した文言である。「本来なら朝木が議員であるべきだった」という意味を強調したかったのだろうか)。

 この「封印」は平成9年8月25日最高裁判決によって初めて解かれた。最高裁判決以後、朝木は市議会議員として在職するに至ったのである。

 すなわち「第2決定」から最高裁判決までの間、朝木は市議会議員議員として在職していないから、平成8年に衆院選に立候補したことで東村山市議会議員の資格を失うことはあり得ない。よって、東村山市議会議員として在職していない朝木が衆院選立候補によって市議会議員の身分を喪失したとする原決定は誤りである。〉(趣旨)

「最高裁判決によって『封印』が解かれたから朝木直子は蘇った。したがって朝木は東村山市議である」――朝木はこう主張していた。いつの時代の話かと思われるかもしれないが、朝木がこう主張していたのは事実である。しかし選挙制度を通常に運用する上で、当選が「封印」されたり解かれたりするような事態が発生することはあり得るだろうか。

 朝木の主張する「封印論」は、何があっても非を認めない矢野と朝木の歪んだ自己主張と自尊心の中でしか成立し得ない主張だったのではないかという気がする。少なくとも「封印」とは、通常の公選法理解の中ではめったに出現しない文言なのではあるまいか。

 1つの当選枠に2人の当選人が存在することはない。そこで朝木は新たに「在職」という概念を持ち出している。「朝木は在職していないから、その期間に衆院選に立候補しても議員資格が失われることはない」と主張している。しかし議員資格については「取得していた」と主張しているのだから、「在職」していようがいまいが、衆院選に立候補した時点で市議資格がなくなることに変わりはなかろう。

 いったんは自ら当選を放棄したにもかかわらず、議席譲渡に失敗すると、今度は議席を維持するために朝木は次から次と自己正当化を繰り返した。議席譲渡事件発生当時と同様に、朝木と矢野は民主主義から最も遠い存在であるというほかない。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第15回
東京高裁の判断

「議員として扱え」とする主張を退けられた朝木は抗告理由書で次のように主張していた。

「市選管が判断を誤って矢野を繰り上げ当選させた結果、朝木直子の市議資格は(なくなったのではなく)『封印』されていた。しかし最高裁判決によってこの『封印』は解かれ、朝木は市議会議員として蘇った。よって、東村山市議会は朝木を議員として扱わなければならない」(趣旨)

 朝木の主張は奇特である上に、東村山市議会は選挙会の決定を無視して朝木を議員として扱えと主張するものでもあった。東村山市議会は「当選人を決定することができない」とする選挙会の決定に従い朝木の要求を拒否したのだが、議会が選挙会の決定を無視することができるのだろうか。

 東京高裁が論点としたのはこの点だった。東京高裁は朝木の主張する「封印論」には付き合わず、こう述べた。

「東村山市議会は選挙会の決定に従い、朝木を市議会議員として処遇していない。(公選法に基づいて開かれる)選挙会の決定は行政処分としての性格を帯有し、公定力を有するものというべきである(したがって、矢野の繰上当選の効力が否定されても、これによって当然に朝木の当選人としての地位が復活するものではなく、朝木を当選人とする旨の選挙会の決定があって初めて朝木は当選人となり、議員としての地位を得ることができるものと解すべきである)。

 東村山市議会が朝木を議員として扱わないとする対応に対する朝木の本件仮処分申請は、実質的に行政処分である選挙会決定を覆そうとするもので、このような仮処分は許されないというべきである。」(趣旨)

「東村山市議会は自分を議員として扱え」とする主張を認めることは、選挙会が行った行政処分を事実において無効化させることになり、容認できないということである。

 東京高裁の判断は、「衆院選に立候補しているから市議資格を主張する前提を欠く」とした一審の判断とは判断の基準が異なっていた。しかしいずれにしても、東京高裁は結論において一審判決は相当であるとし、朝木の請求を棄却したのである。

 これに対して朝木はさらに最高裁に対して特別抗告を行ったものの、平成11年1月29日、最高裁はこれを却下した。平成9年9月2日、議席譲渡を無効とした最高裁判決を受けて開催された選挙会が「当選人を決定できない」とする決定を行い、東村山市議会はこれに従って朝木を市議として扱わなかった。これを不服とし、「自分を議員として処遇するよう」朝木から提起された仮処分申立事件は、申立から1年半を経てようやく終結したのだった。東村山市はかつて落選した矢野を繰り上げ当選させるために自ら市議資格を喪失させようとはかった者のために、相当の弁護士費用と職員の貴重な時間とエネルギーを浪費させられたことになる。

 平成11年1月といえば、この議席譲渡事件から丸4年がたとうとする時期だった。3カ月後にはまた東村山市議選が控えていた。矢野と朝木は矢野の繰り上げ当選を無効とした最高裁判決後も、彼らの利害のみのために2年間にわたり彼らの議席を主張し続けていたのである。

もう1つの判決

 さて、議会に対する朝木の仮処分申立は棄却されて確定したが、その前日の平成11年1月28日、矢野らが選挙会の決定に異議を申し立て、「結局は矢野が繰り上げ当選人となる結果は変わらない」などと主張していた裁判の控訴審判決が言い渡されていた。

 判決は大方の予想を覆すものだった。東京都選管は「当選者を決定できない」とした東村山市選挙会の決定を支持し、矢野らの異議申出を棄却する裁決を行っていた。ところが東京高裁は判決で、東京都選管の裁決を取り消す判決を言い渡したのである。

 判決で東京高裁は次のように述べた(いずれも趣旨)。

「最高裁判決の趣旨では、原告(筆者注=朝木)が議員の身分を有していることを前提としなければならず、これに反する措置をとることは許されない」(『毎日』)

「朝木氏がいったんは当選したと扱うべきだ。その後、朝木が被選挙権を失ったかどうかは市議会の決定に委ねられる」(『読売』)

 東京都選管は朝木が最高裁判決以前に東村山市の被選挙権を失っていたこと、平成8年に衆院選に立候補していたことから当選人とすることができないとした選挙会の決定を追認した。しかし東京高裁は、東京都選管の裁決すなわち東村山市選管の決定を取り消す判決を言い渡したのである。

 平成7年5月21日、東村山市選挙会は矢野と朝木に騙されて矢野を繰り上げ当選させてしまったことが、平成9年8月25日の最高裁判決によって確定した。最高裁の認定によれば、矢野を繰り上げ当選させた時点ではまだ、朝木は朝木自身の主張に反して生活実体は松戸には移っておらずいまだ東村山にあった。すると朝木は議員任期の始期である平成7年5月1日には東村山市議の地位に就いており、5月21日の時点ではまだその地位に変更はなかったことになる(だから矢野の繰り上げ決定は無効となった)。東京高裁は、東村山市選管は最高裁判決に従い、いったんは朝木が議員の地位にあることを前提にした決定をしなければならないとしたのである。

 朝木を議員として扱うかどうか、本来なら選挙会が判断する問題ではないのかもしれない。しかし平成7年、朝木自身の(虚偽の)申告によってすでに選挙会は朝木直子の被選挙権喪失認定と矢野の繰り上げ当選決定という行政処分がなされている。公定力を持つ行政処分を更新するにはやはり、東村山市選管が選挙会として新たな行政処分をする必要があったのだろう。

 選挙会はいったん朝木直子が当選人であることを認め、東村山市議会はただちに臨時議会を招集し、朝木がその後、東村山市の被選挙権を喪失していることを確認し、市議資格を喪失していることを議決すれば何の問題もなかったということになろうか。

 いずれにしても確かなのは、この判決は「矢野の繰り上げ当選を認めるべき」というものではないということだった。

(つづく)
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「議席取り戻し」事件 第16回(最終回)
矢野が「勝訴」したかのような宣伝

 矢野らは最高裁判決後の選挙会の決定(「当選人を定めることができない」)に対する訴状の中で、「朝木直子の復活が認められるべきであり、朝木はその後に住民票を松戸に移したことが認定されているから、最終的には矢野が繰り上げ当選となる結果に変わりはない」(趣旨)などと主張していた。しかしもちろん、選挙会が決定したのはあくまで朝木の扱いについてであって、「矢野が再度繰り上げ当選となるかどうか」ではない。

 最高裁判決は矢野の繰り上げ当選の可否をめぐるものであり、その前提として問題とされたのは朝木の議員資格が喪失していたかどうか(矢野の繰り上げ当選が決定された時点で朝木が 松戸で実際に生活していたかどうか)だからである。したがって裁判の争点も「朝木の扱い」の当否だった。

 ところが、東京高裁がこの選挙会の決定を取り消す判決を言い渡した翌日に矢野が発行した『東村山市民新聞』平成11年2月号外にはこんな見出しが躍っていた。



(『東村山市民新聞』平成11年2月号外の見出し)

〈矢野議員側 全面勝訴〉

〈ムラ議会はすぐ矢野議員の議席を元に戻せ〉



 これではまるで、最高裁で無効とされた矢野の議員資格が改めて認定し直されたかのように受け取られても不思議はない。前述したとおり、東京高裁の判決の趣旨は「朝木に議員資格があることを前提とすべき」というもので、矢野の身分とは直接には何の関係もない。東京高裁が「矢野の議員資格を認めよ」と命じたわけでもない。

 したがって「朝木側」というのならまだわかるが、〈矢野議員側 全面勝訴〉というのは事実を正確に伝えるものとはいえない。そもそも矢野は「議員」ですらない。ここにも矢野の強い自尊意識がうかがえた。

 プライドの高い矢野にとって、無名の市民によって議席を奪われたことの恨みは想像を絶するものがあったにちがいない。だから矢野は、自分の地位とは直接は関係ないにもかかわらず、あたかも自分が勝ったかのように市民に印象付けたかったのではあるまいか。それどころか、議席譲渡すら正当なものだったと宣伝しようとしているようにも思えた。しかし現実の判決は、あくまでたんに朝木の処遇をめぐるものでしかないのだった。

許されない繰り上げ補充

 仮にこの判決が確定したとしても、東京高裁は、選挙会は朝木が市議になっていたものとして扱うべきといっているにすぎず、その後も朝木の議員資格が認められるべきだといっているのではない。矢野は「勝訴」を強調するが、朝木の市議資格がいったんは認められたとしても、それは風前の灯なのである。

 朝木の議席がいったん復活したとしても、東村山市議会がただちに朝木の東村山市における被選挙権が失われていることを理由に議員資格がなくなったことを決議すれば、朝木の東村山市議としての地位は失われる。矢野らは訴状で、朝木が松戸に住所を移転したと最高裁が一応認定した日は選挙から3カ月以内で、選挙管理委員会は繰り上げ補充をしなければならず、結局は矢野が繰り上げ当選となると主張している。しかしこれは、矢野と朝木のような議席を詐取しようとする悪意がなかった場合の話で、虚偽の住所移転申告による議席譲渡と、それを否定する最高裁判決が出たあとではあまりにも事情が異なる。

 議会に欠員が出た場合に行われる繰り上げ補充の目的はあくまで、議会に広く市民の意思を反映させるためのものである。矢野と朝木の場合、仮に朝木が選挙から3カ月以内に松戸に転出して東村山市の被選挙権を失っていたとしても、転居の目的が民意を踏みにじり、矢野に議席を譲るためであることは最高裁判決で明らかとなった。民意を無視して、彼らの都合で勝手に議席を入れ替えるためであることが明らかであるにもかかわらず、矢野の繰り上げ当選を認めることは許されない。

 この高裁判決が出たのは、議員任期が残り3カ月しか残されていないというタイミングだった。裁判所がそのことを計算していたのかどうかは定かでない。しかしいずれにしても、結果的にこの判決によって朝木が市議として復活することも、もちろん矢野が再び繰り上げ当選人となることもなかった。

追及した市民を誹謗中傷

 議席譲渡裁判は発生から2年半後、最高裁が彼らの企みを無効としたことで終結した。しかし矢野と朝木はこの結果をすんなりとは受け入れず、立て続けに2つの争訟(市議会に対する仮処分申請事件と選挙会決定に対する異議申し立て)を提起した。矢野と朝木が議席譲渡事件によって民意を踏みにじったことについてなんら謝罪の気持ちも反省もないことを示していた。現在も彼らからは反省の気持ちはみじんも感じられない。

 それどころか、ビラ号外で彼らは次のように主張していた。
 
〈これまで、矢野議員の繰上当選の手続を拒否し続けたムラ議員らは、真っ青の大激震となった。同時に矢野議員への損害賠償問題も発生するからである。

 当然といえば当然すぎる判決だが、不正をただす草の根を支持した多くの良識派市民の声が届き、ムラ議員・創価ダミー集団の悪だくみは粉みじんとなった。〉

 よくわからないが、最高裁判決後、改めて矢野の繰り上げ当選を認めなかった東村山市には矢野に対する損害賠償問題が発生するという。「矢野を議員にしなければ訴えるぞ」という、矢野の常套手段である脅しであるようにも思えた。

 さらに矢野は、議席譲渡を追及した市民を「創価ダミー集団」とレッテルを貼り、誹謗中傷している。それによって彼らを追及した市民の社会的評価を低下させ、あくまで議席譲渡を正当化しようとしていることがわかろう。常に利己優先であり、かつ他に対して常に優越していなければ気がすまない矢野と朝木の特異性をまざまざと見せつける主張というほかない。矢野はこう主張することで、彼らを追い詰めた市民や彼らのいいなりにならなかった東村山行政や議会に対して仕返ししたかったのだろう。

民主主義からは最も遠い存在

 彼らのいう「議席取り戻し」裁判もまた議席譲渡事件同様に、東村山市議選で示された民意を無視し、彼らのみの思惑で議席を決定しようとするものであり、民主主義を支える根幹である選挙制度に対する挑戦だった。議席譲渡事件の問題の本質は法律解釈の問題ではなく、民意が無視されたことにある。

 矢野は選挙会の決定に対する彼らの主張が認められたことに勝ち誇った。矢野も朝木も、議席譲渡事件の何が問題なのかを理解できないのだろう。彼らがこの裁判を起こしたこと自体、彼らが最も民主主義から遠い存在であることをあらためて示しており、その事実は現在もなんら変わっていない。

 選挙民が市民の代表を直接選ぶ選挙制度を根底から揺るがした議席譲渡事件の発生から20年がたった。しかし当人たちがいまだなんらの反省も謝罪もしないかぎり、議席譲渡事件をただの遠い過去の出来事として片づけてはいけないのではあるまいか。

(了)
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